第64話 Sullen Girl(5)

(1) 


  斜めに交差する二本の国旗を飾る壁を背に、円卓の最上座にリヒャルトは座していた。傍らには、水晶玉を両手に抱えるフリーデリーケが控え、各地方の司令官やリヒャルトの側近達等、国軍上層部の面々がぐるりと円卓を囲む。

 リヒャルトとフリーデリーケを除く、この会議室に集った者達は水晶玉が映し出す映像に息を飲み、言葉を失っていた。


 マリア以上に邪悪な存在と謳われる暗黒の魔法使いが。

 国家を滅亡させようと幾多の事件を引き起こしていたとは。


「エンゲハルト准将。貴方は西の魔女殿と友好関係を築いていたそうですが……。何もご存じなかったとは、何と不甲斐ない」

「まぁまぁ。今更彼を責めたところで仕方がないでしょうに」

「そうは言いますが、ベックマン中将」

「クレヴィング少将こそ、アイス・ヘクセとディートリッヒ達の計画を見過ごしていたではありませんか。エンゲハルト准将を責める前に、ご自身を省みた方がよろしいのではないかと」

「何だと?!」

「まぁまぁまぁまぁ!クレヴィング少将もフィッシャー少将も落ち着きなされ!!」

「ベックマン中将の言う通りだ。私は、君達の失態や過失を言及するために召集した訳ではない。静粛にしたまえ」


 各司令官達の不毛な諍いを語調は穏やかに、投げかける視線は鋭く、リヒャルトは止め立てる。リヒャルトの言葉一つで、騒然とした室内はしんと静まり返った。

他の者には気付かれないよう、かつての上官だったベックマン中将と『やれやれ』と言いたげな視線を交わし合う。

 彼は一見、好々爺然とした老将軍だが、五十年前のマリア討伐作戦にて最年少で参加。同じ悲劇を二度と繰り返してはならないとの思いから、リヒャルトが謳う理想の支持者であり強力な味方でもあった。(隙あらば縁談話を持ち掛けてくるのだけは困りものだが)


「エンゲハルト准将」

「はっ!」

 リヒャルトから見て左手側、ベックマン中将の左隣に座る西部司令官の頬は、一連の騒動により随分と痩せてしまった。

「南部で発生した襲撃事件と同日、逃亡中のロッテ殿を隠匿した嫌疑によりナスターシャ殿を拘束した、と報告を受けていたが」

「それが……、ナスターシャ殿は知らぬ存ぜぬの一点張り。依然黙秘を続けておりまして……。ただ、かの使用人の素性を調査させた結果、年齢や身体的特徴が一致する者が火事で焼け出されたという記録は、少なくともここ数年の西部には残されておりませんでした」

「成る程。先程の映像から推察するに、その使用人の娘がロッテ殿だったのはまず間違いないだろう。エンゲハルト准将、貴方には引き続き、ナスターシャ殿への尋問を行ってもらう。ただ続けるだけでなく、必ずやロッテ殿やイザーク達の情報を吐かせろ。そのためであれば」


 リヒャルトの双眸に非情な光が宿り、見据えられた西部司令官の全身に悪寒が走り抜ける。


「どんな手段を講じても構わない」

「は、はっ……」

「場合によっては、イザークが彼女の窮地を救うべく西部に出没する可能性も生じるやもしれん。いつでも迎え討てるよう、西部全域に置いて常時厳戒態勢を敷くように」

「了解、致しました……」


 リヒャルトが纏う、真冬に吹き荒れる猛吹雪に似た、寒々と凍てついた空気に周囲が気圧される中。今度は右側に座る司令官達に視線を移動させる。


「クレヴィング少将」

「はっ……」

「エヴァ殿と銀狐の従僕は見つかっていない、と聞いているが」

「……申し訳ありません……」


 西部司令官をしたり顔で責めていた北部司令官は、先程とは打って変わり頭を垂れる。殊勝な態度を取られたところでリヒャルトの厳しい言及は続けられる。


「何としても二人を見つけ出せ、と言いたいところだが。捜索を開始してからとうに一か月を過ぎていることから別の地域へ逃げ延びた可能性が高い。よって、東西南北中央――、リントヴルム全域に置いて二人の捜索を開始する。必ずや二人を捕縛し、私の眼前にて身柄を引き出せ。この際、生死の有無は問わない。例え、墓の下の住人と化していても、躯を引き出せ。これは全軍に向けての指令だ」

 リヒャルトの命令にこの場に集結した者一同、声を揃えて敬礼する。

 各司令官や側近達の緊張に満ちた表情を一瞥すると、リヒャルトは再び北部司令官に向き直る。

「クレヴィング少将。北部に送った中央軍は引き上げさせるが、引き続きエヴァ殿達の捜索、及び、北の隣国エリッカヤへの警戒も決して怠るな。近年は進軍することなく沈黙を守っているが、国境守備の魔女が不在の今、国境への進軍を再開しだすかもしれない」

「と、なりますと……。東部も北部同様、国境守備の魔女の不在、前任のギュルトナー少将の殉職に乗じ、ヤンクロットが国境を攻め込む可能性が高くなるでしょうね。かの国は好戦的ですから」

「女性であるフィッシャー少将には、血気盛んな若者が多い東方軍の統制等、大層ご苦労されているのでは??」

「女であることと、自軍の統制と何の関係が??余計な口を挟まないで頂きたいものですね」

「不毛な諍いはやめたまえ、と、何度も私に言わせるつもりか??」

 隣同士、横目で睨み合う東部司令官と北部司令官を、リヒャルトは幾分怒気を交えて睨みを利かせる。

「……大変失礼致しました。東部に置きましては、ヤンクロットへの警戒及び国境防衛の強化、アイス・ヘクセ達の捜索、更には万が一ロッテ殿や暗黒の魔法使いが出没した際の対策案を立て、捕縛時の模擬訓練を実施致します」

「うむ。北部も東部も国境守備が必須の土地柄ゆえ負担は大きいだろうが、各自そのように動いてもらいたい」

「はっ!!」

「えーと、お話に割り込むようで大変失礼ですが……。閣下。地方はともかく、中央に置かれましては暗黒の魔法使いへの対策に関し、どう動かれるおつもりなのでしょう??」


 室内の空気が益々緊張を帯びていく一方で、呑気ともいえる口調でベックマン中将が突如リヒャルトに疑問をぶつけてきた。集まった者全員の視線がリヒャルトに一点集中する。


「現在、私の元で一人の少女の身柄を預かっている。彼女の母親は――、ロッテ殿だ」


 室内にどよめきが走る。

 リヒャルトの傍らに佇むフリーデリーケは、僅かに眉を潜めて彼の横顔を見下ろす。


「皆が驚くのも無理はない。誤解せぬよう言っておくが、彼女が産まれたのは二十五年前――、ロッテ殿がスラウゼンでの虐殺を行うより以前の話であり、生後間もなく南部のハイリガー殿の元へと預けられ、そこでずっと過ごしていた。母親の持つ魔力の影響か生まれながらに強い魔力を持ち、実年齢は二十五歳だが外見上はまだ十代と、特異体質を除けばごく普通の少女だ。母親についても、ごく最近まで全く知らずにいたくらいだ。だが……、先日の南部での襲撃の傍ら、イザークは彼女に目をつけ、娘を護る為にロッテ殿が阻止した」

「つまり……、その少女を囮に奴らを中央へおびき寄せる、という訳ですな」

「イザークは人が嫌がること程、喜んで実行したがる質だ。敵であろうが味方であろうが関係なく。少女が傷つけられることをロッテ殿が最も怖れ危惧するのを知りつつ、再び接触を図る可能性は充分有り得る」

「でしたら、その少女とやらを少々痛めつけてやっては如何ですか??そうすれば、少なくともロッテ殿だけでも確実におびき出せますし、捕縛も可能でしょう」


 北部司令官が耳を疑う暴言を発した途端、リヒャルトの青い瞳は殺気立ち、白金に近い髪がふわりと逆立つ。無言の激しい憤怒が室内の温度を更に引き下げ、空気を凍り付かせる。


「行き過ぎた失言でした……。申し訳ありません」

「……分かれば宜しい。話を元に戻そう。現在、ポテンテ少佐と彼女の部下達が交代で少女の護衛を務めている他、有事の際には半陰陽の魔女殿にも協力を願い出ている。万が一、イザーク達との戦闘で市街戦に発展した場合に備え、中央軍の兵士には模擬戦闘訓練、憲兵達には民間人の避難や救助訓練をすでに実施させている」


 ベックマン中将が『まぁ、そう怒りなさんな』と、視線を送り付けてくる。

 元上官にさりげなく諫められ、リヒャルトは肩で軽く息をついては心中の怒りを鎮めた。互いの密かなやり取りを隠すように、ベックマン中将は再び口を開く。


「でしたか……。ならば中央で戦闘が開始された場合、南方軍の部隊も派遣させましょう。幸いにも南部はハイリガー殿が健在です。彼女には国境守備を全任できるだけの力と信頼がありますゆえ」


 中将からの提案に、リヒャルトは円卓に肘をつき、顔の前で指を組み、逡巡する。


 他地域の軍を要請することで中央軍の士気が下がりはしないか。

 ただ、各地方の軍と違い、中央軍の戦闘経験は極めて少ない。

 常時訓練を行っているとはいえ、有事に際する不安は拭えない。


 しばし逡巡した後。

 ベックマン中将の申し出にリヒャルトは首肯し、受け入れることとなった。




(2)


 数時間に及ぶ会議は終了し、バラバラと順に会議室から人が去っていく。

 次の予定まで、リヒャルトにはまだ一時間近く残されていた。

 執務室に戻る――、ではなく、会議室と同じ階に設けられた喫煙所へと真っ直ぐに向かった。

 狭い室内で、白い煙が天井へ向かってゆっくりと揺蕩う様を、茫洋と見つめる。

 煙草を咥えたまま、冷えた石壁に一人もたれ掛かっていると、扉が開く音がした。


「あれ、随分前に煙草は辞めた筈じゃなかったかな??」

「ベックマン中将」

 慌てて咥えていた煙草を口元から抜き取ろうとしたが、「あぁ、構わんよ。今は二人だけなのだから」と制されてしまった。

「……えぇ、確かに一〇年程前に煙草は止めました――、が、ごく偶に――、疲れを酷く感じるとつい吸いたくなるのです」

「ポテンテちゃんにバレたら叱られるんじゃない??あの子、嫌煙家だし」

「少佐なら件の少女――、ヤスミン殿の様子を見に行きましたから。少なくとも三〇分は私の傍には戻ってきません」

「いやー、でも、彼女鋭いよ??」

「えぇ。勿論、説教は覚悟の上です」


 人気がない場所であれば、親しげな口振りで話しかけてくれることに、ついホッとしてしまう。気が緩んだためか、自ずとこちらも以前と同じく、畏まりながらも幾分砕けた態度で応える。

 立場上どうしても、自分よりも年齢・経験共に遥かに積んだ者達と対等に、否、上から渡り合わねばならない。

 元帥に就任して五年。多少は慣れてきたとはいえ、今でも内心は気疲れすることには変わりない。

 そんな中、場所は選べど、元上官やフリーデリーケ、アストリッドを始めとする魔女達の以前と変わらぬ態度に救われているのは、紛れもない事実。


(……アストリッド様と言えば)


 彼の次なる予定は、魔女の国家試験内容の進捗状況を確認するべく、アストリッドとの面会だった。

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