第六章 Sullen Girl

第60話 Sullen Girl(1)

(1)

 

 初夏の生温い風に乗って、奇妙な笛の音が街中へと流れてくる。

 通りで開かれた市場の喧騒、広場で行われる楽隊の演奏に紛れて。

 様々な種類の音達にかき消され、大半の者達――、特に大人達は、やや調子の外れた独特な高い音に気付きすらしていない。しかし、何故か子供達にだけは、はっきりとその音が聞こえている。


 あの笛の音は、一体何処で誰が流しているのだろう。


 音の正体を探るべく、子供達は次から次へと集まり、街の大通りを一列になって練り歩く。

 最初に飛び出したのは、好奇心旺盛な腕白坊主やお転婆娘数人だけだったのに。

 彼らに触発されたのか、はたまた鳴り止む気配が一向になく、延々と続く不思議な音色に誘い込まれたのか。

 普段は家に閉じ籠っている内気な子、身体の弱い子、まだよちよち歩きしかできないほんの幼子までもが列の中に混じっていく。まるで、巨大な百足が無数の肢を蠢かせているように。大人達は市場の買い物や広場での催し物に夢中だったり、大聖堂でのミサに参加している最中なので異変に誰一人として見向きもしない。

 子供達の列はもはや小規模の行軍といっていい程の人数が集まり、遂には街の入り口である大門へ、今まさに街の外へ出て行こうとしていた。

 列になった子供達全員が大門を抜け、街を出て行っても尚、笛の音は止まらない。中天に昇っていた太陽は徐々に西へと傾き始め、空の青は橙色と混じり合った群青へと変化していく。空を覆う雲も白から薄灰色へ、雲間からは細い三日月が薄っすらと覗き始めた頃。


 笛の音は、いつの間にか、止んでいた。


 ここで大人達は長い夢から覚めたように、異変が起きたことに気付き――、消えた子供達の名を必死に叫んでは捜索を始めた。

 月と星が不吉な輝きを放つ夜闇の中、大人達の悲痛な呼びかけが一晩中続いた。

 夜が明けた翌日からは周辺の他の街まで足を拡げ、子供達の行方を捜した。


 捜した、捜した、捜した、捜した、捜した――

 けれども、集団失踪した子供達の内誰一人として、見つかることはなく――


 我が子を失い、悲嘆に暮れる大人達の手で大門の前には子供達の慰霊碑が立てられ、悲しくも奇妙なこの話は、中央の王都で長らく語り継がれることとなった。







「……それで、いなくなった子供達は最終的にどうなったのか、分かりますか??」

「そんなの知らないわよ」


 近代的な作りの家々がほとんどを占める、ここ中央に置いて。

 近世の遺産とも言える、木造の骨組みを外部に露出させた煉瓦造りの家は珍しい代物だ。当然だが廃墟と化した空き家であり、長い年月を経て煉瓦はすっかり日に焼けて赤茶け、部分的に削れたり欠けたりもしている。

 空き家を囲む鉄柵も錆びついて煉瓦と似た赤茶色に変色、かつては美しい花々に彩られていたであろう庭の花壇は伸び放題の雑草に埋め尽くされていた。

 古びた外観同様家の中も荒れ果て、床の上、高級な代物だと見て取れる家具調度品一式の上にも、たっぷりと埃が降り積もっている。柱や天井には無数の蜘蛛の巣が張られていて、気を付けないと顔や頭に蜘蛛が落ちてきてしまう。


 薄闇の中、蜘蛛が上から降ってこないか、と、しきりに天井を見上げてばかりいるシュネーヴィトヘンと、彼女の隣で終始怯えた顔で佇むロミーに向け。イザークは埃を魔法で振り落とし悠然と椅子に腰掛けながら、中央で何百年も語り継がれる「魔笛事件」の話を唐突に話し出したのだ。

 また、下らない話を……、と、徐に顔を顰めるシュネーヴィトヘンを「まぁまぁ、そう怒らないでくださいよ、リザ様」と、イザークはおどけた口調で宥めてくる。


「その名は呼ばないで、と何度言わせるつもり」


 表情を険しくさせるシュネーヴィトヘンに、イザークはただニヤニヤ笑ってみせるのみ。険悪な雰囲気の二人の機嫌を窺うように、ロミーは二人を交互にちらちらと見上げた後、消え入りそうな声でおどおどと呟く。


「……も、もしかして、子供達は、皆、この世から天国へ全員送られちゃった、とか……」

「おや、随分といい線をついた答えですねぇ」

 上目遣いで視線を彷徨わせるロミーに、イザークは出来の良い生徒に対する教師のように褒めてみせる。

「でも、残念ながら、子供達が送られたのは天国じゃないですよ」

「えっ、じゃあ、何処に……」


 イザークの口角は益々吊り上がり、口元に湛えた笑みが一段と深くなる。

 美しいけれどどこか狂気掛かった表情に、ロミーもシュネーヴィトヘンも背中にゾッと悪寒が走り抜ける。


「地獄ですよ。生き地獄と言う名の、ね――」


 この言葉だけで魔笛を吹いていた者の正体も失踪した子供達の末路も、二人は瞬時に理解できてしまった。


「……で、今度は数百年前に起きた魔笛事件を、中央で再現させるつもり、な訳……??」

「察しの良い方で本当助かりますよ、リザ様。各地域での事件のみならず、中央で大きな事件が起きれば……、それも大勢の子供が犠牲となるような……。流石にギュルトナー元帥への国民の信頼と支持は著しく失墜するでしょう??場合によっては退任も免れないかもしれません。彼が掲げる、『魔法を使う者と一般国民、軍事が完全調和する国』などという理想など、砂糖菓子よりも甘ったるい戯言や夢物語でしかないことを、とくと思い知らせてやりたいのですよねぇ。」

「…………」

「あぁ、そうですねぇ……。いっそのこと、凄惨な死を賜ってやってもいいかもしれません。くだらない夢に溺れた者に下される鉄槌を、国民に知らしめるのもまた一興!」


 悪戯を仕掛けようとする少年のような、無邪気さすら湛えるイザークの笑顔に、シュネーヴィトヘンは口元を引き攣らせて言葉を失う。


「あぁ……、考えるだけで楽しくて堪らないですねぇ……。あ、そうそう、ロミーさん」

「……へ、えっ?!」

 急にイザークから呼び掛けられ、ロミーは驚く余り、身体が宙に浮くのではという程に飛び上がった。

「今回は、貴女にも協力してもらいましょうか」

「えっ……」

「貴女は一度は罪を見逃してもらったにも拘わらず、再び罪を犯した」

「そ、れは……」


 あんた達が、あたしを唆したからじゃない――、と、声を大にして叫びたいのに。彼に消し炭にされかけた時の恐怖が頭を離れないせいで、どうしても口答えできない。


「でも、ギュルトナー元帥さえ始末すれば――、貴女の罪を知り裁ける者がいなくなりますから、犯した罪への処罰を免れるかもしれない。それから……、家族から愛され友達にも恵まれた子供なんて、素直な良い子に育つのは当たり前じゃないですか。痛い目に遭っても捩れずに育つか、心を閉ざして捩れてしまうのか――、ちょっと見てみたいと思いません??」

「…………」


 イザークの言葉に、恐怖とは別に、ロミーの中で保身と昏い好奇心がむくむくと擡げだす。彼女の迷いや葛藤を察したイザークは一際嬉しそうに微笑み、シュネーヴィトヘンの美しい顔は益々持って曇ってゆく。

 図らずも巻き込んでしまったロミーに少なからず同情心を抱いてはいるものの、やはり彼を刺激して再びヤスミンを狙ったりしないよう、見て見ぬ振りをするしかない。

 雁字搦めで不機嫌でしかいられない二人に向かって、イザークは腹を抱えて嘲笑してやりたい気分をどうにか抑え込んでいた。


(……まぁ、不機嫌なのは、何もこの二人に限ったことではありませんけど)


 西部に取り残されたナスターシャの、胡散臭いまでの慈愛に満ちた笑顔。

 きっと今頃、さぞや凍りついているだろう。


(さあて、ナスターシャ様がどう切り抜けてくれるか、そちらもそちらで見物ですねぇ)


 二人に悟られないよう、イザークは喉の奥をクッと鳴らし、込み上げる笑いを押し殺した。








(2)




 ――時同じ頃、西部マンハイム――



 

 晴れ渡った青い空に切り込んでいくように、ユッテは黒い羽根を大きく広げて飛び立った。


 早く、早くしなければ、大事な主が凶悪な東の魔女に殺されてしまう――

 まさか姿を偽って主を騙し、宮殿に入り込んでいたなんて!


(私が、もっと早くに気付いてナスターシャ様に申告していれば……!ううん、あの女が宮殿から出て行くよう、もっと苛め抜いていれば……!!)


 今更、後悔しても先には立たない。

 ならば、主を救うためにはこうするしかない。


 出せる速さの限界はとうに越えている。

 羽根が千切れんばかりに痛くて痛くて堪らないし、痺れも強まっていく一方でも。雲を突き切り、向かい風に逆らい、ユッテは飛び続ける。

 向かい風に乗って飛んでくる木の葉が顔や羽根、足にびゅんと音を立てて当たっても怯んでいられない。鷹を始めとする立派な体躯を持つ鳥達が、擦れ違う度ちょっかいを掛けてくるのもひたすら無視を決め込み。


 満身創痍で辿り着いた先、国旗を掲げる旗塔を左右に設けた館風の石造りの建物――、西方司令部の最上階、四階南側の窓を目指す。

 外壁と同じ色をしたバルコニーを越え、ハイサッシの大窓から部屋の中をちらりと確認する。いた。ユッテは全身の力を振るい、そのまま窓ガラスへと突っ込んでいく。


 けたたましい音と共に、硝子が粉々に砕けて飛び散る。

 室内にいた男達の野太いどよめきを、遠のく意識の中で聞きながら。

 残された魔力を振り絞り、ユッテは鴉から人間の娘へと姿を変える。


「お、お前は確か、ナスターシャ殿の……!!」


 部屋の主であり西方司令部の最高司令官である将軍が、狼狽しつつもユッテの傍へと駆け寄ってくる。

 硝子の破片が全身に突き刺さり、血塗れで床に倒れるユッテを抱き起こそうとする将軍に、ユッテは朦朧とする中、ナスターシャの危機を伝えたのだった。


「……は、早く、しない、と……、ナスターシャ、様が……、東の、魔女、に……」

「了解した。すぐにでも西方軍をナスターシャ殿の宮殿へ向かわせよう」

「……あ、あり、ありがとう、ございま、す……」


 将軍からの返事に安心したからか、ユッテは眠るように意識を手放した。

 将軍はユッテを抱きかかえながら、執務机にある電話の受話器を手にし、副官を呼び出す。

 数分後、執務室に呼び出された副官にユッテの手当てをするようにと身柄を預け、ユッテに対するものとは全く違う、鋭い口調で命令を下した。


「東の魔女ロッテの隠匿容疑により、ナスターシャ殿を即ちに拘束しろ」

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