第二章 Limp

第10話 Limp(1)

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 ――リントヴルム南部ゾルタール、隣国ペリアーノとの国境沿いの黒い森シュヴァルツ・ヴァルト にて――






 密集したトウヒやオーク、ブナの木々の陰により、この森は太陽が照り輝く、明るい真昼の時間帯であっても薄暗い。地元の者ですら、用がなければ滅多に足を踏み入れようとしない場所。踏み入れたとしても、極力森の木々や草花を傷付けないように、慎重に、慎重を重ねながら、少しずつ歩みを進めていく。

 この森の最奥の高台には古城があり、南部の国境を守る魔女ハイリガーが住んでいる。


 ハイリガーは国境を守る魔女の中で一番情に厚い人物だと言われてはいるが、一度逆鱗に触れれば恐ろしいことには変わりない。

 だから今、この森の中に入ってきた数人の男達が手足に絡みつく草花を引き千切っては地に踏みつけ、視界を遮る木々の小枝を手折っていく様子から、少なくとも彼らがリントヴルム国民でないのは明らかだった。

 服装こそ質素な私服姿であるが、筋骨逞しい体格に無駄や隙の無い身のこなし――、彼らは、ペリアーノからの密偵であった。


 密偵達は森の中を蹂躙しながら、高台の城を目指していた。

 いともたやすく国境を越え、森に侵入できたことに誰もが違和感を覚えており、不意打ちで攻撃を仕掛けられるか、罠を張っていないか等、一瞬たりとも気を抜かずにひたすら先を急ぐ。

 いつ、どこで、ハイリガーに気付かれてしまうか、じりじりとした焦燥に駆られながら。


「こちらにも腕利きの魔法使いがいるし、暗器も各々仕込んできているんだ。必要以上に怯えるな」


 密偵達の先頭を行く男が、何度も背後を振り向いてはしきりに士気を奮い立たせる。男の言葉に、仲間達も返事をする。もしくは無言で頷くなりで気を落ち着かせていると――、列の最後尾にいた男が、呆然とした顔付きで先頭の男の顔に指を差してきたのだ。

 先頭の男は訝し気に見返したが、最後尾の男の表情は変わらない。

 よく見れば、視線は自分の姿ではなく、彼の頭上より更に上の空を捉えていた。


 まさかと思うが――、と最後尾の男に倣い、その指先が指し示す方向へとさっと振り返り、視線を移動させる。

 目標を目にした途端、男に緊張が走り、即座に上着の中に隠していた暗器の柄を握り締めた。他の男達も、暗器や、指揮棒の形に似たワンズを一斉に手に取り始める。彼らが見たもの――、それは――、穏やかな青空を浮遊し、黄金の長い髪をたなびかせる人物だった。


 男達は気を引き締め、美しい青と金の対比に見惚れることもなく、一斉に暗器を投げつけ、魔法使いは詠唱を唱えて攻撃を開始する。

 だが、投げ放った武器や攻撃魔法による爆風や光線全て、魔女の周囲に張り巡らせた結界がことごとく跳ね返していく。


「馬鹿ねぇー。貴方達程度の力量で、このアタシに傷一つ付けられる訳がないことくらい、分かっているでしょぉ??」


 心底呆れていると言いたげに、男達の頭上高くから嘆息混じりに魔女が挑発する。聞き捨てならない、とばかりに、男達は次から次へと、闇雲に暗器と攻撃魔法を立て続けに仕掛けていく。

 攻撃を受ける度、見えない防御壁に四方を囲まれた魔女には当たるどころか掠りもしない。


「下手な鉄砲も数撃てば、で勝てると思っているのかしらん??アスちゃーん、そろそろ準備は整ったー??」


 頭上に浮遊する魔女への攻撃に気を取られていた男達は、ここでようやく、他の魔女がいたことに気付いた。が、すでに時遅し。

 いつの間にか、彼らの傍には肩まで伸ばしたカッパーブラウンの髪と鳶色の瞳の、背の高い美少女――、もとい、半陰陽の魔女が白髪隻眼の従僕を従えて佇んでいた。


「こちらは準備万端です!ハイリガー様!!」


 言うが早いか、アストリッドは細い身体を屈伸させ、バン!!と、地に両手を叩きつけた。男達の足元の地面から、不気味な赤黒い靄が、ゆっくりと、ゆらゆら立ち上り始める。

 不測の事態に恐れ慄き、この場で固まって動けなくなる者、悲鳴を上げて逃げ惑おうとする者、諦めずに攻撃を続ける者。

 まちまちの反応を見せてはいるが、皆一様に、地面と足の裏を見えない強力な糸で縫い止められたかのように、一歩も動き出すことが出来ない。

 その間にも赤黒い靄は発生し続け、遂には男達の姿だけでなく、森の木々まで覆い隠す程までに広がっていた。


 宙を浮遊するハイリガーが胸の前で拡げた両手の中から、薄っすらと灰色がかった光と、掌大のファーデン水晶がぼう、と、浮かび上がった。

 掌の中でふわふわ浮かぶファーデン水晶を包み込むように翳しながら、ハイリガーは滔々と詠唱する。細長く薄い板状の水晶の真ん中に白い糸状の筋が一本入っており、その筋が青白く輝きだす。

 光の輝きが筋から水晶全体にまで到達すると、光はピシッ、ピシッとしなった鋭い音を立てて小さな稲妻へと変化させていく。


 ハイリガーが水晶から両の掌を素早く遠ざけ、足の横へ真っ直ぐ両腕を戻した直後。

 水晶の光から一際青白く輝く稲妻が発生。赤黒い靄の中に隠された木々や男達のいる地上目掛け、勢いよく落下した。

 森全体が真っ白い閃光に覆われる。

 眩いばかりに発光する黒い森を、上空からハイリガーはエメラルドグリーンの双眸で冷ややかに見下ろしていた。


 やがて赤黒い靄は霧散していき、森は元通りの黒々とした景観を取り戻していく中。

 ゲッ、ゲッ、ゲーコ、ゲーコ、ゲコゲコ、と、いう鳴き声が森の中を木霊した。


「ハイリガー様―、無事に捕獲成功しましたからー、降りてきてくださーい!!」


 アストリッドが口元に手を宛がって、大声を張り上げてハイリガーに呼びかける。

 もう片方の手には、巨大な狩猟網の柄を握っていて、網の中では数匹の牛蛙――、いや、ハイリガーの魔法で牛蛙に姿を変えられた男達がぴょんぴょんと跳ね回っていた。





(2)


 ハイリガーはアストリッドの呼びかけに従い、空から地面へと急いで降り立った。


「やーん、アスちゃん!侵入者の捕獲手伝ってくれてありがとー!!」


 地に足を付けたと同時に、ハイリガーは両腕を広げてアストリッドをしっかりと抱きしめてきた。


「いえいえー、どういたしましてです。でも、流石ですね!無傷で捕獲するとは……」

「そんなの当然よぉ。無益な殺生はアタシの趣味じゃないものー」

「それで、この蛙さん達どうしちゃうんです??」

「軍部に引き渡すに決まってるでしょ??ま、お灸据えるつもりで、軍部の人間が駆け付けるまでしばらく蛙の姿でいてもらうけど」

「わーお……、相変わらずのドSっぷり……」

「あら、嫌ぁね!失礼しちゃうわ!!アタシは他の三人と比べたら人情派なんだから!!あ、あと、さっきから言おうと思ってたけど。アスちゃんに限っては、アタシのことはハイリガーなんて他人行儀に呼ばずに、マドンナと呼んで頂戴よぉ!!どうせ、今はアタシ達以外誰もこの場にいないんだし!!」


 ひっきりなしにゲコゲコゲロゲロと鳴く蛙の声さえ掻き消す勢いで、和気藹々とお喋りに興じるアストリッドとハイリガーを、ウォルフィは眉間に深い皺を寄せて遠巻きに眺めていた。

 傍から見れば、背中まで流れる艶やかなゴールドブロンドの髪に、気品溢れる美貌、アールヌーヴォー調の細身の黒いドレス姿だけに着目すれば、ハイリガーは妙齢の美女だと誰しもが思うだろう。

 しかし、テナー音域の太い声質に、二m近い高身長と筋肉質の引き締まった身体つき。そう、ハイリガーは、身体は男性、心は永遠の乙女(年齢不詳)なオネエの魔女なのだ。

 外見上は中性的な美少女ながら半陰陽のアストリッドと、顔は美女なのに声と体格はしっかり男性なハイリガーが、キャッキャウフフといちゃついている様は、中々カオスな光景である。

 出来ることなら、この場からあと数歩、後退したいところを、ウォルフィは必死に耐えていた。


「あー、蛙さんがいっぱいだぁ!」


 今の今まで、ウォルフィの背に隠れていたロミーがひょっこり顔だけ覗かせ、網の中でしきりに跳ね回る蛙(ex人間)を見て、つぶらな茶色い瞳を輝かせている。


「ねぇねぇ、ウォルフィ。あの蛙さん、一匹だけでいいから欲しいよぉ」

 ロミーは、ウォルフィの豹柄のフロックコートの裾を引っ張っては強請ってくる。

「あれは本物の蛙じゃないから駄目だ」

「えぇー、ケチー」

 ぷっと、頬を膨らませるロミーに、また面倒な奴が一人増えた……、と、内心辟易していると。

「あははー、こうして見ると、ウォルフィ、ロリコンの犯罪者に見えますねぇ」

「……あんたの脳天撃ち抜くぞ」

 テンションが上がり過ぎた余り、調子づいたアストリッドに従僕とは到底思えぬ暴言を吐き捨てる。


「アストリッド。いつまでも南の魔女と遊んでいないで、軍部の者をここへ呼ばなくていいのか??確か、この城には電話が置いてなかったと記憶している」

「あら、よく覚えているわね。その通りよ」

「何なら、俺が呼びに出掛けても構わない」

「本当ですか?!じゃあ、今すぐ南方司令部まで行って貰えますか??」

「御意。その代わりと言っては何だが、一つだけあんたに許可して欲しいことがある」


 珍しくウォルフィからの頼みごとに、意外そうな顔をしながら「えー、何でしょうか??遠慮せずにどうぞ」と先を促す。


「南方司令部に行ったついでに寄りたい場所があるから、あんたの傍をしばらくの間離れることだ。ただし、夜までには必ずここへ戻る」

「あぁ、全然構いませんよ!」

 すんなりと快諾するアストリッドに、「許可してくれて助かる」とだけ告げる。

「ウォルくん、南方司令部に行くなら、これをお使いなさいな」


 ハイリガーが何か短く唱え、手の中で輝くファーデン水晶の光をウォルフィの足元に向けて翳した。

 小さな稲妻がウォルフィの足元に落ちる。光と共に、一台の黒塗りの高級車が出現したのだ。


「元少尉さんなら車の運転できるわよねぇ??車に乗れば、徒歩で向かうより断然早く目的地に到着できるでしょ??はい、これは鍵」

「……そうだな。では有り難くお借りしよう」

「車に乗ってすぐ、森の入り口まで瞬間移動させてあげるし、帰って来た時もそのまま入り口に置いといてくれれば貴方が城へ戻り次第、霧消させるから」


 ハイリガー手ずから車の鍵を貰うやいなや、すぐにウォルフィは車の扉を開けて乗り込み、エンジンを回した。

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