第三章 1LDKの異世界

第29話 ウルスはご機嫌ななめ

 それは事件も落着して夜の新宿御苑から引き上げるときのことだった。道すがら相庵あいあん警部が「いいかげんに服を着ろ」と、とっくにバトルは終わっているにもかかわらずいつまでも下着姿のままでいるウルスラグナを軽くたしなめると、すぐさま彼女の後をついて歩く孝太の腕を引き寄せて耳打ちした。


「おい便利屋、ルセフィとか言うあのチビッ子はさておき、これからもウルトラちゃんの味方になってやるんだぞ。なにしろ彼女にとってこの世界で頼れるのはおまえさんだけなんだ、そのことだけは忘れずにうまくやるんだぞ、いいな」


 そう言われはしたものの、今の今まで敵対していた異世界人二人の間を取り持つなんて、気楽な独り暮らしが長かった孝太にとってそれは考えたくもない厄介ごとだった。



 夜の大木戸門おおきどもんに横付けされたミニバンタイプの警察車両、それは相庵警部がこの珍奇な御一行様を人目に触れさせぬようにと所轄署から呼び寄せた応援だった。


「運転手も俺の部下だ。口は堅いから心配するな。おい、小川」


 警部に命じられた小川がドアを開けてリアシートを倒す。


「秋葉さんとウルスラグナさんは後部座席にお願いします」

「ねえねえ、ルセフィは、ルセフィは?」

「も、もちろん、ルセフィさんも、です」

「わあ、車なんて初めてだし、馬車より全然いいっしょ」


 ルセフィがハイテンションな声を上げながら孝太の肩から飛び立つと、ウルスラグナはすぐさま片手でそれを引っ掴んで後部座席へと投げ込んだ。


「ひっど――い、ウルシャったら扱いが雑過ぎぃ」

「貴様は目立ち過ぎなのだ。少しはおとなしくしていろ」


 ウルスラグナはまずは孝太を促すとそれに続く、ルセフィの挙動から目を離さぬよう注意を払いながら。社長と警部はセカンドシートに陣取る。全員の乗車を確認した小川が最後に助手席に乗り込むと、それを合図に車はゆっくりと動き出した。


 窓の外を街の明かりが流れていく。ナイトモードのカーナビゲーションには二二時三〇分の文字、広い新宿の中でも隠れ家的な店が多いこの界隈ではこの時間でもまだ人通りが途絶えることはなかった。

 徒歩でもさほどかからない距離の短い旅程、それはほんの数分ではあったが車内ではルセフィが目を輝かせながらサイドウインドウに張り付いていた。オタク気質で異世界人にも理解を示す小川の計らいだろう、夜景を見てはしゃぐルセフィを喜ばせようと車は少しばかりの遠回りをして孝太が住むマンションの前に到着した。


「キバヤン、これを使うといいよ」


 車から降りるとき社長がそう言ってポケットから取り出したのは一枚のコンビニ袋だった。


「しわくちゃで恐縮だけどさ、妖精ちゃんがマンションの住民に見られようもんならちょっとした騒ぎになっちゃうだろ」

「え――、なにそれ。全っ然かわいくないんですけどぉ」

「ははは、こんなんでごめんよ。なキャリーバッグは今度キバヤンに買ってもらってくれな」

「ぶぅ――」


 ふくれっ面で腕組みしながら不満を表わすルセフィの前にウルスラグナが指輪から変化へんげさせた短剣を突き出す。


「気に入らないのならばこの場で楽にしてやってもよいが」

「おいおいウルス、こんなところで刃傷沙汰にんじょうざたは勘弁しろよ。社長だけじゃねぇ、警部さんだっているんだぜ」


 孝太にたしなめられたウルスラグナは黙って短剣を収めると、またもやその手でルセフィの小さな身体からだを引っ掴んで孝太が手にする袋の中に押し込んだ。


「むぎゅ。ちょっと、ウルシャ姫。さっきからルセフィの扱いが少々雑過ぎませんこと?」

「さあ帰ろう、孝太」

「お、お待ちなさいな。シカトですの? ルセフィをシカトですの?」


 袋の中でジタバタと声を上げるルセフィのことなど意に介さずウルスラグナはマンションのエントランスに消えていく。孝太は「失礼します」と車中の面々に頭を下げると先を行くウルスラグナの後を追った。

 エレベーターが一階に降りて来た。誰も乗っていないのは幸いだった。相変わらずの仏頂面で操作盤の前に立つウルスラグナは孝太が乗り込んだのを確認すると黙って行き先階のボタンを押した。



――*――



 部屋に戻るとウルスラグナは孝太を顧みることもなく「先に使わせてもらうぞ」の言葉だけを残してさっさと浴室に入ってしまった。片や袋から飛び出したルセフィは部屋の真ん中でホバリングしながら十分に開放感を味わうと今度は興味深げに部屋の中を飛び回り始めた。ひと通り見て回った後は再び孝太の肩に座って遠くに聞こえるシャワーの音に耳をそばだてる。

 敵対しているとは言えこの小さな妖精にとってウルスラグナはこの世界で出会った唯一の異世界人のはずである。相手を小馬鹿にするような口を利いてはいるもののこの娘はなんだかんだでウルスラグナを気にかけてるのは確かだった。


「やっぱ、そう簡単には許してくれそうにないです、ウルシャ姫は」

「そりゃそうだろう。おまえらはさっきまでバトルしてたわけだしな。あとはおまえの態度次第じゃねぇのか?」

「え――っ、これでも野の民メイダンズルは平和と博愛の民なんですよぉ」

「ま、とにかくよく話し合ってみるんだな。ただしここでバトルは勘弁だぜ。そんときゃ容赦なく叩き出すからな」

「は――い、かしこまりですぅ」


 そう言ってルセフィは孝太の顔の前でホバリングしながらメイド服のスカートをたくし上げて仰々しい礼をして見せた。


 風呂上りのウルスラグナがバスタオルを巻いだだけの姿で出てきた。まるでそこに誰もいないかのような振る舞いはあえて見て見ぬ振りをしているのだろう、彼女は冷蔵庫から冷たい水のペットボトルを無造作に取り出すと五〇〇ミリリットルのそれを一気に飲み干した。

 白い髪をアップにまとめ上げて露わとなった褐色の肌にはシャワーの後の水滴が浮いている。あのタオルの下はいつものように全裸なのは間違いない、珍客が居ても相変わらずなウルスラグナの様子に孝太は内心ホッとしていた。


「ウルシャ姫、その一枚布のようなお召しものは何ですの?」

「……」

「せっかくルセフィが声をかけてあげてるのに、またシカトだしぃ」


 またもや余計な一言を。これではまるで燃料投下ではないか。しかしウルスラグナは気持ちを抑えつつ皮肉混じりに応えた。


「これはタオルだ。この世界では濡れた身体からだの水をこれで拭うのだ。貴様は知らんのか。それとも前の飼い主は風呂にも入らぬやからだったのか?」

「ひっど――い、飼い主だなんて。ルセフィはペットじゃないし、それにりつくんはちゃんと清潔だったし」

「しかし今は牢獄に入っているではないか、それも貴様のせいでな」


 ウルスラグナの言動が徐々にヒートアップしている。これはまずいぞ、このままでは……しかし孝太の心配はルセフィの言葉で杞憂に終わる。


「へへ――んだ。ルセフィはそんな挑発には乗りませんわ。陳腐、陳腐、ほんとに陳腐ですこと」

野の民メイダンズルのクセに考える頭はあるようだな」

「お褒めに預かり光栄ですわウルシャ姫。そんなことよりルセフィもお風呂を頂くことにしますの」


 するとウルスラグナの顔に不敵な笑みが浮かんだ。キッチンの棚からボウルを手に取るとそれをカウンターに放り投げる。


「孝太、これに湯を入れてくれ、うむ、熱湯がいいな。それでそこの野の民メイダンズルを縁に立たせてやってくれ。あとは私が後ろから押してやろう」


 ウルスラグナのジョークにすらならない言葉に呆れた孝太はボウルを片付けながら続けた。


「ウルス、オレはおまえの味方のつもりだ。だけどな、ここは大人になってくれ。水の民ってのは理知的で平和主義なんだろ?」

「フンッ、何とでも言うがいい。とにかく私はひとつ部屋で寝食をともにできるほどそいつに気を許したわけではない。だから今夜は孝太のベッドを借りるぞ」


 そう言い残してウルスラグナは濡れたままの身体からだにバスタオル一枚を巻いただけの姿で孝太の部屋に引きこもってしまった。


「ったく面倒くせぇ。マジでこいつは時間がかかりそうだぜ」


 孝太は閉ざされた自室の引き戸を前にして呆れたため息をつくのだった。

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