第17話 鬼警部、相庵貞夫

 ドヤ顔で胸を張るウルスラグナの言葉で我に返った孝太が思わず声を上げる。


「神の加護っておまえ、家はどこに行っちゃったんだよ、あの家は」

「あれは神の下に旅立った」

「旅立ったって、そう言う問題じゃなくてなぁ……」


 二人の会話に社長が割って入る。


「すごいよウルスラグナちゃん、まさかほんとに爆裂魔法をぶっ放すとは思わなかったよ、ハハハ」

「魔法ではない。これは神の加護だ、破裂玉だ」

「破裂玉って……そう言えばおまえ、重たい水がどうとか言ってたな」

「そうだ、破裂玉ボーマは重たい水だけを集めるのだ。普通の水ではダメなのだ」

「重たい水って、まさか重水素か。おまえ、重水素だけを集めたのか?」

「ジュウなんとかは知らんが水の中には重たいものがあるのだ、それもいくつかの重さがある。それを集めて……」

「だからそれを重水素って言うんだ。いくつかのって……なるほど、わかったぞ。おまえ、その加護だかの力で重水素と三重水素トリチウムだけを集めたんだな。まったくなんて能力だよ」


 ウルスラグナは困った顔でため息をつく。


「コータは何をそんなに怒っているのだ。私は役に立てただろう」

「役に立ったよ、大助かりだよウルスラグナちゃん」

「ほら見ろコータ、社長もこう言ってるではないか」


 社長と笑みをかわすウルスラグナに孝太は語気を荒げて続けた。


「今おまえがやったのはまんま核融合反応だろ。てか、核兵器じゃねぇか!」

「コータ、おまえは何を言ってるんだ」

「放射能だよ、放射能。この新宿のド真ん中で核爆発させたんだぞ、おまえは」

「難しいことはわからんが心配ない。すべてまとめて神の下に送ったのだから」

「だ――か――ら、オレも社長も被爆しちまっただろ、って言ってるんだ」

「それも問題ない。コータも社長も私が守った。すべてまとめて神の下へだ」

「あ――もう、オレは知らねぇぞ」

「キバヤン、なにをそんなにカリカリしてるんだよ」

「社長、今こいつが放ったのは水爆みたいなもんですよ。それもこの世界じゃ理論上でしか存在しない純粋水爆ってヤツですよ」

「まあまあキバヤン、おれはそんな難しい話はよくわからないけどさ、ここまでやってくれたんだ、むしろ清々しいぜ。それに産廃だ解体だの費用も浮いたし、おれとしては万々歳だよ」

「社長……」

「とにかくそんなに心配するなって。あとのことはこっちでやっとくからさ。解体業者も手間が省けて喜ぶだろ」

「はぁ――まったくもう。社長、ご迷惑おかけします。とにかくいろいろとすみませんです」


 孝太は社長に深々と頭を下げた。そんな孝太を尻目に社長は満面の笑みを浮かべてウルスラグナと握手を交わす。そして握ったその手をブンブンと振りながら早口でまくしたてた。


「とにかくすごいものを見せてもらったよウルスラグナちゃん。あんた力も強いし超能力もあるし、おれはますます気に入ったよ。これからもいろいろと頼むよ。そうだ、今度またあるんだよ解体の仕事が。それもお願いしようかな」


 いささか興奮気味の社長を前にしてウルスラグナは少しばかり困惑した顔で孝太に助けを求めた。


「コータ、社長は見てしまった、神の加護を」


 孝太は二人に近づくと社長に向かって真顔で言った。


「社長、今日のことなんですけど……」

「わかってるって、おれたち三人の秘密ってことだろ。ま、こんな話は誰も信じないだろうし心配いらないよ。それに商売柄おれは口は固いってことはキバヤンだってよく知ってるだろ」

「もちろんです社長。オレは社長を信頼してますから」


 そして孝太はウルスラグナに振り返ると、彼女が以前にマーケットで起こした乱闘騒ぎの際に見せた、そこにいるすべての者の記憶を消してしまう「祝福」なるものを今度は社長に向けて発しようとしているのを手を上げて制した。


「そう言うわけだウルス、社長は大丈夫だからその手を下ろしてくれ」

「コータがそう言うのなら私も信用しよう」


 孝太とウルスラグナのやり取りを横目に見ながら社長はすっかり更地となった現場の写真をデジタルカメラで撮影した。


「よし、これで元請けの大将に報告だ。さて、騒ぎにならないうちにとっとと退散しようぜ」


 こうして三人が現場を後にして門に向かって歩き出したそのときだった、サイレンを鳴らさずに赤色灯だけを点灯させたパトロールカーが門の前に停まる。そしてその車の助手席からはチャコールグレーのスーツにノーネクタイの男が孝太たち三人を威嚇するような険しい顔を見せながら降りてきた。

 何食わぬ顔でやり過ごそうとする社長と孝太を、そうは行かせまいとして男は門の前に立ちふさがる。


「あっ、これは相庵あいあん警部、いつもお世話になっております」


 まずは社長が丁重に頭を下げる。社長に続いて孝太も頭を下げた。


 男の名は相庵あいあん貞夫さだお、東新宿署の警部である。鋭い勘に加えてパワータイプの見た目に似合わぬ論理的思考、そして一度狙いをつけたならば決してあきらめない執念深さと厳しい追及、いつしか人は彼を鬼警部と呼ぶようになった。

 鬼などと呼ばれることは不本意ではあるものの、新宿を根城にするアウトローたちは相庵の読みと英語のアイアンとを引っ掛けて「鬼鉄おにてつ」と呼んでいることは彼の耳にも届いていた。

 そして孝太も社長もこの新宿界隈で便利屋稼業を営んでいる関係でこの相庵警部とは知った顔の間柄だった。とにかく狙った獲物は決して逃さないこの男に孝太はえらく気を遣うのだった。


 相庵警部は孝太たちが門から出ようとするのを片手を上げて制すると、そのまま敷地の中に押し戻した。少しの動揺も見逃さんぞという鋭い眼光で孝太と社長を睨みつける相庵警部。二人の肩越しに見えるウルスラグナにも目を配りながら警部は二人に問いかけた。


「おまえら、いつからここにいたんだ?」

「今さっき来たんです。昨日解体作業が終わったってんで完了の写真を撮りに来たんですよ」


 社長が馬鹿丁寧にそう答えると警部はそれを確かめるように孝太の顔を見る。


「おいキバヤン、社長の話は本当か」

「え、ええ本当です」

「ふ――ん、まあいいか。ところでここに家があっただろ平屋造りの、年寄りがひとりで住んでた」


 警部はまるで外堀を埋めるようにじわじわと問いかけてくる。


「ええ警部さん。ですからそれを取り壊したんですよ、遺族が二世帯住宅を建てるってんで」

「おかしいなぁ、ついこの間まであったろ、ここに家が。解体なんてそんなすぐにできるもんなのか?」

「ええ警部さん。最近は技術が……その……いろいろと進歩してるんですよ」


 警部は不敵な笑みとともに社長への問いかけを終えると今度は孝太の顔にグイっと自分の顔を近づけてきた。


「なあキバヤン、この俺様にウソは通じないってのはわかってるよな」

「え、ええ」

「そうか、わかってればいいんだよ」


 相庵警部は孝太から顔を離すと、その後ろに立つウルスラグナにちらりと視線を向けたながら再び二人に詰め寄った。


「実は今しがた通報があったんだ、ここいらで爆発があったってな。おまえらがやったとまでは言わないが……本当になにも知らないんだな?」

「ええ警部さん、まったく存じ上げませんです。爆発なんて音も聞こえなかったし、なあ、キバヤン」

「えっ、ええ、知らねぇっす、マジで」


 すると警部は孝太の向こうに立つウルスラグナにも声をかけてみる。


「そこのお嬢さんはどうだ、何か知らんか?」

「……」

「お嬢さん、日本語わかるか、日本語」


 ウルスラグナはその場に立ったまま憮然とした顔で答えた。


"Urusragunaウルスラグナ xalsmimハルスミム, duhsiexalsmimnilドゥーシェハルスミムニル."

(私はウルスラグナだ、お嬢さんではない)


「なんだ、外人さんか……まあいいや、とにかく何かあったら連絡くれや」


 この男はおそらく自分たちを疑っているだろう、そんなオーラをひしひしと感じながら孝太は相庵警部の後ろ姿を見送った。


 するとそのとき、警部は何かを思い出したように再び孝太の下に戻って来ると、またもや疑り深げに顔を近づけてきた。


「ところで先週のことなんだがな、真夜中のドンキーマートで乱闘騒ぎがあったってんだが、おまえさん何か知ってるか?」

「い、いえ知らねぇっす」

「かなりの人数がいたはずなんだが目撃者がえらく少なくてな。ヤンチャな野郎ども数人がブチのめされるような騒ぎで誰もそれを見てないってんだ、おかしいと思わないか?」

「そ、そうですか? 夜中だからじゃねぇっすか?」

「どうやら女一人でやっつけちまった、って話なんだけどさ」


 相庵あいあん警部はまたもウルスラグナに視線を向けてそう言うと、孝太により一層顔を近づけながらドスの効いた声で忠告してきた。


「そう言えばここ最近、新宿界隈で外国人のトラブルが増えてるってんで外事やら入管やらの連中がピリピリしててな。おまえさんの彼女か何か知らんがあのもとにかく注意しとけや。俺様からの忠告だよ、キバヤン」


 そう言って相庵警部は孝太の肩をポンっと軽く叩いた。そして踵を返すと今度こそパトロールカーの助手席に乗り込んでその場を去っていった。


「まいったな、東新宿の鬼鉄が乗り込んでくるとは思わなかったよ。それよりキバヤン、ヤツと何か話してたみたいだけど大丈夫か?」

「あの人、うちのウルスを疑ってるみたいだけど言葉が通じねぇもんだからあきらめたみたいで」

「それにしても今日のところは助かったけど、ちょいとやり過ぎだったかもな。鬼鉄のしつこさはハンパないし、とにかくキバヤンもウルスラグナちゃんも目をつけられないように注意しといた方がよさそうだ」


 赤色灯を消してゆっくりと去っていくパトロールカーを見送る三人、社長は住宅街に消えていくテールランプをぼんやりと見つめながら申し訳なさそうに言った。


「なあキバヤン、さっきの解体の話なんだけどさ……」

「ええ、わかってます社長。しばらくはおとなしくしておきます。うちのウルスにもそう言っておきますよ」


 そんな会話を交わす二人の後ろ姿をウルスラグナはどこか釈然としない思いで眺めていたのだった。

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