第61話 Sullen Girl(2)

(1) 


 虹色の光が薄れゆく中、到着した部屋の扉を前にフリーデリーケは軽く嘆息した。

 ヤスミンと共に、ハイリガーが発動させた転移魔法で元帥府に移動したものの。

 ディートリッヒの粛清が原因により、リヒャルトの執務室の場所が変わったことをハイリガーは知らずにいたと思い出したのだ。


「元帥閣下の執務室はここじゃなくて別の部屋なの。荷物を持ったままで申し訳ないけど少しだけ歩いてもらうわ」

「はい」


 フリーデリーケから付いてくるよう促されたヤスミンは、深緑色の絨毯が敷かれた長い廊下を重い足取りで歩き始める。両側の壁には燭台が等間隔に設置され、ぼんやりと朧げな光が足元を照らしている。

 五十年前までは王族が居住する城だっただけに、壁紙の模様や天井に描かれた宗教画、壁に設置された燭台等の照明器具、扉の把手一つ一つの作りに至るまで、軍部の本拠地とは思えぬ華美さ、壮麗な内装は夜闇の中でさえも目を引かれた。

 もしもヤスミンがたった一人でこの場所に訪れたとしたら――、だだ広い城内で間違いなく迷い、途方に暮れてしまうだろう。迷うことなく執務室を目指すフリーデリーケの背中を追いながら、この城、否、元帥府の主に当たるリヒャルトについて、考えを巡らせる。


 リヒャルトは元帥に就任する五年前まで南方司令部に配属されていた。

 ハイリガーとも親交は深く、彼女の弟子達も含めた会食の席などで魔法や国の未来についてよく語らっていたという。

 しかし、(実年齢はともかく)当時幼かったヤスミンでは所謂大人の話についていけなかったため、軍部との会食に参加できず、彼と直接顔を合わせて話す機会がなく。新聞記事や雑誌の掲載写真を目にするか、ラジオから流れる演説を耳にするか。一般国民と何ら変わりない関わり方(そもそも関わってすらない)しかしていない。

 天上の人と言っても過言でない、遥かに遠い存在――、に、出生の秘密を始め、己の根幹に関わる情報を把握されていたと思うと、正直怖くて堪らない。

 時間の経過と共に頭が冷えてきたのはいいが、混乱と入れ替わって今度は恐怖と激しい緊張感に見舞われ始める。自然と足取りも重くなっていくものの、フリーデリーケを見失う訳にはいかない。小走りで後を追い、廊下を進んでいく。すると、一つの扉の前でフリーデリーケは立ち止まり、ヤスミンを振り返った。

 急に立ち止まられたのと小走りだったせいとでヤスミンはつんのめり、軍服の上からでも豊かだと分かる胸元に顔を埋める形でぶつかってしまった。


「も、申し訳ありません!!」

「いえ、大丈夫よ」

 顔を赤らめたかと思うと青褪めさせたり、忙しなく百面相するヤスミンをフリーデリーケは何事もなかったように受け流し、扉を叩く。

「失礼します。ギュルトナー元帥閣下。フリーデリーケ・ポテンテ、ただ今ゾルタールより戻りました」

「ご苦労。入りたまえ」


(……あれ??)


 演説の時とは異なる、穏やかな声色に思わず戸惑う。

 首を傾げながらフリーデリーケに続き、執務室の中へと足を踏み入れ。

 扉から見て正面、執務机に座る、この国の実質的な最高権力者と初めて対面を果たす。


「…………」


 ヤスミンの想像以上に、リヒャルトの容貌は若く端正であった。

 成人男性には珍しいプラチナブロンドの髪、色味こそ冷たいが温厚そうなアイスブルーの双眸も相まって、不敬にも軍人よりも役者の方が余程似合うのでは、と、思う程に。


「元帥閣下のご命令に従い、ヤスミン殿を中央へお連れ致しました」


 柔和な笑みを浮かべてフリーデリーケから一連の報告を受ける姿を、訝しげにまじまじとヤスミンは眺めていた。不躾とも取れる視線を気にする風でもなく、報告が終わるとリヒャルトは席を立ち、ヤスミンの元へと歩み寄る。

 一見すると優男だが、一八〇を優に超える長身に見下ろされれば、やはり威圧感はぐっと増す。二人の対面の邪魔にならないよう、フリーデリーケが脇へ控えてしまったのも手伝い、ヤスミンの緊張感は高まる一方であった。


「お、お初にお目に掛かります。南部国境守備を担当する大魔女ハイリガーの弟子が一人、ヤスミン、と申します」

「国軍元帥、リヒャルト・ギュルトナーだ」


 両手で抱えていた鞄と日傘を床に下ろし、ワンピースの裾を持ち上げ、軽く腰を落とす。ヤスミンのたどたどしい挨拶を、リヒャルトは微笑ましげに見つめながら右手を差し出してきた。握手を求められたヤスミンは、ぎこちなくリヒャルトの手をそっと握ってみせる。


「南部での騒動直後にも拘わらず、夜分遅くに強引に中央まで呼び出したこと、大変申し訳なく思っている。疲れているだろうから、あちらの長椅子に座って話をしよう。ポテンテ少佐。戻って早々のところ悪いが、ヤスミン殿にお茶と……、何か甘い菓子でも用意してくれないか」

「承知致しました」

「そんな、お気遣いなく……」

「いや、我々からのせめてもの詫びだよ」

「……はぁ……。……って、あの、ちょっと!!閣下?!」

「うん??何だね??」

 

 さも当たり前のように、床に下ろしたヤスミンの荷物をごく自然に持ち運ぼうとするリヒャルトを、ヤスミンはあわあわと取り乱しては止め立てようとした。


「に、荷物!!荷物、私、自分で持ちますって!!」

 リヒャルトは(見た目の)年相応のヤスミンの反応を見て、声を立てて笑うばかり。

「お疲れの女性の荷物を持つのは男として当然だろう??いいから、君はあそこで座っていなさい」

「いえ、でも……!」

「それとも、あれかな??私のようなおじさんに私物を触られるのに抵抗があるとか??」

「それはないですないです、絶対にないです!!そもそも、元帥閣下は全然おじさんなんかに見えません!!!!」

「そうか。お世辞であっても、君みたいな若いお嬢さんにそう言ってもらえるのは非常に嬉しいものだね」


 ふふん、と、鼻を鳴らしてにやけるリヒャルトに、ヤスミンの中で彼の印象が良くも悪くも崩れていき、いつの間にか緊張と恐怖心は綺麗に払拭されてしまった。




(2)


 ローテーブルを間に、対になった長椅子に二人が座ると、茶器を乗せたトレーを手にフリーデリーケが執務室に戻ってきた。


「元帥。ヤスミン殿を揶揄うのも程々になさってください」

「別に揶揄ってなどいないよ」


 紅茶のカップと茶菓子の皿をそれぞれの元に置きながら、フリーデリーケはリヒャルトを嗜めた。常に無表情を保つフリーデリーケが、呆れ返った表情を隠しもしないのが新鮮でつい目を奪われていると。


「では、早速本題に入らせてもらおうか」

「は、はい!!」


 茶器をローテーブルに置き、姿勢を正す。

 先程までとは打って変わり、リヒャルトの表情は硬く引き締まっていた。


「ポテンテ少佐からすでに聞かされただろうが……。君には約一か月後に迫った魔女の国家試験を受験するという名目で、中央に滞在してもらいたい」

「マ……、私の、母、である、東の魔女様や彼女と繋がりを持つ暗黒の魔法使いを中央へおびき出すため、ですね……」

「端的に言えば、そういうことになる。危険な役目を引き受けてくれたからには、二十四時間体制での護衛を付け、身の安全の保障は当然、試験勉強に集中できるだけの環境――、勉強面や生活面だけでなく精神面も含めた援助は惜しみなく、最大限行わせてもらう」

「……はい……」


 『いらないから捨てた子』なんか、果たして餌と成り得るのか。

 血の繋がりの絆が、必ずしも絶対ではないのに。


 喉元まで出掛った疑問や自嘲を口に出し、二人に訴えていいものか――

 リヒャルトの話を聞きながらヤスミンは迷い続けた、が。


 結局、胸の内に流し込み、言い出すことはなかった。



「――で、今夜は軍管轄の施設にポテンテ少佐と共に宿泊してもらう。明日以後、中央滞在中は少佐の自宅で、彼女の職務中は元帥府の一室で護衛を付けた上で過ごしてもらうことになる」

「あの……、ポテンテ少佐の一緒の時の護衛は……??もしかして、少佐お一人だけ、ですか……??」


 途端に不安に駆られるヤスミンの反応は想定内だったのか。

 それまで脇に控えていたフリーデリーケはリヒャルトと目配せし合うと、ヤスミンの元に近付いていく。


「ヤスミン殿。『密偵の魔女イーディケ』の噂を耳にしたことはあるかしら??」

「は、はい。ちらりと聞いたことは……」

「イーディケは私なのよ」

「えっ……?!」

 ヤスミンは驚きの声を上げ、二人の顔を交互に見比べた。

「私以外の者には長年内密にしていたことでね。あえて国家資格こそ取得していないが、彼女の魔力と戦闘魔法は国境守備の大魔女達にも引けを取らない。私の護衛を任せられるだけあって、体術、射撃、暗器操作等の腕も一流だ。だから安心して彼女に護衛を任せてくれないか」

「…………」


 エドガーと一時的に別行動を余儀なくされた理由は、彼にイーディケの正体を知られないためだったのか、と、腑に落ちる一方で。

 機密を知った以上、己が望むとも望まざるとももう後戻りはできないのだと、じわじわと実感せざるを得ない。


「承知、しました……。そういうことでしたら納得できますし……、あと、イーディケの正体については内密にします……」


 身に降りかかってくる重圧に潰されてなるものか、と、ヤスミンは唇を真一文字に引き結び、膝の上でスカートをぎゅっときつく握り締めていた。

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