第7話 Criminal(5)
(1)
校内から出て行く人の波を避けながら、アストリッドとウォルフィは生徒達のために開け放された玄関を潜り、ギムナジウムの中へと潜入する。
玄関は建物の一階部分の中央に位置し、左側には各教室、右側には食堂及び各実習室、最奥には図書室が設けられている。
「何故こっちに曲がろうとする。教室はあっちだろうが」
食堂から流れてくる食べ物の匂いに釣られ、迷わず右に行こうとしたアストリッドのシャツの襟首をウォルフィが問答無用で引っ張り、反対方向の廊下へ引きずっていく。
「大方、姿が見えないのを言い事に残飯でも漁りに行こうとした……」
「ち、違います!!」
アストリッドは全力で否定するが、ウォルフィの眼差しは疑心に満ちている。
「何でもいいから、とりあえず教室をざっと見回るぞ」
どっちが主なのか従僕なのか、本気で分からなくなる二人である。
アストリッドはむぅぅ、と、悔しそうに頬をぷっくりと膨らませてウォルフィに引きずられている。主のアホ面を一切気にも留めず(むしろ、どうでもいいと思っている)、ウォルフィは人気がなくなった教室に足を踏み入れる。
続いて教室に入ろうとしたアストリッドだったが、急に入り口から飛び跳ねるように後ずさった。ウォルフィもその意味に薄々気付いていた為、すぐに教室から出て彼女の傍まで歩み寄った。
「アストリッド」
「……ウォルフィにも分かりますか」
「とてつもなく禍々しい気の塊が、上の階から感じる」
「少なくともここの教室周辺ではありません。例の気配は……、今、階段を駆け下りています……」
「階段??」
アストリッドは目を軽く瞑り、両の耳に手を宛がって気配の元を探っている。
「はい。どうやら、気の塊の持ち主は、今から図書室へ向かおうとしているみたいです」
「何の用で」
「さぁ、そこまでは分かり兼ねます……、って、今、丁度一階に降りてきました!」
言うが早いか、アストリッドは気配の元であろう者の傍まで小走りで近づいていく。
「馬鹿が。また危険を顧みずに」
僅かに眉間に皺を寄せ、後を追いかける。
すでに食堂の前にて、アストリッドは渦中の人物を待ち伏せるように立っていた。
「アストリッド、先走るな……」
「ウォルフィ、あの子がそうです」
ウォルフィの小言を遮り、硬い表情でアストリッドが指を差した先には、癖の強いオレンジ色のおかっぱ頭に、瓶底眼鏡を掛けた小柄な少女がいた。
覇気のない顔付きで背筋を丸めて歩く姿は内気そうなのに、少女が纏う気は悪魔や悪霊といった、この世のものではない魔性特有の邪悪さが溢れ返っていた。少女本人が魔性なのか、否、おそらくは魔性のものに憑りつかれたか、唆されたかして得た力によるものだろう。
緊張した面持ちで、横を通り過ぎる少女を視線のみで追っていたアストリッドだったが、すぐに「……ウォルフィ、彼女と共に図書室に入りますよ」と、告げる。
「大変都合の良い事に、今、図書館には人一人姿が見えません。彼女が人目に付きにくい場所――、本棚の影とかに入り込んだ隙に、透過の薬の作用を解除しましょう」
「さっきの娘が町長の娘達を人体発火の呪詛で殺害したとかいう」
「はっきり確定した訳ではありません。ただし、あの気の様子からして可能性は高いでしょうね」
薬の作用の解除方法は至って簡単である。『我が身よ、元の姿へ戻れ』と強く念じるだけで、たちまち元通りの姿に戻れる。(ただし、この方法が通じるのはアストリッドとウォルフィのみで、他の者の場合はアストリッドに念じてもらわない限りは元に戻れない。)
ウォルフィが無言ながら、目線のみで指示に従う旨を示すと、二人は少女の後に続いて図書館に入ろうとした――
(2)
「あっつっ……!!」
閉まりかけた扉を開けるのに掴んだドアノブから咄嗟に手を離す。ドアノブが、竈の中で真っ赤に燃え盛る石炭の如く超高温化しており、どうやら魔力を持つアストリッドやウォルフィだけに作用しているようだ。
アストリッドの焼け爛れた掌から淡黄色の光が放たれ、数秒後には元の白魚のような美しい手に戻る。アストリッドは天井、図書室の扉、床へと順にゆっくりと視線を巡らせた。
「……結界が張られています……」
「西の魔女の仕業か??それとも、さっきの娘か??」
「いいえ、どちらでもないでしょう……」
「じゃあ、一体、誰が……」
ウォルフィの問いをアストリッドは無視し、一見何の変哲もない、老朽化した板敷きの床を静かに睨んでいた。かと思いきや、いきなり左足で床を、ダンダンダン!ダンダンダン!!と何度も踏み鳴らし出したのだ。
それも束の間、ひとしきり踏み鳴らした後、ぴたりと動きを止めてしまった。
「……この自分が、破れない結界なんて……」
「何だと……??」
アストリッドの漏らした言葉に衝撃を受けたウォルフィは、彼にしては珍しく目を瞠り、頬を大きく引き上げる。
「あんたよりも高い魔力を持つ魔女や魔法使いはこの国には存在しないのに??」
「この国に限っては、です……」
これもまた珍しい事に、アストリッドは心底口惜し気にウォルフィの言葉を訂正し直す。
(……もしかしたら、あの男が、リントヴルムに戻ってきた??)
脳裏に浮かぶ悪い予感を振り切ろうとするも、今の状況からそうとしか考えられない。
「アストリッド!」
「えっ……」
余計な考え事に耽っていたせいで、集中を欠いていたのだろう。
突然、背後に控えていたウォルフィから強く腕を引かれ、そのまま引きずられるように扉の前から廊下の真ん中ら辺――、図書室の入り口から見て二つ目と三つ目の実習室との間の大きな柱の影まで距離を離される――、と、同時に。
閉まっていた筈の図書室の扉が勝手に勢い良く開き――、耳を劈く爆発音、黒煙混じりの爆炎が廊下へと雪崩れ込んできた。
「くっ!」
アストリッドはすぐに柱の影から飛び出し、蜷局を巻きながら火を噴く火竜の如き火炎の前に立ち塞がり、飛び散る火の粉と熱風の勢いに負けじと両の掌を炎に向ける。
たちまち掌から真っ青な光の輝きと共に、本物の河の濁流を想起させる大量の水が出現、巨大な炎の群れをあっと言う間に飲み込んでいく。だが、炎が消された矢先にまた新たな爆炎が次々と生まれていく。
透過の魔法は別の魔法を発動させた時点で効力を失ってしまう。
元の姿に戻っても人目を気にする間もなく、アストリッドは一心不乱で消火を続行する。
(早くしないと……、中にいる、あの子が死んでしまう!!)
瀕死状態であれば助けられるが、死んでしまってはこの世のどのような魔法を用いても生き返らせることはできない。
魔法は生きている人間にしか作用しない。よって、死者を生き返らせるのも不可能である。
また、魔女や魔法使い自身も魔法を使って不老の身を得て、どれだけ寿命を伸ばし続けられても、決して不死の身ではない。
魔法の力による高い攻撃力や防御力、回復力のお蔭で不老不死に近い状態を保てるだけであり、確実に急所を攻撃されたり、回復魔法でも追いつかない、発動させる力も持てない程の瀕死の重傷を追えば、死ぬ。
踏ん張っていたアストリッドの足が一歩、後退する。炎の勢いの方が僅かに勝っているのだ。
アストリッドの後ろでは、ウォルフィが歯痒そうに唇を捻じ曲げている。情けない事だが、元々が人間の彼では魔法対魔法の戦いには手も足も出せない。
しかし、ウォルフィはそこでただ指を咥えて眺めているだけの不甲斐ない男ではない。目の前の状況に歯噛みしつつ、炎を操る者の気配を察知しようと必死に全神経を研ぎ澄ましていた。
アストリッドの従僕として忠誠を誓ったと共に、彼は人並み外れた集中力を用いることで、人や魔性の「気」を――、それも、意図的に「気」を消していたとしても――、察知する特殊能力を得ていた。
どこだ、奴はどこにいる――??
集中が高まると共に、周りの景色や物音が視界や聴覚から徐々に消えていく。遠隔操作で魔法を発動させているようだが、意外とそう遠くない場所から、消え入りそうな程の恐ろしく邪悪な気が僅かながらに感じられる。
射程圏内にいるのか、いないのか――、ギリギリ範囲内に、いる、か??
ウォルフィはコートの内ポケットから、銀色に輝く特殊な形状の拳銃を引き抜き、左四十五度の方向へと発砲。
銃口からは弾丸ではなく、鮮やかな水色の光線が――、窓ガラスを突き破って外へ飛び出していく。
(……当たったか??)
炎と戦うアストリッドに視線の位置を戻す。炎の勢いは急速に衰え、水勢に押されながら次第に消失していく。
眼前に押し迫っていた炎が消えると、アストリッドは休む間もなくパンッと音を立てて焼け焦げた床に掌を付いてみせる。
扉の先、炎があちらこちらに燃え広がっている図書室の中へと、再び大量の水が流し込まれる。河の上流から下流へ流れていくように、水は滑らかな動きで炎が発生する箇所を上へ下へと縦横無尽に覆い尽くし、瞬く間に火は消し止められていく。
魔法を駆使したアストリッドは当然として、直接的に魔法を使った訳ではないものの、敵の気を探り魔法銃を使用したことでウォルフィの薬の効力はとっくに切れている。
厳格なギムナジウムに置いて、明らかに不審人物にしか捉えられない怪しい人物が派手に大立ち回りを演じていると言うのに。図書室の中が全て焼失する程の火事が発生したと言うのに。
(……何故、誰もこの騒ぎに駆け付けることもなければ、気付いてすらいないんだ??)
気味が悪い。
おまけに、図書室の中にいるのは件の少女ただ一人だけ。
まるで、始めからあの少女を図書室へと誘い込み、焼殺するために誰かが仕組んだとしか考えられない。
焼け焦げて真っ黒な炭の塊と化した、かつて扉や床だったモノ達――、そして――
「アストリッド!罠かもしれないぞ!」
炎と共に結界も破れたことに気付くと、アストリッドは一目散に中へと駆け込んでいく。
ウォルフィの制止の声など全く届いていない。
「あの馬鹿が……」
ふっ、と息を吐き捨てると、警戒心はそのままにウォルフィもまだ仄かに火がくすぶっている、無残な焼け跡の中へてと足を踏み入れた。
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