第65話 Sullen Girl(6)

(1)

 

 元帥府は、王都の南北に流れる大河から約八〇メートルの高さを誇る丘の上に位置し、丘の裏手側の麓には士官学校の校舎及び宿舎、演習場、隣接して国軍の演習場及び射撃場、憲兵司令部の本部等、軍用施設の数々が設けられている。

 王都全体を高みから見下ろすようにそびえる元帥府へ向かうには、大河に掛かる鉄の大橋を渡らなければならない。

 鉄橋から丘までの距離も長く、かなり急勾配の坂であり、徒歩でも行くには行けるが体力と時間を要するのは間違いない。間違いない筈なのだが――、無謀にも鉄橋の両端の歩道を果敢にも進み続ける人物達がいた。

 一人は颯爽と坂を上がっているのに対し、もう一人はぜぇぜぇはぁはぁと乱れきった呼気を吐き出し、上半身を九の字に折り曲げてはふらふらと覚束ない足取りで辛うじて歩き続けている。


「……うぉぉ~るふぃぃぃ~~、もっとゆっ~くりぃ~~、ゆ~っくりぃぃ~~……、あるいてくらさいよぉぉぉ~~」

「断る。あんたに合わせていたら指定された時間より大幅に遅れる」

「だ~か~らぁぁ~~、転移で執務室の前に行けばぁ~~ってぇぇ~~」

「無暗やたらと魔法に頼るな。中央で過ごす時くらい、『出来るだけ市井の者達と同じような生活を送りたい』と言っていたのは、あんた自身だろう」

「それとぉぉ~、これとはぁぁ~、違……」

「少なくとも無駄口叩けるだけの体力は残っている」


 これ以上アストリッドの文句になど付き合っていられるか、と、ウォルフィは坂を上がる歩みを更に速めた。散歩を嫌がる犬並みの抵抗を示す主に気を遣うより、約束の時間に遅れてはならない焦りの方が大きいからだ。

 へばっている癖にウォルフィの内心を見抜いているアストリッドは、「……いいんだぁ~、いいんだぁぁああ~~、どうせ~~、ウォルフィはぁ~~、主よりもぉぉおお~~、元帥閣下様の方がぁぁ、大事なんだぁぁ~~」と、いじけ始めていた。

 決して本気でいじけている訳ではなく、単にウォルフィの良心をちくちくと刺して地味すぎる圧力を掛けたいだけに過ぎない。当然、ウォルフィにとって、頬を撫でる春のそよ風並みに、全くといっていいくらい何の効力も齎していない。

 肩を大きく上下させ、荒い呼吸を繰り返しては、ぐぬぬ……、と、悔しげに小さく呻く。


「も、限界ぃぃ……」


 万感尽きたとばかりに、アストリッドはその場でしゃがみ込み、抱えた膝に顏を埋めた。橋のはるか真下から、流れゆく河のせせらぎが微かに聞こえてくる。

 その音と共に、歩道を踏む足音がこちらへと向かってくる。足音が止むと、アストリッドはまだ荒い息を吐きながら顔を上げる。

 顔を上げた先には、さも面倒臭そうに眉間に皺を深く寄せたウォルフィが立っていた。目付きからして怒っているのは明らかだった。

 しかし、自身の怒りとは別に、アストリッドに背を向けてしゃがみ込んだ。無言を通しているが、暗に『背中に乗れ』と言いたいのだろう。


 ウォルフィが(仕方なしに)見せた気遣いに、アストリッドが遠慮なく甘えるつもりで立ち上がろうとした時であった。


 この鉄橋、両端の歩道の間は二車線の車道となっている。主に元帥府や麓の軍用施設で働く軍人達が使用しているため、鉄橋を走行する車の大半は軍用車であり、今もアストリッド達が歩く歩道の横を何台か通り過ぎて行く。

 その、走行する軍用車の内一台が、アストリッド達の傍に近付き、停車したのだ。


「これは、半陰陽の魔女様と従僕殿ではありませんか。こんな場所で一体どうなさったのですか??」

 運転席の窓を開け、顔を覗かせた男が二人に声を掛ける。

 男の声掛けでウォルフィはすぐに立ち上がるが、アストリッドはしゃがみ込んだまま顔だけを男に向けた。

「元帥府に向かう途中なんだが、この馬……、アストリッドがへばって動かなくなってしまったんだ」

「あぁ、この橋を渡り切るには相当体力使いますからねぇ……。良ければ、私がお二人を元帥府まで車で乗せていきましょうか??」


 『俺が担いでいくので気遣いは無用』と、ウォルフィが断りを入れるより数瞬早く、アストリッドは、鳶色の瞳をわざと潤ませては縋るように男をじっと見つめた。即座に気付いたウォルフィは、こいつ……、と、可愛い子ぶった表情を辞めさせるべく、一発どついてやろうとした、が、時すでに遅し。


「どうぞ遠慮なくこちらに乗って下さい!!さっ、従僕殿も一緒に!!」

 アストリッドの色仕掛け(?)にまんまと騙された男は、いつの間にか運転席から降り立って二人に車に乗るよう口早に促してきた。しかも、ご丁寧にも助手席と後部座席の扉を開け放して。

「わぁい!ありがとうございます!!本当、助かりましたぁ!!」


 先程までの、死人さながらのどんよりした表情から一転、アストリッドは溌剌とした満面の笑顔を浮かべた。反対に、ウォルフィの眉間の皺は益々深くなる一方である。

 助手席に乗り込む際、アストリッドは男に気づかれないよう、イザークとよく似た類の意地悪そうな笑みを、ほんの一瞬だけウォルフィに見せつけてきた。いっそ橋の上から河に投げ落としてやろうか。

 あらぬ考えが頭を過ったが、仏頂面を下げながらウォルフィも後部座席へと乗り込む。


 アストリッド達を乗せた軍用車は十五分程で元帥府に到着した。

 数多くの美しい彫刻が飾られた入り口の大門を潜ると、中は古い煉瓦と石灰岩で作られた幅の狭いトンネルとなっている。

 トンネルの中を潜り抜けて外へ出れば、目の前には左右対称にそれぞれ四つの広い花壇が設けられ、春の花々が整然と咲き誇っていた。テラスになった中庭を過ぎ、奥に元帥府の玄関へと続く階段を上っていく。


「そう言えば……、お二人は元帥閣下の新しい執務室の場所をご存知ですか??」

「えっ、知りません知りません!変わっちゃったんですか?!」

「はい。先日、アイス・ヘクセの従僕が閣下の執務室で粛清されたのが元でして」

「なるほど―、って、ウォルフィは知ってますか??」

「あんたと共にずっと南の魔女の元にいた俺が知る訳ない」

「もし宜しければ、執務室の近くまでご案内しましょうか??」


 男は余程人が好く、親切な質なのだろう。

 男の、このありがたい申し出には、アストリッドだけでなくウォルフィも素直に甘えさせてもらうことにした。




(2)


「ご多忙の中、わざわざお越し頂き大変ありがたく思っています」


 男のお蔭で迷うことなく時間に遅れることもなく、執務室に入った二人をリヒャルトは微笑みながら出迎えた。アストリッドに、応接セットに座るよう促すと、自らも反対側へ腰を下ろす。

 アストリッド達の訪問時間に合わせてか、ティーセットをトレイに乗せて、フリーデリーケが入室した。


「では、早速始めましょうか」


 フリーデリーケがトレイに乗せたもの全て、ローテーブルに並べ終わるのを見計らい、アストリッドが一声発し、それが合図だったようにウォルフィが退室する。


「少佐。しばらく手隙となるだろう??もう一度、ヤスミン殿の様子でも見に行ってあげなさい」

「了解しました」


 リヒャルトの指示に従い、フリーデリーケも間もなく退室。

 ウォルフィとフリーデリーケが執務室から去るやいなや、アストリッドは短く詠唱する。

 ローテーブルの空いた場所がほんのりと赤黒い靄に包まれ、やがて消え去ると――、山積みの魔法書と試験問題の出題候補を纏めた紙の山が出現した。これからアストリッドとリヒャルトで、試験問題候補の中から正式に出題する問題を決定する話し合いを始める為に。

 過去に出題された試験問題ならともかく、試験問題の取り決めの場は誰にも見られてはならない。彼らが最も信頼する従僕達――、ウォルフィとフリーデリーケですらも話し合いが終了するまでは室内に立ち入ることは許されない。

 だが、厳しい規定に反し、当事者のアストリッドとリヒャルトは談笑混じりに、実に楽しそうに話し合いを進めていた。

 特にリヒャルトの方は年甲斐もなく童心に返ったように胸の奥が湧き踊る。

 幼少期から羨望の対象だったアストリッドと対等に、魔法に関わる話が出来るのが嬉しくあった。


 話し合いは順調に進み、二杯目の紅茶が温くなり始めた頃。

 アストリッドの細い首筋にふと目が留まったリヒャルトはあることに気付く。


「まだ、あの時のネックレスを身に付けてくれているのですか」


 試験問題が記された紙を読んでいたため、俯いていたアストリッドは声に釣られて顔を上げる。長袖Tシャツの襟と首元の隙間から、細く華奢なチェーンのネックレスが覗いていた。


「『中央でのんびり過ごす時は身に付けるようにします』って約束ですし。小さな男の子がお小遣いを手に握りしめて、一生懸命選んでくれた気持ちも嬉しいですし。何より、自分もこのネックレスが凄く気に入ってますから」


 ネックレスは天井を飾る照明器具の光を受け、儚げで繊細な輝きを放っている。

 二十七年前、中央の祭りに出掛けたがっていたリヒャルトを、人込みは危険だからと反対した両親を説き伏せ、アストリッドが連れ出してあげたのだ。

 祭りの雰囲気を存分に楽しみつつ、何も買おうとしなかったリヒャルトだったが、唯一、銀製品を売る露店にて、月と太陽を模した小さな小さなチャームを幾つも繋げた安物のネックレスを買ったのだ。

『アストリッド様へのプレゼントです!』と、にこにこと天使の笑みでアストリッドへ手渡すために。


 以来、壊れることを懸念し、危険が付き物の旅では外しているが、それ以外の時にはこのネックレスを身に付けるようにしていた。


「そう言えば、今年のお祭りは魔女の国家試験の翌日でしたね」


 試験問題を机上に置きがてら、どこか感慨深げに呟いた瞬間、アストリッドの中で何かが閃いた。


「……ヤスミンさんも好奇心旺盛な質ですし、もしかしたら、お祭りに行きたがってたりして」

「かもしれませんね」


 何となくだが、アストリッドが次に発する言葉を予測しつつもリヒャルトはあえてとぼけてみせる。アストリッドはすぐに続きを口にせず、勿体つけるように冷め切った紅茶を一口だけ、喉に流し込む。


「リヒャルト様。試験が終わりさえすれば、多少はヤスミンさんを自由にしてあげられますよね??」

「…………」


 リヒャルトはあえて肯定もしなければ否定もしない。彼もまた冷め切った紅茶が残るカップに口をつける。無言を示すリヒャルトに臆することなく、アストリッドは続けた。


「リヒャルト様、お願いがあります。ウォルフィとヤスミンさんを、一緒にお祭りに行かせてあげてください」

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