第100話 Burn the witch(9)
(1)
一陣の清風に乗るように、二羽の鷹が空へと飛び立つ。
止まり木にしていた枝は羽ばたきの振動で激しく揺れる。僅かに残る煤がパラパラと黒と深緑が入り混じる地面へと落ちていく。
焦土と化したこの地も、秋が過ぎ冬を越えた今、少しずつだが新たな芽吹きが始まっていた。
春の到来。雪解けと共に封じ込めた忌まわしきものへの不安や警戒心が薄れていくのは、ある種仕方のないこと、だっただろう。
「良い天気だよなー、こんな日に限って警備に当たるなんて」
蒼穹を旋回する鷹達を見上げ、煙草を咥えながら男はついひとりごちた。
人里離れた土地、二人の魔女がいるのみの児童養護施設跡にて、日がな一日門前で『立ち入り禁止』場所の監視するだけ。
「地中に埋めてから一年近いのにまだ死滅していない、ってのは本当なのかねぇ」
「さあなぁ、魔女様方はそう仰っているみたいだが」
もう一人の警備兵も半信半疑な口振りで言葉を返す。
二人一組の仕事で良かったと心底思う。でなければ、意味があるのかないのか分からない職務など、とっくに放棄したに違いない。
「アイス・ヘクセと放浪の魔女が刑務所に戻りたくないがための虚言じゃないのか……」
「しっ!滅多なことは言うな!!あの二人はともかく、半陰陽の魔女様も仰っているんだぞ??あの方が虚言に加担などするものか」
「まぁ、それはそうだが……」
咥えていた煙草を指先に挟み、煙を吐き出す。
相方の警備兵は目をしばたたかせ、こほっと小さく咳き込む。
「あぁ、悪い」
「…………」
「分かっているよ、吸い殻の始末ならちゃんとするさ。何だよ、俺だけじゃないぞ??他の奴らだって吸っている。要は地面に灰や吸殻を落とさなきゃ問題ないんだ」
下衣のポケットから携帯用灰皿を取り出し、速やかに始末するが相方の不満顔は直らない。
「
「…………」
愚直ともいえる相方に内心苛立つも態度に出すことなく、立ち入り禁止のロープと表示札に囲われた場所に視線を戻す。
「そう言えば、今頃東の魔女は……」
「東の魔女が何だって??」
「昨夜未明に産気づいたとか」
「ふーん、どうせなら子供もろとも産褥死すりゃいいのに」
即座に批難がましげに睨まれたが、素知らぬ顔で言葉を続ける。
「あそこに埋められた暗黒の魔法使いが子供の父親かもしれないんだろ??そんな危険な存在など産まれるべきじゃないと思うのは間違いか??そもそも、俺は東の魔女への再判決で極刑が取り下げられたのにも納得できていないんだよ」
「だけど、俺達の力だけで今のリントヴルムを守り切れると思えるか??」
「国内外の情勢考えれば有力な魔女の助力は必要だと頭では分かっているさ。分かっちゃいるんだよ……」
苦渋に満ちた声色が春風に流され、宙へと霧散していく。
午後のうららかな日差しとは裏腹に、二人の警備兵を取り巻く空気はまだ凍り付いたままだった。
(2)
――時、同じ頃――
焦点の定まらない目で天井を仰ぎ見る。天井に染みつく薄汚れ、煌々と輝く灯りは霞み二重にも三重にもぶれて見える。
大量の汗に濡れた黒髪は頬や額、乱れきった衣服は肌に張りつき、腰から下は所々血で汚れている。
長い時間を掛け、下肢を蝕む耐え難い痛みからようやく解放された中。朦朧とする意識は、確かに室内に響く泣き声によってどうにか保たれていた。
泣き声はやがてシュネーヴィトヘンが横たわる寝台まで近づいてくる。
胸を大きく上下させ、不規則で荒い呼吸を繰り返しながら声の元を目線のみで探る。茫洋とした視線の先には、一人の女が抱きかかえている赤子の姿。
必死で腕を伸ばそうと――、するも、思うように身体が動いてくれない。
「大丈夫、ちゃんと抱かせてあげるから」
女は赤子を寝台へ、シュネーヴィトヘンの傍らに静かに寝かせた。
下肢の激痛、疲弊しきった身体を気力のみで動かし、赤子――、産み落としたばかりの我が子を横たわったままでそっと、腕に抱く。
「おめでとう。元気な女の子よ。五体満足、四肢の指も全部揃っているわ」
「……そう、良かった……」
新生児特有の何ともいえない良い匂いが鼻先を擽り、安心感に満たされていく。
腕の中の小さくて柔らかい、頼りない生命の温かさに、自然と表情が綻ぶ。母に抱かれたからか赤子はぴたりと泣き止んだ。
「……貴女でも、そんな顔をするのね」
赤子の小さな掌を指先で怖々と触れるシュネーヴィトヘンの姿に、女は少し複雑そうに笑ってみせた。
「だって、
ほっそりと儚く大人しげな外見に反し、女はずばずばと言いたいことを言ってのける。シュネーヴィトヘンは特に気分を害すでもなく、ふっと息を吐き出す。
「……レオノーラ。貴女にとって私は仇同然なのに……、この子を取り上げてくれて……、ありがとう……」
「私は私の仕事を全うしただけ。ナスターシャのことと、これとは話は全く別よ。第一、かつての弟子仲間ではあるけど、あの子の末路は自業自得だと思っているし。貴女のことも特に恨んでいないわ」
「…………」
「つまらないこと言ってないで、今は可愛い娘のことだけ考えてればいいのよ」
「……そうね」
「あと三〇分もしない内に憲兵がこの子を連れて行ってしまうのだから」
避けられない現実が刻々と迫っているのを突き付けられ、シュネーヴィトヘンの表情は瞬時に強張った。母の不安が伝わったのか、赤子は先程より一段と大きな声で泣き始める。
「とりあえず、邪魔者は退散するから。心残りのないよう、この子と二人きりの僅かな時間を過ごして」
「……ありがとう……」
レオノーラはシュネーヴィトヘンからの礼に言葉を返すことなく、彼女に背を向ける。退室するべく扉に進む途中、はたと立ち止まり、もう一度寝台を振り返った。
「ねぇ、最後に一つだけ、聞いていい??」
「……何??」
再び顔を強張らせたシュネーヴィトヘンに、レオノーラは「あぁ、警戒しないでよ」と苦笑してみせる。
「この子の名前はどうするの??」
「どうするって……」
シュネーヴィトヘンの視線が忙しなく泳ぐ。
決めてはいるものの、自分が名付けていいものかと迷っているに違いない。
「アストリッド様から言伝――、というより、貴女の、戸籍上の夫からの言伝。子供の名付けは貴女に任せる、ですって」
自分の種じゃない子の名前を考えてあげる程、お人好しな男じゃないものね、と、憐れみに似た感情――、どちらに向けてか、もしくは両方に向けてか。
事実を知らないレオノーラが憐憫を抱く一方、シュネーヴィトヘンは驚きと戸惑いでぱちぱちと瞬きを繰り返していた。しかし、すぐに真顔に戻ると、小さくもはっきりとした声で答える。
「――カシミラ。この子の名はカシミラよ」
「分かった、伝えておくわ」と告げ、レオノーラが退室していく物音を聞きながら。シュネーヴィトヘンは愛おしげにカシミラの頬に、色を失った唇を寄せた。
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