第16話 重たい水の破裂玉
孝太は寝室のクローゼットをガサゴソと漁ってアースグリーンのブルゾンとズボンを引っ張り出した。
「とりあえずこれに着替えろ」
それは建築現場で着る作業服だった。そして孝太は服とともに出して来たグローブと安全帽も見せながら続けた。
「それとこれもだ。あと安全靴は玄関に出しておくから」
「これは護身具か? コータ、身を守るならこんなものより……」
「現場に入るときのルールだ。例外はねぇ」
「わかった。ここはコータの世界だ、コータの言葉に従おう」
ウルスラグナは着替えるためにシャツを脱ぐと続いて下着も脱ぎ始めた。孝太は慌ててそれを制止する。
「待て待て。おまえ、なんで全裸になるの」
「なんだ、着替えろと言ったり止めてみたり」
「だから、作業着は下着とかシャツの上から着るんだ」
「そうガミガミとまくし立てるな。まるで元老院の長老みたいだぞ」
「元老院なんてどこの異世界の話だよ。それにオレはそんなジジイじゃねぇ。いいからさっさと着ろ」
何か言いたげな目をこちらに向けながらも着替えを終えたウルスラグナに孝太はステンレス製の髪留めを手渡す。
「ウルス、おまえのその髪は現場に出るには長すぎる。だからそいつで束ねてくれ。それに安全帽をかぶっちまえばその耳も目立たねぇだろ」
「これはコータが買って来たのか」
「ああ、安物だけどな」
「そうか、あ……ありがとう……コータ」
ウルスラグナはこの世界に来てから初めて日本語で礼を述べた。そして慌ただしく玄関先に向かう孝太の背中見つめながら気恥ずかしそうに微笑むのだった。
それは数日前のこと、ウルスラグナを連れて街の案内を兼ねた散歩の最中に孝太のスマートフォンが鳴った。
「お――いたいた、キバヤン、今ちょっと話せるか?」
電話の相手は孝太が以前にバイトをしていた便利屋の社長だった。
かつて音楽の道を目指すために会社を辞めてしまった孝太が食うに困って世話になったのがその社長の事務所だった。やがて孝太はその社長から独立を勧められる。そして今、孝太は便利屋稼業の傍らで音楽活動も行なう生活になっているのだった。
その社長からの電話である、またもや仕事の斡旋だろう。孝太はウルスラグナに片手で合図をすると道端に寄って会話を始めた。
「簡単な一日仕事なんだけどさ、やるか?」
「内容にもよりますが、どんな仕事なんです?」
「ゴミ屋敷の片付けだ」
「えっ、社長、それってまさか……」
「そう構えるなって、事故物件とかじゃないから。住人はお年寄りでな、ずいぶんと前に入院してそのまま病院で息を引き取ったんだわ。それでそのご遺族がそこを更地にして二世帯住宅を建てるんだとさ。そのための片付けだ」
「そうっすか。いいですよ、やります」
「やっぱキバヤンは話が速いわ。実行は来週の月曜日、元請けからも何人か来るからその応援だ。それじゃ明日にでも事務所に顔出してくれ」
そして電話を切ろうとする社長のそれを制するように孝太は声を上げた。
「社長、ちょっと待って。オレんとこに同居人がいるんっすけど手伝わせていいですかねぇ……ええ、結構パワーがあるヤツなんです。女なんだけどそこいらの男連中より使えますよ。えっ、彼女かって……いえいえ、そんなんじゃないですよ」
人手は多い方がいいと考えた社長はウルスラグナが手伝うことを快諾した。
働かざる者食うべからず、だ。孝太も彼女がこの先パートナーとしてやっていくための経験にちょうどいいだろうと考えていた、そのときまでは。
日本有数の繁華街である新宿、しかしその中心地から少し外れたあたりにはバブル時代の地上げを逃れた住宅街が広がっている。小さな家が軒を連ねるその一角に、ここいらにしては珍しい庭付きの一戸建てがあった。
「ゴミ屋敷って言うからどんなものかと思えば、こうして見るとただの古い空き家だよな」
孝太はウルスラグナと並んでその家の全体をざっと眺めてみた。そして閉ざされた門扉を開けて敷地に入りこむ。それほど広くはないが庭と呼ぶには十分な大きさの土地は冬枯れたままの下草に覆われていた。
「それにしてもこの広さの土地に平屋なんて贅沢だよな」
そんなことをひとりつぶやく孝太の耳に車のエンジン音が聞こえた。どうやらこの仕事を孝太に依頼した社長が到着したようである。
「社長!」
門を開けて入ろうとする社長に孝太が駆け寄る。
「よおキバヤン、ご苦労さん。で、あの
社長は庭の真ん中に立つウルスラグナをにやけた顔で見ながら続けた。
「最近評判だよ、キバヤンが外国人のペッピンさんを連れてるって」
「いや、アイツはそんなんじゃなくて……」
「そう照れるなって。キバヤンだってそろそろ所帯持ってもいい歳だろ。まあ今回の仕事はあんまり予算ないんだけどさ、これからも協力してやっから頑張れよ」
「いや社長、ほんとにそんなんじゃ……とにかく紹介しますよ。お――い、ウルス、ちょっと来てくれ」
孝太はウルスラグナを手招きして呼ぶと社長に紹介した。握手を交わす二人だったが社長の顔はにやけた笑みから少し険しい表情に変わっていた。それはウルスラグナの握力のせいだった。彼女は親愛の情を込めてにこやかに手を握ったのだがその力は思いのほか強く、社長はいささか面食らってしまったのだった。
「それにしてもウル、ウルスル……」
「ウルスラグナだ」
「ハハ、ウルスラグナちゃんは力が強いなぁ、キレイな顔からは想像できないよ。いやはや驚いちゃったよ」
それから社長は孝太とウルスラグナに作業の説明を始めた。形見や通帳、有価証券など金目のものは既に遺族が運び出しているのでここに残されたものはすべてが不用品である。これから解体業者が作業員を連れてトラックでやって来るので、あとはみんなで家の中のすべてを積み込めばよいのだった。
そして社長は続けた。
「きれいになったらあとは解体して更地にするんだけどさ、キバヤン、ウルスラグナちゃんは解体もイケるかな。こんだけのパワーがあるなら解体屋の大将に紹介してやると喜びそうなんだよな。ギャラもうちより少しはいいだろうし。なんならこのあと紹介しようか?」
「マジっすか、それは助かります、お願いします」
孝太と社長のやりとりにウルスラグナが割って入る。
「コータ、仕事か」
「ああ、今日の仕事のあとにな。その家を解体する手伝いだ」
「ふ――む、これをか」
ウルスラグナはあごに手を当てながら建物の周囲を眺めてみる。そして孝太と社長ににこやかな笑みを見せて言った。
「よし、ならば私にまかせてくれ」
「まかせてくれって、ウルス、おまえひとりじゃどうしようもねぇだろ」
「ウルスラグナちゃん、いくら力が強くてもひとりで解体は無理だよ」
孝太と社長は呆れた顔でウルスラグナを見ていたが、妙に自信に満ちたその目に何かを感じたのだろう、孝太は訝し気な顔で彼女に問いかける。
「ウルス、おまえ何をするつもりだ……てか、その自信はどっから来てんだ?」
「コータ、それに社長、とにかく私の後ろに下がっていてくれ」
コータと社長はとりあえずその言葉にしたがって庭の真ん中に立つ彼女のすぐ後ろに寄り添う。ウルスラグナは目の前の家を見つめたまま問いかける。
「社長、あの家をなくせばよいのだな」
「なくすって……まあ最後は解体するからなぁ」
「社長、ここを何もない地にすればよいのだな」
「ハハハ、ウルスラグナちゃんは大袈裟だな。まるで爆裂魔法で吹っ飛ばすみたいじゃないか」
「お、おいウルス、またわけのわかんねぇ加護だか祝福だかじゃなぇだろうな」
ウルスラグナは不敵な笑みを浮かべて二人にチラリと目を向けると再び建物に向いて静かに目を閉じた。そしてブツブツと呪文らしきものを唱え始める。その言葉とともに左手を上に右手をそれにかぶせるようにして、まるで手の中で何かを撫でるような仕草を始めた。
"
(集まれ、集まれ、重たい水よ)
"
(わが手に集まれ、重たい水よ)
ウルスラグナが詠唱を繰り返しているとやがてその手の中にぼんやりとした球体が浮かび上がった。それは彼女の言葉に合わせて光を放ちながらハッキリとしたカタチを成していく。
彼女が徐々に両手の間隔を狭めていくとそれに合わせて球体も圧縮されていく。やがてその大きさがピンポン玉ほどまでに小さくなると今度はその光が白から青白い輝きに変わっていった。
「よし、これくらいでよいだろう。コータ、社長、二人とも目をやられないように気をつけてくれ」
ウルスラグナは続けて力強い声を上げた。
"
(神よ、わが手に水の加護を!)
彼女の手から青白い光の球が放たれる。
「
そう言うが早いかその手から放たれた球体が建物に到達したその瞬間、強烈な閃光が発せられ、それとともに腹に響く重たい衝撃が周囲の地面を震わせた。
「よし、もういいぞ」
孝太と社長の二人が顔を上げたとき、目の前は濃密で真っ白な蒸気に覆われていた。そして目を上に向けると白煙らしきものが遥か上空にまで立ちのぼっていた。
ウルスラグナはその光景を満足そうに見上げると「うん」と頷いて再び詠唱をつぶやいた。
"
(神様、感謝します!)
すると周囲に立ち込めていた蒸気だけでなく、上空高く上がっていた白煙までもがまるでフィルムを逆回転させるがごとく一点に向けて
言葉を失い顔を見合わせてただ呆然とする社長と孝太。そんな二人にウルスラグナはにこやかな顔を向ける。
「どうだコータ、これが我ら水の民だけが賜る神の加護だ。重たい水の破裂玉だ」
重たい水の破裂玉、彼女の世界の言葉では
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