第9話 Criminal(7)
(1)
――数日後――
部屋の窓枠に腰掛けるウォルフィは、コブーレアの地元新聞に目を通している。窓側に置かれたベッドの中では、アストリッドがうつ伏せで寝転がっている。
すでに昼近い時間帯で、とっくに目は冷めている筈だが、アストリッドが起き上がる気配は一向にない。そればかりか、あんなに楽しみにしていたルームサービスの食事すら頼もうとしない。普段なら空腹感じるなりパッと目覚め、目覚めたら目覚めたで「今日は何食べよっかなぁー!!」と、ウキウキとルームサービスの注文票を手に取るのに。
ギムナジウムの図書室の火災から、ずっとこの調子で塞ぎ込んでいるのだ。
「アストリッド」
「…………」
「今日も、あの娘の名は死亡欄に掲載されていなかった。あの時の、治癒回復の魔法が効いたんだろう」
「…………」
あの時――、焼け焦げた図書室の最奥まで駆け込んだアストリッドは、煤と灰に塗れ、真っ黒な消し炭のようになって倒れているロミーを発見した。
元の姿の原型を留めていない、変わり果てた姿に、アストリッドもウォルフィも当然死亡したものだと、絶望の底に叩き落とされた。特にアストリッドは、余りのショックでへなへなと腰が砕け、ロミーの傍にぺたんと座り込んでしまった。
泣き出しそうな表情で全身を大きく震わせ、真っ黒なロミーの身体に怖々と触れようとした時。
今にも途切れそうな、小さく、儚く、細い、微かな呼吸音が、確かに聞こえた。
「まだ、生きてる!この子は、まだ、息をしている!!」
言うが早いか、アストリッドは徐にローブを脱ぎ、ロミーの全身を包むと抱き上げて素早く立ち上がった。
「お願い……!死なないでください……!!」
腕の中のロミーをギュっと強く抱きしめるアストリッドの全身から、濃い黄色の閃光が発光し始める。
「おい!お前達は一体何者だ!!この火災はお前達がやったのか?!」
背後から野太い声。ウォルフィが振り返れば、左腕には翼が生えた緑の竜の腕章、朱の立襟に薄灰色の厚手の上衣、上衣より少し濃い灰色のズボン――、軍服を纏った数人の男が三人に銃口を構えていた。
(今頃のこのこと姿を現すとは……、行動が遅すぎる!)
舌打ちを堪え、ウォルフィは両手を上に掲げて敵意がないことを示す。たちまち軍服の男達に囲まれたアストリッドとウォルフィは、抵抗することなく軍部に拘束され、その後、丸一日厳しい尋問を受ける羽目に陥った。
ロミーはアストリッドの治癒回復の魔法のお蔭で一命を取り止めたものの、事件の重要参考人として、軍管轄下の病院に収容されたのだった――
「アストリッド」
これで何十回目になるのか。
ウォルフィの呼びかけにも応じようとしない。
何日も飲まず食わずで亀布団と化した主の姿に、いい加減ウォルフィの苛立ちは頂点に達していた。
「いつまでめそめそしている。鬱陶しい事この上ない」
新聞を折り畳み、立ち上がったウォルフィは、アストリッドの全身を覆うシーツを引っ張り上げる。ウォルフィは力ずくでシーツを奪い取ると、アストリッドを思い切り床へ振り落とした。
「うぎゃんっ!?!?」
落ちた衝撃と痛みで悲鳴を一声上げたものの、依然、アストリッドは床に蹲ったままで起き上がろうとしない。いっそのこと、足で踏みつけてやろうか、という加虐心が湧き起こるのを思い止まらせる。
青紫色の隻眼で、不快気げに足元に転がる主を眺めていると――、扉を叩く音が耳に届いた。
まさか、と思うが――、予想した来訪者の姿にいささか緊張を覚えつつ、扉を開ける。やはり予想した通りの来訪者だったため、ウォルフィはいつになく畏まった態度で敬礼を取ってみせた。
「あぁ、そのように畏まらなくて結構だよ、ウォルフガング・シュライバー元少尉。私は公的な用件でここを訪れた訳ではないのでね」
部屋に入ってきたのは、ネクタイを締めた開襟襟の軍服姿の男。
五年前に齢三十の若さで元帥に就任した、リントヴルムの実質的な最高権力者、リヒャルト・ギュルトナーであった。
(2)
「アストリッド。今すぐ起きろ。元帥がお越しだ」
リヒャルトがすぐ傍にいるにも拘わらず、アストリッドは起き上がるどころか顔を上げることすらしない。これはもう、起き上がるまでひたすら蹴っ飛ばしてやるべきか、と、焦りにも似た思いでウォルフィがさり気なく蹴り脚を定めているのをリヒャルトが見咎める。
「シュライバー君。主に乱暴を働くのはいけないよ」
「しかしながら」
「ここは私に任せておきなさい」
リヒャルトは仏頂面のウォルフィに、優しく微笑みかける。父親譲りのプラチナブロンドと整った顔立ち、軍人らしからぬ優男めいた風貌は女性であれば顔を赤らめるところだろう。
しかし、口調や外見とは裏腹に、アイスブルーの瞳には冷徹な光が宿っている。
一体、何をされる気なのか、と、流石のウォルフィも一抹の不安を覚えた矢先――、何と、リヒャルトは、アストリッドの身体の上に座り込んだのだ。
「うむ、実に座り心地の良い椅子だな」
呆気に取られるウォルフィに構わず、リヒャルトは満足そうに一人でうんうんと頷いている。
「ちょっ……!重い重い重い――!!!リヒャルト様、何しくさっているのですかぁぁぁー!?!?」
「失礼な。私は軍人にしては細すぎると揶揄われることが多いと、貴方もご存知でしょうに」
「そんなの知りませんよ!!すぐにどいてください!!」
「では、即刻起きて立ち上がってもらえないですかね??」
「起きます立ちますぅぅ!!だから早くどいてくださいってば!!!!」
やれやれ、と、ぼやきながらリヒャルトが腰を上げると、アストリッドはシュタン!と目にも止まらぬ速さで立ち上がった。その間にも、ウォルフィはベッドの近くに置かれた椅子を引き出し、リヒャルトに座るように促していた。
「ウォルフィ……、自分にはそんな気遣いしてくれないのに……」
「元帥閣下、わざわざここまでお越し下さったのは、あの娘に関する機密について我々にお話があるからでしょうか」
不貞腐れていじけるアストリッドを無視し、ウォルフィはリヒャルトに問うた。
「あぁ……、だから、あの怖い副官……、もとい、ポテンテ少佐の姿が見当たらないのですね……」
「少佐なら一階のロビーで待たせてありますよ。何なら呼び寄せましょうか??」
アストリッドの脳裏に、ダ―クブロンドの髪を短く刈り上げ、整った顔立ちに鉄面皮を張り付けた女性軍人の冷淡な表情が浮かび上がった。
「いえ……、結構です。それよりも話をお聞かせください」
実は、アストリッドとウォルフィが軍の拘束から一日で解かれたのも、ロミーが病院に収容されたのも、偏に、秘密裏に西部に駆けつけていたリヒャルトの計らいによるものだった。
ウォルフィの質問に答える代わりに、リヒャルトは軍服の内ポケットから、ハンカチで丁寧に包まれた、焼け焦げて煤塗れの万年筆を取り出してみせる。
「あの娘の傍に落ちていたというものだ。調べてみたところ、どうやらただの万年筆ではなく、ワンズの一種だとか」
リヒャルトが説明し終わるが早いか、アストリッドは彼の手から奪うようにして、万年筆を自身の手に取ってみる。しばらくの間、指先でペン先を撮んで天井へと掲げたり、横向きにしてクルクルと回していたが、やがて一際大きなため息を吐き出した。
「…………これは、イザークが作り出したものでしょう………。あれは、火属性の魔法を最も得意としてますし、あれが放っていた禍々しい気をほんの微量ながら、このワンズから感じ取れるのです…………」
「イザークとは、悪魔と人間の血を引くと言われ、マリアが師事していたという暗黒の魔法使いのことか??」
ウォルフィの問いに、アストリッドは無言で首肯する。
「確か……、二百年程前、魔女マリアが貴女を産み落とす直前に、リントヴルムから外国へと逃亡した、と言われているが……」
「あれのことですから、外国での暮らしに飽きたが故、またこの国に舞い戻ってきたのでしょう……。きっと遊び半分で、人々に様々な誘惑を持ちかけては破滅に追い込む……。コブーレア町長然り、あの女の子然り……」
数日前の苦い記憶が脳裏に蘇る。
イザークが張った結界を破れなかったこと、炎を消し止めるのに時間を費やしてしまったこと。結果、ロミーを瀕死状態に追いやってしまったのがどうにも悔やまれてならない。
「そうだ、リヒャルト様!あの女の子は……」
「彼女なら、部屋の前で待機してますよ」
「え!?」
アストリッドとウォルフィに意味ありげに目配せすると、リヒャルトは椅子から立ち上がり、扉の前まで進む。
「随分とお待たせしたね。もう中に入ってもきても構わないよ」
「はーい!!」
やけに舌っ足らずな幼い声と共にロミーと思しき少女が部屋の中に飛び込んできた。縮れたオレンジ色のおかっぱ頭こそ、燃えてしまったがために坊主頭に近いくらい短いものの、焼け爛れた肌も崩れてしまっていた顔の造形も完全に元に戻っている。
「ねぇねぇ、おじさん。どっちがロミーを助けてくれたの??あの可愛いお姉さん??それとも、怖そうなお兄さんの方??」
「君の命の恩人は、可愛いお姉さんの方だよ」
自分はお姉さんじゃないのですが、と苦笑しているアストリッドに、ロミーは飛びつく勢いでタタッと傍に駆け寄る。
「魔女のお姉さん!ロミーを助けてくれてありがとう!!」
輝くばかりの満面の笑みに、戸惑いながらも「ど、どういたしましてです……」と返してみせる。だが、それも束の間、先程から感じる違和感をリヒャルトに告げる。
「リヒャルト様、この子、もしかして……」
一瞬、リヒャルトは迷う素振りを見せたが、すぐに答えてくれた。
「お察しの通り。彼女は凄惨な火事による多大な精神的ショックで、幼児退行してしまったのです」
「…………」
見る見るうちに陰りを帯びるアストリッドの表情を、リヒャルトは見逃さず、更に言葉をたたみかける。
「火事の後、彼女と同じ教室の生徒達に事情聴取したところ、彼女は人体発火事件の被害者達から日常的に苛めを受けていた、という報告を受けましてね。証拠が不十分とはいえ、彼女が一連の人体発火事件の容疑者だということは一目瞭然。この国に置いて精神に異常をきたしている者は罪に問えないものの、彼女はどうやら強力な魔力を備えているみたいでして」
「苛めの加害者への復讐ができる、などとイザークに唆されて『契約』を交わしてしまったのかもしれませんね……。だから、マリアの魔法の書を読んでなくても、万年筆型のワンズを媒介に人体発火の呪詛がいともたやすく使えた訳ですか……」
「今は魔力の使用方法を忘れているが、万が一、無意識に暴発させてしまう恐れが有り得る。何よりも彼女の生存を知った暗黒の魔法使いがいつ命を狙いに来るか定かではないでしょうな。そこで」
「……そこで??」
「表向きは、彼女は火事で負った火傷で死んだことにして……、南の国境を守るハイリガー殿の元で預かってもらうことに決定しました」
「…………」
「既にもう、偽物の焼死体を用意し、葬儀も秘密裏に執り行いましたし、ハイリガー殿にも連絡して全ての手筈は整え終わりました。貴方からの異論も反論も一切受け付けませんから」
「…………」
「あぁ、あと、事件を担当した軍の者には元帥である私の名の元、厳しい箝口令を敷いておいたので、そこは安心してくれればいいですよ」
「…………」
床の上で胡坐をかきながら、アストリッドはいまいち納得できない、といった体で徐に俯いてみせる。その隣では、ロミーが不思議そうにアストリッドとリヒャルトの顔をしきりに見比べている。
「……自分のせいで、こんな結果を迎えた、とか思わないでくださいね」
「……分かっています……」
「ちなみに……、彼女をハイリガー殿の元まで送り届ける役目を、全面的に貴方とシュライバー元少尉に任せようと思います」
パッと顔を上げるアストリッドに、リヒャルトは柔らかい笑みを向ける。
「是非とも引き受けてくれないでしょうか、アストリッド様」
アストリッドはしばらくの間だんまりを決め込んでいた。元帥であるリヒャルトの命は絶対、断るなど言語道断なのは十分承知の上で、だ。
「承知致しました、ギュルトナー元帥。必ずや、この者を無事に南の地へと送り届けるとお約束したしましょう」
胡坐をかいたままという不遜極まる態度ながら、アストリッドの真摯な気持ちが籠った返事に、リヒャルトは満足そうに頷いてみせたのだった。
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