第99話 Burn the witch(8)

(1)


「……でね、赤ちゃんが生まれる予定は春頃じゃない??だから、春らしい優しい色を選んだのよ」

 ヤスミンは先程買ったばかりの布を袋から取り出し、椅子から立ち上がると布地を両手で横へと広げていく。金網越しからでも、暗い照明の下でも、布地の淡く美しい色合いは充分に見て取れた。

「えぇ、とても綺麗な色だわ。素敵ね」


 シュネーヴィトヘンが薄く微笑めば、ヤスミンは、うふふ、と照れたように笑ってみせる。はにかみながら丁寧に布地を折り畳む娘の傍らで、ウォルフィは二人を静かに見守っていた。


 数か月振りに再会した家族は、アストリッド邸で過ごした最後の夜と何ら変わっていない。

 変わったと言えば――、表向きには複雑極まる事情が絡んだ末ではあるが――、法律上、正式に家族と認められたこと。家族がもう一人増えること。

 無意識に、囚人服の上から下腹部を手錠で拘束された手で擦る。徐々に膨らんできているが、まだ目立つ程ではない。


「ママ、もしかして気分が悪いの??」 

「え??あぁ……、大丈夫よ。まぁ、癖みたいものね」

 腹を擦る手は止めないまでも、心配かけまいと微笑みを保ってみせる。

 家族との面会で気持ちが少なからず高揚しているからか、体調が良いのは事実だ。それでもヤスミンは心配そうに眉尻を下げ、金網越しに気遣わしげな視線を送ってくる。

「ならいいけど……、前より痩せちゃったみたいだし」

「ちょっと前まで悪阻が酷かったの。でも、今はだいぶ治まってきたから心配しないで」


 益々下がっていくヤスミンの眉尻の動きを止めなければ。

 ただでさえ自分のせいで彼女は辛い想いを抱えているのだから。

 否、ヤスミンだけではない。今の会話を黙って聞いていたウォルフィの顔が渋くなってきていることにも気付いていた。


「ねぇ、ウォルフまでそんな顔しないで」

「俺は、別に……」

「嘘。眉間の皺の数が明らかに増えているわ」

「金網越しから分かるものか」

「分かるわよ。この程度の障害物が阻む程度で、貴方の表情を見誤る訳ないでしょ」

「…………」

「ちょっと、こんなところでまで喧嘩はやめて!」

 言い合う両親を交互に見比べてはすかさずヤスミンが仲裁に入ってきた。

「もう!喧嘩する程仲が良いんだろうけど……、赤ちゃんが吃驚するでしょ?!面会時間だって限られているんだし!不毛な夫婦喧嘩じゃなくて、もっと違う会話するとか」


 怒っている、というより、呆れ果てたようにわざと肩で大きく息をつくヤスミンに、ウォルフィは口を噤み、シュネーヴィトヘンは気まずそうに首を小さく竦めた。とはいえ、ウォルフィは元来寡黙な質だし、シュネーヴィトヘンも改めて何を話せばいいのか……と軽く頭を捻っている。

 遠い過去を省みても、二人は同じ時間をゆったりと共有し合う中、ふとした拍子で喧嘩じみた会話を交わす――、そんなやり取りばかり繰り返していたように思う。


「そうは言ってもヤスミン。貴女だって、あの黒縁眼鏡の少尉と仲が良い割りには喧嘩ばかりしているじゃない??」

「は?!な、何で、ママが知ってるの!?」

「勘よ。アストリッド様の邸宅であの少尉と貴女が親しげに喋っているのに気付いていたわ」

 あからさまに動揺し、狼狽えるヤスミンの姿が可愛いやら可笑しいやらで、シュネーヴィトヘンはころころと笑い声を立てる。

「ち、違うわ、ママ、誤解しないで!少尉は私の護衛努めてくれてたから、自然と仲良くなっただけで」

「あら、仲が良いのは認めるのね??」

「うぅ……、百歩譲って認めるわ!最初は物凄―く大っ嫌い!!だったけど、意外といい奴だったから」

「なるほど、意外性に絆された訳」

「ちょ、違うってば!あれはお友達感覚なの!!」

「おい、リザ。ヤスミンを揶揄うのも大概にしておけ」

「ふふ、未来の娘婿に嫉妬かしら??」

「ママ!!」


 ぜぇぜぇと息を荒げて反論するヤスミンと、眉間の皺が更に増えていくウォルフィにシュネーヴィトヘンの笑いは止まらなかった。こんなに笑ったのは何時振りだろうか。

 背後では、監視役の刑務官が苦い顔付きで「不謹慎にも程がある。立場を弁えろ」と言いたげに睨みつけてくるが知ったことではない。


「リザ」


 ひとしきり笑い転げ目尻に浮かぶ涙を拭っていると、ウォルフィが重々しい口調で名を呼ぶ。彼の口調に釣られるように表情をさっと引き締めるが、続きの言葉を中々言い出そうとしない。面会時間の終了は迫っているのに――、と少し焦りを覚えた時だった。


「お前の、心から笑う顔がまた見られて良かった」

「…………」

「冬の到来も近い。寒さが本格化する分、身体を大事にしろ」

「……分かった。ありがとう」


 ここで面会終了と告げられ、シュネーヴィトヘン、ウォルフィとヤスミンは別々の扉で面会室から出て行く。ウォルフィとヤスミンは玄関に続く日当たりの良い廊下へ、シュネーヴィトヘンは地下へと続く薄暗い廊下へ。

 独房に近付く中、ウォルフィに送らせた手紙とは別に、後日リヒャルトから送られてきた手紙について、ふと考えを巡らせた。


 こちらの弱みを握った上で突き付けた条件、に見せ掛けて、彼なりの精一杯の温情なのだろう。

 自らの命と引き換えでの贖罪――、妊娠が判明してからも決意が揺らぐことはなかった。何の罪もない赤子を産み落としたら、大人しく炎の中に身を投じよう――、と。


 だが、リヒャルトは固い決意に大きな揺さぶりを掛けてきた。

 勿論、ただ揺さぶるだけでなく、別の贖罪の形を掲示さえしてきたのだ。


『貴女の返答次第では、運命を変えられるかもしれません』


 決して贖罪への強い想いが変わった訳ではない。 

 ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、愛する者達への未練がどうしても断ち切り難かった。どこまでも弱くて狡くて汚い、どうしようもない女。


 就寝時間にベッドに横たわれば、スラウゼンで虐殺した人々が脳裏で夜ごと責め立ててくる。最初は存在しない筈の影に怯えるばかりだったが、近頃では亡霊の一人一人と対話を重ねていた。

 そして気付いたのだ。例え脳内の妄想であっても、彼らと根気よく対話を重ねていくのもまた贖罪の一つなのではないだろうか。

 無論、死刑を逃れたい余りの妄言と捉えられ兼ねないので、誰にも秘密に胸にしまっておくつもりだが。


「……あなたは、どう思う??……」


 刑務官に聞き咎められないよう、腹の子にそっと、語りかける。

 胎児からは何の反応も返ってこなかった。






(2)


「……少しばかり、話を変えようか」


 会議室を満たす緊張を破るように、リヒャルトが軽く咳払いした。

 彼から見て、円卓の左側奥に座す西部司令官の肩がびくりと大きく震える。


「はっ!」

「現在の国境の状況は??」

「……特に異常はありません」

「だろうな。カナリッジとは我がリントヴルムは友好関係にある上に、あちらは国際的中立国だ。今後は国境守備の魔女を置く必要などない。むしろ、今までも置く必要などなかったのだ」


 返す言葉のない西部司令官を尻目に、今度は南部司令官へと向き直る。


「ベックマン中将」

「はっ!南部国境はペリアーノが少数のゲリラ兵を送り込もうとしますが、我が南方軍とハイリガー殿の共同戦線を張り、守備に怠りはありませぬ」

「大掛かりな進軍こそないが油断はならないな。南部は最も魔術が盛んな土地柄ゆえ、守備役の任は今後も必要だろう。フィッシャー少将。東部の国境の状況は??」

「…………」

「フィッシャー少将」

「…………」


 シュネーヴィトヘンの極刑取り下げに意見した時とは打って変わり、東部司令官は口を噤み、慎重に言葉を選び取ろうとしている。


「ふん。大方、東方軍の統率が上手くいかず、ヤンクロットの度重なる襲撃にさぞや苦戦を強いられているのでしょう」

「クレヴィング少将。貴方は黙っていろ。私はフィッシャー少将に訊いている」

「……申し訳ありません。しかし、守備に関しては……!」

「当然だ。暗黒の魔法使いの問題等国内が不安定な状況下、ヤンクロット軍に国境を突破される訳には絶対にいかない」

「勿論ですとも!私の命と東方軍に代えても国境は死守致しますから!!」

「ならば、すぐにという訳ではないが、東部にも再び国境守備の魔女が必要となってくる」

「そんな……、閣下!」

「私は若かりし頃、東方軍に所属していた。東の国境防衛の過酷さは身に染みている。あれはまさに地獄だった。国軍兵士の死亡率が一番高いだけでなく、身体だけでなく精神を病んで退役を余儀なくする者も大勢いた。軍人ならば国のために命を捧げるべきだが、無駄死させるくらいならば、魔法で命が救えるのならば……、力のある魔女、魔法使いに助力を求めてはならないのか。助力を惜しまない魔女達を認めることはできないのか」

「…………」


 あの頃の辛く苦い経験の数々が蘇り、リヒャルトの弁に自然と熱が籠っていく。


「……話が大幅に逸れて申し訳ない。私もアストリッド様をとやかく言えないな。話しを戻そう。クレヴィング少将」

「はっ!」

「北部の国境状況は??」

「エリッカヤによる進軍は特に見受けられませんが、依然緊張状態は続いております」

「ふむ……、やはり未だ静観を装っている、か……。我が国内情勢を慎重に見定めているやもしれん。常時警戒は必要だが、北部にも国境守備の魔女を置く必要はない……か」

「あのー、リヒャルト様」


 アストリッドがそろそろと遠慮がちに片手を上げる。


「何でしょう、アストリッド様」

「各国境情勢の確認と、ロッテ様の極刑取り下げと、どう繋がってくるのですかー??」


 アストリッドの疑問は各司令官も同様に抱いていたらしい。

 彼らがリヒャルトに向ける視線や顔付きは、彼女と同じく疑問に満ちていた。


「今後は必要な場所だけに守備役の魔女を配置し、あとは有事が起きた際のみ中央から緊急派遣させるように、と考えている」

「まさか、その役目を……」

「そのまさかだ」


 途端に静かだった室内が再び騒然となった。


「閣下!二度あることは三度あります!!きっと東の魔女は、ほとぼりが冷めた頃にまた反逆行為を働くやもしれません!!」

「閣下!私も反対です!!」


 主に東部と北部の司令官を中心に、反対の声が次々と上がり始める。

 南部司令官が騒ぎ立てる将官達を宥める中、リヒャルトとアストリッドは目配せし合う。


「彼女が暗黒の魔法使いに離反した理由は何か、知っているか??」

 リヒャルトが発した一言によって、会議室は何度目かの静けさを取り戻した。

 誰もが次なる発言を躊躇う中、南部司令官が場にそぐわない呑気な口調で答える。

「確か、娘であるヤスミン・シュライバーを守るため、でしたよねぇ」

「そうだ。我が子を守るためなら命さえ投げ出すつもりであった、と、聴取の際に述べていた。それだけじゃない、判決の沙汰は甘んじて受け入れるが、我が子を脅かす危険性を孕む暗黒の魔法使いが死滅していないことが恐ろしくて仕方ない、刑に処せられるまでに死滅するのか気が気じゃない、とも」

「閣下、まさか……」


 リヒャルトとアストリッド以外の、この場に集った者達全員の顔色がさっと変わった。アストリッドの右手が赤黒い靄に包まれ、数秒して消失すると、一通の手紙が握られていた。

 リヒャルトは手紙をアストリッドから受け取り、封を開ける。三つ折りに畳まれた紙を取り出し、各司令官へ順に読み回すよう命じた。


「これは、東の魔女ことリーゼロッテ・ハイネ、否、今はリーゼロッテ・シュライバーと交わした誓約書だ」


『出産後、今一度我々国軍に協力するならば極刑から無期懲役刑へ引き下げ、腹の子は半陰陽の魔女アストリッドと従僕ウォルフガング・シュライバー、及びリヒャルト・ギュルトナーの名の下、庇護と養育を約束する。ただし、万が一、反逆の姿勢を見せた場合、即刻極刑を執行する』


 アストリッドがウォルフィを伴わなかった最もたる理由――、シュネーヴィトヘンに誓約書を書かせていたことを知られたくなかったからだった。

 シュネーヴィトヘンの我が子への愛情を利用したと知れば、彼は大いに怒り、傷つくに違いない。リヒャルトとて、何も好き好んでこのような誓約書を書かせた訳ではないが、このくらいせねば反対派を黙らせるのが容易ではない。


「我が父……、ゴードン・ギュルトナー前元帥は、口約束のみで魔女達に国境守備役を任命していたが、これからは正式に『契約』を結んだ上で国の為に尽くしてもらう。勿論、彼女だけでなく、アストリッド様やハイリガー殿達にも同じく『契約』を結んでもらう。これで彼女達は我々国軍と同じ立場となる」

「…………」


 全員に行き渡ったらしく、誓約書がリヒャルトの手元に戻ってきた。

 誓約書を封筒に仕舞いながら、将官達の中で不満を抱いていそうな顔つきの者達にさりげなく目を配らせ、確認する。


「まだ納得がいかなさそうな者達がいるようだな」

「…………」


 アイスブルーの双眸を細めると、冴え冴えと光る眼光に一同は恐れをなし、萎縮する。リヒャルトは静かにスッと立ち上がり、円卓に両手をつき軽く身を乗り出した。


「国境を敵国から死守するのは各地方軍に与えられた役割だろう。しかし、まずは国内の平穏を取り戻すの先決だ。只人同士の戦闘で精一杯の君達だけであの悪魔を討ち取れるというのか??このような時だからこそ、魔女達と手を取り合い、国内外の敵から我がリントヴルムを守り抜く。それが何よりも最優先事項に他ならない。軍人だから、魔女だから、などと言うが、元を正せばどちらもリントヴルム国民には変わりない。流れている血は皆同じ。……同じ人間だということをゆめゆめ忘れるな!」


 一気に言葉をまくし立て、円卓を力一杯拳で叩きつける。

 リヒャルトの剣幕に皆が呆然とする中、隣からアストリッド、続いてベックマン中将がパラパラと拍手を送った。


 やがて、まばらだった拍手の音は時間の経過と共に大きくなっていった。

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