第12話 三月の濡れた床
水栓をひねると勢いよく吐き出される水が、適温よりも少しばかり熱めに達するのにそれほどの時間はかからなかった。シャワーヘッドを右手に取って、空いた左手で湯加減を確かめる。
水温の上昇とともに立ちのぼる熱気が小さなユニットバスの全体を純白のシフォン生地のようにぼんやりと覆う。やがて飽和状態となった水蒸気が結露して冷たい水滴になって背後から柔らかい首筋にポタリと落ちると、湯気の向こうのシルエットが不意をつかれたようにピクリと肩を震わせた。
しっとりとした温もりにその身を包まれながら肩から胸、下腹部から内腿へとシャワーヘッドを移動する。そしてもう一方の手がなぞるようにしてその後を追う。
肩から背中へ、そしてよく鍛えられた筋肉が描くしなやかな背骨に沿うように流れるたっぷりとした湯の軌跡が異世界での戦いに疲れた
まるで少年のように引き締まっていながらもなめらかな曲線を描く尻と、そこからすらりと伸びた脚の先までを十分に温めたならば、シャワーヘッドをフックに掛けて絹にも似た純白の髪にたっぷりと湯をなじませる。
こうして
豊かな乳房と引き締まった下腹部がたっぷりのムースで覆われる。ミルクコーヒーのような肌とそれに浮かぶ新鮮なフォームドミルクにも似たきめの細かい白い泡のコントラストは、密度の高い湯気にけぶる中でも孝太の目にしっかりと焼き付いていた。
――*――
「おい、コータ、コータ!」
突然のその声に孝太の甘美なまどろみは打ち破られた。
「おまえはいったい何を想像してるんだ。オレはシャワーなるモノの使い方を教えろと言ったんだぜ」
ウルスラグナにはおデコをくっつけて相手の知識を読み取る能力があることを孝太は知っている。孝太の説明よりも神の加護とか言うその能力でシャワーの使い方を身に着けるのだと彼女は言う。それならばやりたいようにやらせてみるか。
こうしてウルスラグナは孝太が想い描く映像を自らの知識として吸収するはずだったのだが、そのとき孝太はシャワーを使う自分の姿ではなく、シャワーを浴びる彼女の姿を思い浮かべてしまったのだった。
目の前にはウルスラグナの憮然とした顔、既に日付が変わっているが今日二度目のスケベシーン、今度こそ本当にあの鉄拳が自分に飛んでくるだろうと覚悟を決めて孝太はグッと歯を食いしばって目を閉じた。
しかし彼女はそんなことにはお構いなしにもう一度トライしようと言う。
「とにかくもう一度だ。今度は今のシーンの前、シャワーを使い始めるところから想像してくれ。それと、オレではなくコータでだぞ、いいな」
それにしてもカマトトなのか天然なのか、とにかくこの娘はエッチやらスケベやらにはまったく無頓着のようだ。とりあえず孝太は心の中でホッと胸をなでおろしながらも、しかしこれからもう一度あれをやることには少々辟易していた。
「なあウルス、やっぱ口で説明した方が早いんじゃねぇか」
「コータはオレを信じられねぇのか」
「てか、こうしてるうちに説明できたんじゃねぇか?」
「確実にオレの知識にするんだったらこっちの方がいいんだ」
そう言ってウルスラグナは孝太の頭を両手でつかむと、それをグイッと引き寄せて再び額と額を密着させた。孝太の耳の奥でまたもや
孝太は静かに目を閉じると今度こそ自分の立場になってシャワーを使う場面を想像するのだった。
「よし、わかった。コータは向こうで休んでてくれ」
「加護だかなんだか知らねぇけど、ほんとに大丈夫なんだろうな。とにかく困ったときはオレを呼ぶこと。いいな」
そう言って孝太はウルスラグナのベッドメイキングのために脱衣室を後にした。
「それにしても、今回はあいつのにニブさに助けられたぜ」
孝太はシャワーの音が遠く聞こえる壁を見つめながらほくそ笑むと、ウルスラグナに回復してもらった右肩をひと回しして大きなため息をついた。そして誰もいないリビングの静寂に心地よさを感じながら孝太は「よしっ」とひとりつぶやくと今夜これからの準備を始めるのだった。
さて、問題はウルスラグナをどこに寝かせるかだ。さすがに同じベッドというわけにはいかない。ならば自分のベッドに……いやいや、この世界に不慣れなあいつに自分の部屋を使わせるなんて。
孝太はリビングの真ん中で腕組みをしながらしばし逡巡していた。
「よし、決まった」
ひとりで声を上げた孝太は寝室のクローゼットからシーツと毛布を抱えて来るとそれでソファーに簡単な寝床をしつらえた。
とりあえず今夜はこれでいいだろう。明日、いや、もう今日だが、とにかくこれからのことはあとで考えればいい。とにかく今日はいろいろあり過ぎてえらく疲れた。早くシャワーを浴びて自分もさっさと寝てしまいたい。
孝太がひんやりとしたフローリング床にへたり込むと、その途端に猛烈な眠気がその全身を包み込んだ。遠く微かに聞こえるシャワーの音がより一層の眠気を誘う。
あの音のするところではウルスラグナがシャワーを浴びているのだ。孝太はぼんやりとした頭で白い湯気に包まれたあのしなやか褐色の肢体を想像していた。そしてこれからの二人の生活に思いを巡らせながら、孝太はゆるやかな眠りの中に引き込まれていくのだった。
「コータ、おい、コータ」
孝太の頭の中でまたもや若い娘の声が響く。
誰だ、玄関のカギはかかっているはずなのに、デリヘル……デリヘルなんぞ呼んだ覚えもない。
てか、デリヘルが客を呼び捨てにするか?
ありえないだろ、そんなの。ああもう、起きるのが面倒くせぇ。
「とにかく起きろ、コータ。起きるんだ」
遠く聞こえる娘の声とともに鼻腔を微かにくすぐるボディーソープの香りが心地よく、孝太をより深い眠りに誘う。
それにしてもここはオレの部屋だよな。ならこの声はなんだっけ。
孝太はぼんやりとした意識の中で声の主を確かめる。
"
(起きろ、孝太!)
ウルスラグナが
なんだ、このわけのわかんねぇ言葉は……イ、
孝太のぼやけた頭の中ですべてがつながった。そうだ、あいつは確かシャワーを浴びていたはず。
孝太は重たい瞼をなんとか見開いた。するとそこにはウルスラグナの困惑した表情があった。床に座る孝太を見下ろすように腰をかがめているウルスラグナの顔が孝太の顔に迫る。
「
(おはよう)
「ああ、オレ寝ちまってたのか……って、お、おいウルス、おまえ、裸、裸!」
孝太の目の前で笑みを浮かべるウルスラグナは一糸まとわぬ姿だった。純白の濡れた長い髪は褐色の肌に張りつき、細身の割に豊かな乳房からもポタポタと雫が落ちている。
ウルスラグナはかがめていた身を起こすとその場に仁王立ちとなってベランダに続く窓を指差した。
「コータ、あの窓から外に出ることができるんだよな」
今、孝太の目の前には妖艶にくびれたウエストと細身ながら鍛え上げられたスラリとした二本の太腿がある。そしてその合間からもポタポタと雫がたれ落ちていた。
しかしウルスラグナはそんなことなど我関せずな顔をして、またもや孝太に顔を近づけて言った。
「ちょっと
ウルスラグナは言うが早いかズンズンと窓の前に立ち、そのままブラインドを上げようとする。もちろん彼女の歩いた後には濡れた足跡もついている。よく見るとその足跡は浴室から孝太が寝ていたソファーの前までも続いていた。どうやらシャワーの後に
孝太の眠気は一気に吹っ飛んだ。その場で飛び上がるように立ち上がると慌ててウルスラグナに駆け寄ってその手を止めた。
「ま、待て、ウルス。おまえ、まさかそのカッコでベランダに出ようってんじゃねぇだろうな」
「もちろんそのつもりだ。水を浴びたら
「だからって年頃の娘が真夜中に素っ裸でベランダに出るなんて、あり得ねぇ。いったいおまえの住む世界はどうなってんだ」
「自然の風に身を委ねちゃダメなのか」
「あのな、ここでは裸で外に出ちゃいけないの」
「どうしてだ」
「どうしてもだ」
「ならどうやってこの
「だから、タオルを置いといただろ。あれで
「なんだかわからねぇけど、そんなにまくし立てるな」
「あ――もう、とにかくおまえは向こうで
「なんだそんなことを気にしてんのか。心配すんな、オレにまかせろ」
ウルスラグナは左右の手のひらを上下に合わせるとリビングの床全体を
孝太の目の前を表面張力でふるふると震える水の球体が飛んでいく。そしてそれは流し台のシンクの上でパシャリと弾けるとそのまま排水口に吸い込まれてしまった。
「なあウルス、おまえ、そんな芸当ができるんだったら自分の
すったもんだの末に孝太がシャワーを終えてリビングに戻ってくると、ウルスラグナはにこやかな笑顔で立っていた。
「コータ、どうだ似合うか?」
ヘソの上あたりまでを覆う短い丈の白いキャミソール、それに包まれた乳房がうっすらと透けて見える。無駄のない褐色のウエストラインが腰のくびれにかかるハイカットなTバックショーツの白さを際立たせる。そんなウルスラグナの姿は煽情的と言うよりもむしろ健康的な印象を与えていた。
「おまえにはまだまだ聞きたいことも言いたいこともあるけど今夜はもう寝るぞ」
「ああ、これからもよろしくな。おやすみ、コータ」
ウルスラグナはソファーに横になり孝太が用意した毛布に身を包んだ。
"
(おやすみ、ウルス)
まるでネイティブスピーカーのように
「ウルスのやつ、シャワーを覚えるとか言いながらオレの中に自分の知識を流し込みやがったな」
孝太は寝室で横になると、ぼんやりと天井を見つめながらひとりそうつぶやくのだった。
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