第98話 Burn the witch(7)

(1)


 色とりどりの裁縫糸が巻かれたボビンが整然と白木の棚に並んでいる。壁や天井の他、各棚には小ぶりのカンテラが設置され、棚の白とランプの光の照射で糸の色は一層鮮やかさが増す。

 室内に並ぶ棚を前に、淡く優しい色合いの薄緑、黄色の布を胸に抱えたヤスミンがずらりと並ぶ糸を手に取っては見比べていた。

 ヤスミンは手に取った糸を棚に戻してはまた違うものを手に取り……を繰り返した後、無難に白い糸を二つ選び取る。布と糸を抱えて奥のカウンターに向かい、会計を済ますと急いで外へと出て行く。

 暖気に包まれていた店内とは違い、外の空気はひんやりとしていてくしゃみが一つ、飛び出す。すん、と鼻を啜り、白と煉瓦色の石が交互に敷き詰められた歩道を小走りで駆けていく。歩道の両隣には様々な商店が軒を並べ、多くの人が雑多に行き交う中を西へ駆け続けること二、三分。

 歩道の中央部に、買い物や散歩途中での休憩所として利用するのに作られたのだろう、四本の円柱で支えられた屋根付きのベンチが見えてきた。

 そこに腰掛けるウォルフィの姿を認めると、ヤスミンの足は小走りから全速力へと切り替わった。


「パパ!」

「ヤスミン」

「ごめんなさい、かなり待たせちゃった、よね??」

「いや、それ程でもない。それに」

 全く気にしていない、という風に、ウォルフィはヤスミンの頭をポンと軽く撫で、立ち上がる。

「面会の時間まで充分間に合うから大丈夫だ」

「なら、いいんだけど」

「目的のものは買えたのか??」

「うん。布も糸も色をどうしようかでちょっと迷っちゃったけどね。ほら、男の子か女の子か生まれてみなきゃ分かんないし、どっちでも使える色がいいと思って」

「そうか」


 母親リザの妊娠に対し、ウォルフィは内心ヤスミンの反応が気掛かりであったが、予想に反し、『弟か妹ができるなんて!』と大喜びしてくれている。

 当初は、また無理をしているのではと懸念したが、どうやら本心から喜んでいるようで。産み月まで日が遠いというのに、『ママに代わって私が産着を作るの!』と俄然張り切っている。


「ねぇ、パパ」

「何だ」


 ヤスミンの歩調に合わせるように歩いている筈だが、やはり歩くのが少し速かっただろうか。呼び止められるままにその場で立ち止まる。すぐ隣から自身と同じ色の瞳がじっと見上げてくる。


「本当に、アストリッド様と一緒に行かなくて、良かったの??」

「ついてくるなと命令されたのだから仕方ない。あれで一応は俺の主だからな」


 素っ気ないウォルフィの返答に、ヤスミンは訴えるように無言で見上げ続けた。

 責められている、というより、心配しているのがひしひしと伝わってくる。


『リヒャルト様からの命で会議に出席することになりましたが……、今回は一人で行ってきます』

『何故だ』

『……貴方は来ない方がいいからです』

『…………』


 いつも通りのしまりのない笑顔を見せているのに。


 異論も反論も一切受け付けない。

 主の命に素直に従え。


 鳶色の双眸はそう語っていた。



 


 

(2)




「閣下、私は反対です」


 円卓の最上座に鎮座するリヒャルトを、各地方の司令官始め軍上層部の面々が囲うように座す中。ざわついていた場の空気が、確たる意思と張りを持つ一声によって静まり返る。


「理由は??」


 問う声はあくまで穏やかに、かつ、投げかける視線は鋭く。

 自身から見て右側に座す女性将校に問いかける。


「リーゼロッテ・ハイネ妊娠の件で、軍の監督不行き届きとの批判が殺到しています。出産までの延命は致し方ありません。ですが、死刑を取り下げれば国民から軍への不信感を増長させるでしょう」

「しかしながら、フィッシャー少将。我が国の法律では」

「存じ上げていますよ、ベックマン中将。法律違反だと仰りたいのでしょう??彼女が只人の罪人であるなら私も反対など致しません」

「只人、ならば、か」


 真っ当な正論には違いない、が――、言葉の端々に軍至上の主義主張が感じられる。国軍の同胞達と共に、一心に我が身を国に捧げてきたからこそ至った思想だが、一歩間違えば排他的な思想とも取れる。

 国を守り、発展に導いたのは彼らだけでなく、多くの魔女・魔法使いの助力があったからだというのに。

 助力は当然であり、軍人同等に功績を称えられることもなく、問題が生じれば必要以上に批判、攻撃の的とされる。否、何も軍人に限ったことではない。


『己の利害次第で我々魔力を持つ者を迫害したかと思えば、利用するべく庇護したり……』


 エヴァの言葉と吊り上がり切った猫目が脳裏を駆け巡る。


 人々にとって、魔女という存在は一体何だろうか。




「私もフィッシャー少将と同じく死刑の取り下げは反対ですね」


 リヒャルトから見て左側に座す北部司令官が、東部司令官の言に同調してきた。

 口を開けばいがみ合うので有名な二将軍――、大抵は彼が先に挑発するのだが――、の意見が一致するとは。珍しさも手伝い、リヒャルトは片眉を擡げて彼を注視する。

 咎められている、と、勘違いしたのか。北部司令官は一瞬だけ躊躇し身構えたものの、すぐに言葉を続けた。


「僭越ながら申し上げます。閣下はご自身が魔法使いで在らせられるせいか、魔力を持つ者――、すなわち同胞への処罰が少々甘すぎるのではないかと……」

「私が甘い、だと??」

 聞き捨てならない、と、氷の膜が張るかのようにアイスブルーの双眸に怜悧さが増していく。リヒャルトの変化に萎縮しかける己を奮い立たせようとしてか、北部司令官は鷹揚に返した。

「えぇ。前元帥以上に魔力を持つ者への肩入れが行き過ぎているのでは、と、私は常々危惧しておりましたし、一部ではそのような噂を吹聴する輩も存在するようです」

「それは貴方のことですかー??クレヴィング少将」

「なんですと?!」


 それまでずっとリヒャルトの隣の席で静観していたアストリッドが、突如話に割り入ってきた。およそ緊張した場にはそぐわない、へらへらと間の抜けた笑みを浮かべて。しかし、瞳の奥は笑っていない。


「自分も『そのような噂』を喚き散らしていた人達を目撃しましたけどー??んー、確か、ちょっと前に一元で入ったパブで!ちなみに彼らはつい最近、北部から中央へ転属してきた下士官でしたねぇ。酔いに任せてとはいえ、あれは聞くに堪えなかったですよ??」

「無礼な!証拠もないのに何を申すか?!」

「証拠??あぁ、そんなの、顔と階級を確認した上で後日調べさせてもらいました。それで彼らの今の上官に報告してですねー」

「ぐ……」


 こめかみに太い青筋を二、三本浮き立たせ、今にも噛みつかんばかりに歯を剥いて殺気立つ北部司令官に対し、アストリッドはどこ吹く風と相変わらずへらへら笑ってまくし立てる。


「あ、何でしたら、水晶玉をお借りできればその時の状況を映像として完全再現できますがー??見てみますー??」

「必要ない!第一、そ奴らはもう私の部下ではないので関係ない!!」

「えー、でもー。彼らの尊大さは一朝一夕で培われたものではないと思いますし、下士官の思想って割と上官から影響受けることが多いですしー。北部はエヴァ様達の事件以来、魔女に反感持つ者が増加したとか、司令官の貴方自身懇意にしていた亡きディートリッヒ様の背信行為に随分とお怒りだったとか」

「ああぁ、お二人共、そこまでで!!」


 見兼ねた南部司令官が間に入ったお蔭で、決して噛み合う事のない口論がようやく終了した。


「意見は同じでしょうが、貴方とは一緒にされたくないですね」

 東部司令官は、汚物でも見るかのような冷たい眼差しを北部司令官に送りつけ、それとなく呟く。侮辱といえる呟きに、北部司令官の怒りの矛先はアストリッドから東部司令官へと移行――、するかに思えた。

「クレヴィング少将、フィッシャー少将。不毛な諍いはやめたまえ」

 リヒャルトの咳払いと、怒気を含んだ声と視線が飛ばされてくる。

 逆鱗に触れてはならないと、両司令官ともに大人しく口を噤んだ。

「アストリッド様も。本題から話を脱線させるのはやめてください。場を弁えるように」


 両司令官に向けたものよりかは幾分柔らかいが、リヒャルトの心証を害したことには変わりない。アストリッドもまた、居心地悪そうに首を竦め、「申し訳ありませんでした」と素直に謝罪した。


 アストリッドを会議に参加させることで話を有利に持っていけるかと思いきや。後頭部にズキズキと痛みが走り出し、リヒャルトの眉間に深い皺が刻まれる。

 滅多に見せることのない、最高司令官の仏頂面に周囲は凍りつき、再び会議室は静寂に支配されていく。ただ一人、かつての上官である南部司令官を除いて。


「話を元に戻そう」


 さりげなく送られてくる、彼を気遣う視線を肌で感じながら、リヒャルトは重い口をゆっくりと開いた。

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