第28話 この人が新しいご主人様っしょ

 怒りに満ちた瞳が月の光を受けてあおく輝いていた。野の民ルセフィは倒木の上に立ち、小さな身体からだを目いっぱいに使って金の弓を引き絞る。そしてひと呼吸、そのまま静かに息を吐きだすと再びこちらを見据えて矢を放った。


「伏せろウルス!」


 一直線の軌道を描いてウルスラグナ目指して飛ぶ矢を目で追いながら孝太が声を上げた。

 瞬時に身を屈めるウルスラグナ、しかしルセフィが放った矢はこちらには遠く及ばずすぐ前の水面に飲み込まれてしまった。

 呆気にとられる四人とともに撃った本人であるルセフィも茫然と水面の波紋を見つめていたが、すぐさま気を取り直して次の矢を放つ。しかしそれも最初の矢と同じく目の前に水紋を重ねただけだった。

 薄明りの下、悔しそうな顔で地団駄を踏むルセフィの姿がこちらからでもはっきりと覗えた。

 怒りと焦りで取り乱す小さな妖精を挑発するかのように今度はウルスラグナが前に出る。引き締まった褐色の肢体と月光に照らされたTバックショーツに社長と小川の視線は釘付けになっていた。


「自慢の矢はどうした。こちらに届きもしないではないか」

「今のはほんの座興ですの。勝負はこれからですわ!」


 ルセフィは矢筒から三本を掴むとそれを次々と射って来た。やはりその矢は途中で失速してしまうものの、しかし三本目だけはすぐ目の前まで飛んできた。ウルスラグナは腕輪を着けた右腕でそれをあっさりと払い飛ばすと水面の近くまで歩み寄る。そこで両手を腰に当てて勝ち誇ったように高笑いを上げた。


「もうあきらめろ。だが心配はいらぬ、苦しまないように始末してやる」


 ウルスラグナが両手を胸の前で構えると閃光一瞬、その両手には短剣が握られていた。しかしそんな彼女に怯むことなくルセフィはその場から飛び立つと間合いを詰めながら次々と矢を撃ち下ろしてきた。それを両手の剣でかわしてはなぎ払うウルスラグナ。彼女はルセフィを挑発しては引いてを繰り返しているものの、その動きはしっかりと計算され、敵をこちらに誘導しているのだった。

 からかうような言葉であおりながらジリジリと後退を続けるウルスラグナ、怒りで熱くなりその誘いにまんまと乗せられたルセフィ、二人の異世界人がバトルを繰り広げながら孝太たちが身を隠す林に近づいて来た。


 ルセフィの矢を避けながらウルスラグナはこちらの様子を伺うことも忘れてはいなかった。戦いながらもチラチラと向ける目配せを感じ取った社長が、手にした捕虫網の柄を伸ばして身を屈めながら迂回するように池の方向を目指して走った。

 それを察したウルスラグナがさらに誘い込むためなおもルセフィを焚きつける。


「ルセフィよ、そろそろ弾切れだろう。矢はあと何本残っているのだ?」


 その言葉にルセフィは右手で矢筒を確かめてみる。少ないながらもまだ数本の矢が残っている手応えを感じた。念のために筒に視線を向ける。

 しかしそれが彼女にとっての命取りだった。気付いたときには真っ白な闇がルセフィの全身を包み込んでいた。そしてそのまま彼女の身体からだは湿った土の上に叩きつけられた。


「捕まえたぁ――!」


 素っ頓狂な声を上げる社長、その声を聞いた孝太と小川も茂みから立ち上がって捕らえられたルセフィに歩み寄る。


「おい、油断するな!」


 そのとき背後から聞こえてきたのは相庵あいあん警部の声だった。ウルスラグナとルセフィがバトルを始めたと同時に、小川がその状況を警部に連絡していたのだった。

 遊歩道の向こうから相庵警部を先頭に三人の署員が駆け寄って来る。警部の言葉に従って孝太と小川は近付くのを止めて立ち止まった。


 今、この場にいる全員が社長が押さえる捕虫網の様子を遠巻きに伺っていた。するとそのとき、相庵警部の予想通り網の中から三本の矢が次々と放たれた。


「危ない、社長!」

「ひゃあ――、マ、マジか」


 慌てて尻もちをつく社長を庇うようにウルスラグナが前に立ちはだかって飛んでくる矢を短剣で次々と払い飛ばした。


「こうなったら仕方がない、野の民は私が神の下に送り届けることにしよう。みんな後ろに下がっていてくれ」


 そう言ってウルスラグナは手にした短剣を指輪の中に戻すと、今度は両の掌を重ねて異世界語イースラーで詠唱を始めた。


"Tohpurayohmトープラヨーム, tohpurayohmトープラヨーム, axurunemアフルネム mahyumマーユム."

(集まれ、集まれ、重たい水よ)

"Mihmimミーミム ehruzasエールザス tohpurayohmトープラヨーム, axurunemアフルネム mahyumマーユム."

(わが手に集まれ、重たい水よ)


 あれは……あの構えと詠唱は、まさかこの場で重たい水の破裂玉ボーマを使うつもりか。

 慌てた孝太がウルスラグナの手の中に球体が生成される前にその腕を掴んで詠唱を無理やり止めた。


「ウルス待て、それはダメだ!」

「コータ、なぜ止めるのだ!」

「ふざけんな! おまえ今、あの核兵器を使うつもりだったろ」

「もちろんだ。破裂玉ボーマで野の民を神の下へ……」

「バカ野郎、御苑で核爆発なんかさせられるか……って、うわ、今度は何だ?」


 孝太とウルスラグナの口論を遮るかのように捕虫網が金色の光を放ち、その中からひとりの少女が現れた。

 それは野の民の能力で人間と同じ大きさに擬態したルセフィだった。頬にも服にも背中の羽にも泥が付いた姿のその少女の頭にはまるで帽子のように捕虫網が被さっていた。


「もう激おこだよ! 泥だらけになるし、閉じ込めたまま放置プレイだし」


 そう言ってルセフィは頭に載った捕虫網を掴んで投げ捨てると、頬と服の泥を払いながらむくれ顔で腕組みしてウルスラグナを睨みつけた。


「まったくもう、まだお兄ちゃんに会えてもいないのに異次元に飛ばされるなんてまっぴらゴメンだし」

「貴様ぁ――」


 なおも攻撃しようと身を乗り出すウルスラグナと腰の矢筒に手を掛けようとするルセフィ、そんな二人を止めようと孝太が間に立ちはだかる。ウルスラグナは孝太の前に一歩踏み出すと困惑しながらも強い口調で言い返す。


「コータ、私はコータには感謝している。しかしこれだけは譲れん。野の民を生かしておいてはいかんのだ」

「何を言ってんだ、そりゃおまえたちの世界の話だろ。ここは別の世界だ、法律もあるし警察だってある。そりゃ羽が生えた妖精を取り締まるなんてできねぇけど、でも殺し合いはねぇだろ!」

「だから苦しまないようにしてやるのが私からの加護だ」

「あ――もう、この意地っ張りめ。とにかく話し合え、まずは話し合えっての!」


 怒りで言葉に詰まった孝太は相変わらずむくれているルセフィを横目で見ながらなおも続けた。


「なあウルス、おまえ言ってたじゃねぇか、大きな命は小さな命を守る、って。それが水の民の矜持きょうじだ、って。なのにおまえはあのを殺すってのか」

「ならば聞くが、コータ、貴様は初めてできた我が友を殺そうとしたではないか」

「我が友って、あれはゴキ……いやジーだろ。あれは……」

「おまえは不快だから殺すと言った。Gは何もしていないのに、だ。しかし野の民は違う。危険分子なのだ。我が国ミーマリムタリアの兵も民もみなヤツらに煮え湯を飲まされて来たのだ」

「だけど殺すなんて……」

「コータ、貴様、Gは殺してもいいが野の民を殺してはいかんと言うのか!」


 二人の口論は平行線をたどりいつまでも終わることがなかった。そんな二人を周囲の皆が呆れた顔で見ていた、この争いの原因であるルセフィまでもが。

 このままではいつまでも埒が明かないと、相庵警部が二人の間に割って入った。


「ハイハイそこまで、おまえらいい加減にしろ。夫婦喧嘩の続きは帰ってからにしてくれ。そんなことよりあのむすめだ。とりあえず便利屋、お前んで引き受けてくれ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。警部さんも見てたでしょ、ウルスの一歩も引かねぇ態度を。これでどうやって……」

「だからだよ。しばらくいっしょに住んで頭を冷やすんだ。おいウルトラちゃん、これでもこの娘は事件の重要参考人だ。だからと言ってこんな妖精なんざ署で預かるわけにいかん。だからお前さんたちが面倒を見るんだ。これは要請、いや命令だ」


 困惑の顔で孝太がつぶやく。


「そんな無茶な……」


 つぶやきながら横目でウルスラグナの顔色を覗う。相変わらずふて腐れたようにソッポを向いているが、どうやら渋々ながらも警部の要請に従う意志はあるようだった。


 そのとき再び金色の閃光が周囲を照らす。思わず目を背ける署員たち、そしてその光が消えたとき、そこには元の姿に戻ったルセフィが羽をはばたかせていた。

 彼女はホバリングしながら孝太の目の前にやってくるとこれまでとはうって変わった人懐っこい笑顔を見せた。


「どうやらあなたがいちばん話が解りそうだし、ちょっとウザいお姫様が気になるけど、それでもご飯と寝るところを保証してくれるなら、ルセフィはきっとあなたの役に立つと思うし」


 ルセフィは孝太の肩に腰を下ろして羽を休める。そしてその顔を指差しながら目の前の皆に向かって宣言した。


「決――めた、この人がルセフィの新しいご主人様っしょ」


 そこで相庵警部が捜査終了の声を上げた。


「よし、便利屋は後日にそのチビッ子を連れて署に……いや、そりゃマズいな、とりあえず俺様がお前さんのとこに出向いてやるわ、様子伺いを兼ねてな。それまで三人仲良くやっとけ。それじゃ今日はこれで解散だ」


 警部の号令一下、その場にいるそれぞれがバラバラと遊歩道に出て大木戸門おきどもんを目指す。あれから一言も発しないウルスラグナだったが、ようやっと重い口を開いた。


「コータ、そいつと暮らすのならば条件がある。まずは鳥かごを用意してくれ」

「鳥かごはいくらなんでもだろ、せめてドールハウスくらいで……」

「ならば段ボール箱でよかろう。確かコータの部屋にあったはずだ」

「ウルス、おまえって案外キツい性格してるな」

「野の民相手にずいぶんと手厚いものだな。この際だから言わせてもらうが、私のベッドは未だにソファーではないか」

「そ、それはすまねぇと思ってる。だけどしょうがねぇじゃねぇか、部屋数が足りねぇんだから。それにあれはソファーじゃねぇ、ソファーベッドだ」

「フン、詭弁だな」


 二人の口論を周囲の皆が温かい目で見守る中、ルセフィが孝太の肩から飛び立って二人の目の前でホバリングしながら目を潤ませる、それはまるで三文芝居であるかのように。


「お願い二人とも、けんかをやめて、ルセフィのために争わないで、もうこれ以上。小さな命は守らなきゃだし」


 しかしその一言が火に油を注いだ。熱くなっていた孝太とウルスラグナが口を揃えてルセフィに向かって声を上げた。


「ふざけるな、てめぇ!」

「ふざけるな、貴様!」


 その声に動じることもなくルセフィは二人を小馬鹿にするように慇懃な態度で続けた。


「それならルセフィはご主人様にお仕えするためにメイドさんになりますの」


 そう言って首から下げたペンダントを握って軽く目を閉じる。一瞬の閃光に続いて現れたのはメイド姿のルセフィだった。

 呆気にとられて言葉が出ない孝太にルセフィは次々と衣装を変化へんげさせて見せた。


「う――ん、ダメかなぁ……それじゃこれは? これなんかどぉ? こんなのもございますのよ」


 目の前でメイド服からEQuAエクアのステージ衣装、体操着そしてスクール水着と変身を繰り返す。


「おまえのそれってウルスのと同じ機能があるのか。なるほど、あの青年、異世界人相手に着せ替え人形の真似事してたんだな。まったくなんてヤツだ」


 孝太はスクール水着姿のルセフィを指差しながら語気を強めた。


「あ――もういいから、メイドでもなんでも。だがな、体操着とスク水は勘弁だ」

「は――い、かしこまりで――す、ご主人様ぁ。これからルセフィはかわいいメイドさんモードになりま――す」


 またもやの閃光、それに続いてルセフィはメイド姿に戻って再び孝太の肩に腰を下ろした。上機嫌で鼻歌を口ずさむルセフィだったがそんな彼女にスマートフォンを向けながら小川が恥ずかしそうに懇願する。


「写真、撮ってもいいですか?」

「ダメ――!」


 ルセフィはムッとした顔で孝太の肩の上に立ち上がると小川に向けて弓を構えるのだった。




※謝辞

本作第二章の終幕から第三章公開まで三年近い時間を要してしまいました。

そして二〇二三年十二月、ようやっと第三章の公開ができることとなりました。

本章で登場した新キャラの口から異世界の話が明かされます。

うまく書けて(描けて)いるかどうか不安ではありますが、引き続きご愛読をお願い申し上げます。


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