第63話 Sullen Girl(4)

(1)


 天板の角や脚に金細工が施された黒檀製の机に座るヤスミンは、難しい顔付きで魔法書と睨めっこしていた。時折、リズムを刻むように絨毯をトントンと爪先で軽く蹴っ飛ばしながら。

 天井から吊り下げられたシャンデリアの光と、窓から差し込む日差しを受けた天板はテカテカと黒光りしている。


 中央に移動して約二週間。


 リヒャルトの指示通り、ヤスミンは日中、元帥府の一室を借りて試験勉強に打ち込んでいた。

 部屋の扉の前では、エドガーを始めフリーデリーケの部下達が交代で見張りを行ってくれている。彼らは職務に忠実であり、得体の知れない小娘相手の護衛に文句一つ零すことがない。

 しかも気心の知れたエドガー以外の護衛達も気さくな者揃いで、勉強の合間の休憩にて、ちょっとしたお喋りにも嫌な顔もせず付き合ってくれる――、勿論、任務の範疇を越えない程度だが(エドガーは例外かもしれないが)、却って程良い距離感が保たれているのは有難かった。お陰で心置きなく勉強に集中できたし、自らが抱える様々な憂い事に気を取られることもなく。

 適度に静か、適度に人と関われる、精神的に負担の少ない環境を作ってくれたリヒャルトとフリーデリーケには感謝の念すら抱いていた。


(……ポテンテ少佐、か……)


 魔法書から視線を外し、一番世話になっているであろうフリーデリーケについて、ふと思いを馳せる。


 ヤスミンは現在、フリーデリーケの自宅に居候させてもらっているが、この二週間の間で彼女への印象が随分と変化していた。

 中央に到着した初日、軍の宿泊施設に二人で泊まった時も、翌日元帥府に共に向かった時も、ただただ緊張と気まずさのみを感じていたけれど。

『私が迎えに行くまで、この部屋で大人しく待機していて頂戴』と事務的に告げられた時もそうだった。


 最初に印象が変わったのは、その日の昼過ぎ、自分を迎えに、再びフリーデリーケがこの部屋に訪れた時であった。




「待たせたわね」

「…………」


 ノックと共に室内に入ったフリーデリーケは軍服姿ではなく、水色のカシュクールニットと黒のロングスカート、ローヒールのパンプスと、私服姿だった。


「貴女が家で暮らすのに必要な物を揃えるため、午後から休暇を取るって、言わなかったかしら??」

「あ、そう言えば」


 何かそんな話を聞いていたような……、でも、完全に失念していた。

 きっと自分のために無理して休暇を取ってくれただろうに、忘れていたなんて怒られるかな、と、恐る恐るフリーデリーケを見上げたが、特に咎められもせず。

 スカートの深いスリットからちらりと覗く太股とガーターベルトにドキマギしていると、「お昼も過ぎたし、買い物の前にまずは昼食を食べに行きましょう」と、部屋を出るよう促され廊下へと出て行く。ヤスミンの後ろには護衛役のエドガーが続いていたが、彼の様子が何だかいつもと違う。


「ねぇ、准尉……。ものすごーく、どうでもいいけど、何でそんな感極まった顔してるのよ??」

 フリーデリーケの後を追いつつ、彼女に気づかれないようにこそこそとエドガーに耳打ちする。エドガーも珍しく声のトーンを落としてヤスミンの質問に答えた。

「そりゃ、お前……。滅多に見られないポテンテ少佐の私服姿が見れたんだぜ??眼福しきりだっつーの」

「はあぁぁ?!?!」

「おい、声がデカい!!」


 シッと唇に指を当てるエドガーを、ヤスミンは存分に蔑みを込めたジト目で睨みつける。ウォルフィが時々アストリッドに向ける目付き、表情に、恐ろしいまでにそっくりで、やはり血の繋がりを強く感じさせられる。


「……馬っ鹿じゃないの。上官をいやらしい目で見るとか、不敬かつ不潔だわ。変態!」

「誰が変態だっ。言っておくが、俺は上官として、純粋にポテンテ少佐に尊敬の念を抱いているし憧れているんだよ」

「どーだか。どうせ、ポテンテ少佐に足蹴にされたいとか思ってるんでしょ!」

「アホか!!確かに『ポテンテ少佐に踏まれ隊』とか言ってるド阿呆共もいるにはいるが、俺をそいつらと一緒にすんな!!」

「二人共仲が良いのは結構だけど、喧嘩は止めてくれない??」


 いつもの調子で言い合いを始めた二人を、少し離れた先で立ち止まったフリーデリーケが窘めてきた。

 も、申し訳ありません!と、二人揃ってフリーデリーケに謝罪しつつ、「ほらー、怒られちゃったじゃないの!!バカッ!!」と、半ば八つ当たり気味にエドガーに文句をぶつけるのはしっかり忘れずにおいた。


 エドガーに玄関まで見送られ、元帥府を出たヤスミンとフリーデリーケは中央の中心街へと向かった。若い女性に人気が高いと評判のカフェで昼食を済ませ、周辺の雑貨屋を巡ってはヤスミンの生活用品を買い揃えていく。


「あの、お金なら私も持ってますから……!」

 昼食代も生活用品代も、全てフリーデリーケが支払ってくれることに居た堪れなくなってきたヤスミンは、何件目かに立ち寄った雑貨屋で自分で支払すると申し出た、が。

「いいのよ。気にしないで。貴女を呼び出したのはこちらなのだから負担するのは当然よ」

「でも……、わざわざ時間割いてもらってるだけでも申し訳ないのに……」

「それも気にしないで頂戴。こう言ってはなんだけど……」


 ヤスミン用のマグカップを選ぶため、商品棚に並ぶ中の一つを手に取りがてら。フリーデリーケは、くすっと軽くヤスミンに笑いかけた。

 初めて見るフリーデリーケの笑顔に衝撃を受けるヤスミンだったが、笑顔と共に続いた言葉に更に驚かされることに。


「ちょっとだけ楽しんでいる自分がいるの。私には兄一人と弟二人と……、男兄弟しかいなかったから。年の離れた妹ができた気分なのよ」

「…………」

「仮にも任務の一環なのにこんな風に考えるのは不謹慎だし、貴女にとっては迷惑かもしれないけど」

「そんなことないです!……って……」


 フリーデリーケの自嘲的な発言に大声で反論すると同時に、店内の人々から注目を集めてしまったヤスミンはたちまち身を竦めた。


 有能だけども、きつくて冷淡でとっつきにくい。

 正直、苦手意識を抱いていたフリーデリーケの意外な一面に、ヤスミンの中で彼女への親近感が湧き起こり始めていた。



(2)


 必要な物を全て買い揃えた頃には空一面、茜色と橙が混じり合った夕焼けに染まっていた。進行方向と西日が重なり、互いに目を細めながら帰路を――、フリーデリーケの自宅までの道筋を辿る。

 道中、場所は定かではないが――、ギターやアコーディオンなどの楽器演奏が流れてきた。


「あぁ……、中央もそろそろお祭りの時期だものね」

「お祭り、ですか??」

「えぇ。年に一度、通りと言う通りに露店が並んだり、一日中楽隊が至る所で演奏したり大道芸人達が芸を競い合ったりするみたいなの。あとは、元帥府へ続く大通りを大掛かりなパレードが行進するとか」

「へぇ、楽しそう!!」

「確か、今年は国家試験日の翌日がお祭りの開催日じゃなかったかしら」

 試験、と耳にした途端、ヤスミンはうっと言葉を詰まらせる。

「試験が終了すれば、ある程度自由に行動させてもらえるかもしれないから、一度元帥に相談してみるわね」

「えっ、いいんですか」

「ただし、護衛を付けるのが条件だけど」

「……ですよね」

「まずは試験を頑張らなきゃ駄目よ」


 あはは、と、乾いた笑い声を立てるヤスミンを、フリーデリーケは苦笑交じりに窘めてみせる。徐々にではあるものの、二人が確実に距離を縮めていく中、中心街から西へ徒歩で向かう事、三〇分弱。黒煉瓦造りの、ややいかめしい外装の建物、フリーデリーケの自宅マンションに到着した。

 入り口正面、玄関ホールに入れば、四方の壁は外装同様に黒煉瓦、床は黒い大理石と、重厚な雰囲気を醸し出している。玄関ホールを抜けて階段を三階まで上がる。303と扉に書かれた部屋の呼び鈴をフリーデリーケが鳴らすと、中からふっくらとした中年女性が玄関の扉から顔を見せた。


「はい、どなた??って、あら、ポテンテさん!!こんばんはぁ!」

「こんばんは、夕食時の忙しい時間にごめんなさい」

「いいえー、今日はいつもより早いお迎えねぇ……、って、こちらのお嬢さんは??」

「彼女は私の親戚の子で、しばらく中央に滞在するらしいので預かることになったんです」

「まぁ、そうなの……。ただでさえお仕事で忙しいのに大変ねぇ……。あぁ、お喋りしている場合じゃないわよね、すぐに連れてくるわ」


 パタパタとスリッパの音を立てて女性は一度中へ引っ込み、玄関前で待つこと数十秒。

 扉越しに、にゃあ、という鳴き声と共に再び扉が開き、耳、鼻先、四本の足先、尻尾の先が薄灰色、身体全体は真っ白な毛並みをした長毛種の猫が女性の腕に抱かれていた。


「はーい、飼い主さんのお迎えよぉー。良かったわねぇ」

「いつも預かってくれるので助かっています」

「いいのよー、気にしない気にしない。家の子供達の遊び相手にもなるし」


 フリーデリーケは両手にぶら下げていた紙袋を全て左肩に掛け直し、女性の腕から猫を抱き取った。飼い主の腕に抱かれた猫は、ゴロゴロと喉を鳴らして彼女に甘え始める。


「少佐が猫を飼ってたなんて……、ちょっと意外です。この子の名前は……??」

「ルドルフよ」


 隣の部屋、302と表示された自宅に案内しがてら、フリーデリーケは猫を飼い始めたきっかけをヤスミンに語り始める。

 

「まだ南部に駐屯していた頃、七年くらい前かしら??真冬で連日大雪が続いていた時期に、軍用車のエンジンルームに入り込んでいたのよ。当時、中佐だった元帥閣下がエンジンを掛ける寸前に『猫の鳴き声がする』って言い出されて。雪が降りしきる中、ボンネットを開けて必死にこの子を助け出したの」

「元帥閣下が?!」

 

 リヒャルトの意外な一面を知り、驚く間にも廊下を抜け、奥の居間まで二人は突き進んでいた。

 居間の真ん中には二人掛けの椅子とテーブル、椅子の傍の壁に沿って本棚と飾り棚が並んで置かれ、椅子とテーブルの下に敷かれた絨毯と窓のカーテンは青系の色調で統一されている。機能性を重視した家具の作りや最低限の生活用品しか置かれていないことも含め、全体的にすっきりした印象の部屋だ。


「でもね……」

 当時の記憶を鮮明に思い出したのか、フリーデリーケはふふっと口許を綻ばせた。

「エンジンルームから無理矢理引っ張り出されたのが余程怖かったみたいで……。閣下の手や腕を散々引っ掻いたり噛みついたあげく、すっかり嫌われてしまって。本来は閣下が飼う予定でいたのだけど……、目が合う度にシャーシャー威嚇されて埒が明かないからって、代わりに私が飼うことにしたのよ」

「そ、それは、元帥閣下も大変でしたね……。だけど、お優しい方、なんですね」

「えぇ……、優し過ぎるくらいね。だから、貴女のことも決して悪いようにはしない、と……、どうか信じて欲しいの」

「…………」

「さ、昔の話はここまでにして。夕食の準備をするから、この椅子に座って待っていて」

 

 ルドルフを腕から降ろすと、フリーデリーケは目線を椅子の方に向け、ヤスミンに座るよう促したのだった。

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