第8話 Criminal(6)

(1) 


 ――時、同じ頃――



 斜陽の光を背に白塗りの魔法使い、もとい、暗黒の魔法使いイザークは、建屋の一角が黒煙と炎に包まれるギムナジウムを上空から眺めていた。

 白い手袋を嵌めた手で握る、赤銅色に輝く金属製のワンズが夕陽に反射し、きらきらと赤い輝きを帯びている。そのワンズだが――、ウォルフィが放った水属性の光弾が命中したせいでヒビが入り、使い物にならなくなっていた。

 塗りたくったドーランが崩れないようにするためか、イザークの表情は仮面のように動かない。それでも、この状況をどこか楽しんでいるような――、彼の真っ赤な瞳は喜色の色が見え隠れしていた。


「ま、魔法使い殿……!」


 イザークと共に上空にふわふわと浮かび、一連の出来事全て目撃していた男がいかにも情けない口調で呼びかける。魔法によって空高く浮かんでいるのにまだ慣れないだけでなく、魔法対魔法の勝負を目の当たりにしたあげく眼前にて魔法銃の光弾が飛ばされてきたのだ。大抵の、何の力も持たないごく普通の人間ならば、恐れ慄くのも致し方ない。イザークは隣の中年男に身体ごと向き直る。


「如何なさいましたか、町長殿」

「む、娘を殺した者は……、死んだであろうか……」

「おそらくは。図書室に閉じ込めて人体発火の呪詛を掛けた上で、更にあれだけの火災を引き起こしたのですから、まず助かることはないでしょう」

「そ、そうか……」

 イザークの返答に中年男、もとい、コブーレア町長は広い額に汗を光らせ、鼻の穴を大きく膨らませては息を吐き出す。

「貴方様のお陰で、無事に娘の仇を討つことができました……。何とお礼を言っていい事やら……。貴方様が、娘の葬儀の翌日、私の前に姿を現して下さらなければ……、私は今も悲嘆に明け暮れ、絶望の底に堕ちたままだったでしょう……」

 町長はどんよりと濁った目のまま力無く笑うと、イザークの両手を弱々しく握ってきた。

「礼には及びませんよ」

 じとりと汗ばんだ手で触れられても、イザークは嫌な顔一つせず逆に力強く町長の手を握り返してみせる。

「さぁ、町長殿。早く大聖堂に戻りましょう。いくら夕刻の空で人影が目立ちにくいとは言え、人が空を、それも町長殿が空を飛んでいるところを誰かに目撃されてはいけませんから」


 イザークは唇の端をほんの僅かに引き上げ、町長の両肩に手を置く。それが合図とばかりに、虹色の光の渦に二人は飲み込まれ、一瞬にして姿が消えていく。



「町長殿。戻りましたよ」

 ギムナジウムに隣接する、二つの尖塔がそびえ立つ古い修道院。二階の回廊の片隅が虹色に光り輝き、光の中からイザークとコブーレア町長が出現する。

「も、もう、着いたのかね?!?!」 

「えぇ、瞬間移動の魔法を使いましたから」

「……魔法の力とは、本当に凄いと言いますか……」

「いえ。この程度の魔法、魔法の内になど入りませんよ」


 はぁ……、と、間の抜けた表情で呟く町長に向かって、イザークは急に思い出したように「あぁ、そうだ……!」と、握り拳に形作った右手で左の掌をポンと叩いた。


「そうそう、町長殿。先程、僕は礼には及びませんと申しましたが、やはり事が事だけにそれなりの報酬を頂きたいのですが」

「い、いくら払えば、宜しい、のですか……??」

 益々もって、小さく萎縮する町長、反対に鼻歌でも歌い出しそうな、楽し気な雰囲気でイザークは続ける。

「いえ、僕はお金には興味などないのです」

「で、では、何でしょうか……」


 イザークは鼻先でフッと軽く笑い、手袋を外すと訝しげな町長に指を差した。

 急激に気温が下がり始め、穏やかに凪いでいた風がひやりとした冷たい風へと変化、町長の背中に悪寒が走った直後。


「貴方の命です」


 イザークが告げた瞬間、町長を指差していた人差し指がぴゅうっと長く伸びた。悲鳴を上げる間もない速さで、伸びた人差し指が町長の眉間にぴたりとくっつく。

 町長の身体を後方へ押し出しながら、指はどこまでも伸び続ける。時間にして僅か数秒。町長の身体は回廊の外――、宙に投げ出された。

 階数自体は二階であるが、一階の天井が相当高く作られている。地上に落ちたら最後、十中八九の割合でまず即死だろう。

 地上から大きな衝撃音、続いて人体がひしゃげる音を聞きながら、素知らぬ顔でイザークは手袋を嵌め直した。


「……弱く愚かな者共と言うのは、実に面白い。ちょっと負の感情を刺激してやるだけでいとも簡単に道を踏み外してくれる。何の力もない、冴えない小娘も確かな地位を持つ中年男も関係ない。途中で邪魔が入ったけれど、馬鹿な人間が無様に地を這い回り、破滅の一途を辿る姿はいつ見ても痛快ですねぇ……」


 始めの内は忍び笑いを漏らす程度だったが、次第に堪え切れなくなり、遂にはけたたましい大声を立てて哄笑し出す。

 厚塗りしたドーランが崩れてしまうのもお構いなしに。


 イザークは、ロミーと『契約』を結んで魔力を与え、町長の娘達を殺害させつつ、もう一方では町長にも近づき、娘への復讐心と私刑実行を煽り続けていたのだ。

 そこに特別な理由など、存在しない。 

 退屈凌ぎに、ほんの気まぐれで試してみただけ。

 彼が『暗黒の魔法使い』と呼ばれる所以――、喜々として人を悪の道へと誘惑し、不幸に陥れる――、悪魔同様の所業の数々によるものだった。 






(2)


「……ナスターシャ様。大変、申し訳……、ございませんでした……」


 マンハイムの宮殿にて――、コブーレアから一足飛びで戻ってきたユッテが、アストリッドから奪った手紙を主に渡していた。声や身体を大きく震わせて、事の顛末及び自らが犯した大失態を主に報告しながら。

 彼女の主、ナスターシャは、天井から床までの高さを誇る大きな窓辺に立ち、終始穏やかな様子で従僕からの話にじっと耳を傾けている。


「……手紙を奪うところまでは、上手くやり果せたのですが……」

「まさか、透過の薬を使うとは思わず、咄嗟のことで奪う余裕が持てなかったのね。薬を奪おうものなら白髪隻眼の従僕に狙撃される危険性もあるでしょうし。ましてや、以前から犯人かもしれない、と、目星を付けていた娘が火事に巻き込まれてしまったのだもの。貴女が大いに判断に迷ってしまったのも頷けるわ」

「……この件について、どのような罰であれ、進んでお受けいたします!……」

「ユッテ」


 ナスターシャは、汚れや曇り一つない、完璧に磨き上げられた窓硝子に映り込むユッテに、背を向けたままで微笑んでみせる。


「いいのよ。手紙をあの二人から奪ってくれただけでも、充分な働きをしてくれたわ。偶然とはいえ、あれだけの酷い火事の最中で例の娘が助かるとは到底思えないし。そうね……、罰を受ける代わりに、コブーレア町長にあの娘が犯人だったことを伝えてきて頂戴。あの火事は、貴方の愛する娘を殺害したことへの報いを受けたのだろう、とでも言っておけば、納得してくれるのではないのかしら」


 ナスターシャは、精緻な細工が施された窓の持ち手に手を掛ける。

 窓は両開き戸になっていて、ナスターシャは静かに、それでいて豪快に窓を開け放す。ユッテは主の取った行動の意味を瞬時に理解した。

 従僕への怒りも失望も、微塵も感じない主の声色にユッテは心底安堵したのか、畏怖と緊張とで肩に力が入っていたのを、ほんの少しだけ緩めた。

 が、それも一瞬だけですぐに鴉に変身すると、慌ただしく羽根をばたつかせて部屋から、夜の闇に包まれた空へと飛び去っていく。

 ユッテの姿が夜空の遠く、彼方まで消えていくのを見届けると、ナスターシャは扉を閉めた。


「これは随分と寛大な処遇を下したのですねぇ、ナスターシャ様」


 ユッテと入れ替わりにナスターシャの背後に佇んでいたのは――、暗黒の魔法使いイザークだった。


「まぁ、イザーク様!!」

 ナスターシャは素早く振り返ると、先程窓越しにユッテに見せたものとは全く違う、花が綻ぶような笑顔を浮かべてみせる。

「でも、もうすでにこの世の者ではなくなった町長の元に赴かせるとは……、何と意地の悪いことで」

「あの小娘は命令した事のみしか動けない、機転の利かない鳥頭ですから。つい、時々、ああやって苛めたくなってしまうのです」

「おやおや、仮にも可愛い従僕に対して何という言い草でしょう」

「別に可愛いなどとは思いませんわ。頭が回らない分、こちらの思惑に気付くことなく、動いてくれる都合の良さのみで使っているだけですもの」

「おぉ、怖い怖い!世間では、国境の侵略者以外には大層慈悲深い、癒しの魔女だと噂されると言うのに……」

 怖い、としきりに口にしつつ、イザークは実に楽しそうである。詰られている筈のナスターシャもおっとりとした微笑みを全く崩していない。

「あら、お言葉ですけれど、力を持つ魔女や魔法使いで本当に心優しき者などいる筈ありませんわ。イザーク様とて同様でしょう??」

「それはご尤もなご意見ですねぇ」

 二人は意味ありげな視線を絡ませ合うと、互いにふふふ……、と含み笑いを漏らし合う。

「イザーク様のお蔭で余計な問題に悩まされることなく、無事に解決できましたわ。半陰陽の魔女に全ての責を押し付け、私はこれまで通りに国境の防衛のみに集中できますもの。ありがとうございます」

「いえいえ、礼には及びませんよ。貴女のような気高い女性が、憂いに満ちた顔で溜め息を零す姿が見るに耐えられなかっただけのことです」


 イザークはナスターシャをそっと抱き寄せる。抵抗する素振りを一切見せることなく、ナスターシャも素直に身を任せた。

 華奢な背中に腕を回しながら、イザークは窓硝子に映るナスターシャの後ろ姿にほくそ笑んでみせる。一見すると情を交わし合った男女のようだが、決してそういう訳ではない。


 イザークに思慕しているかの如くしおらしく見せているが、ナスターシャは『女』を武器に取り入り、彼の力を利用したいだけ。

 これまで、どれだけ大勢の魔女がイザークに近付き、利用するつもりでいつの間にか彼に利用されてきたことか。

 つくづく女とは愚かで浅ましい生き物だ、と、イザークは心中で憐れんですらいた。

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