第11話 エルフって、なんだ

 LGBTタウンとしてもその名が知られる新宿二丁目、まるでそんな気はない孝太であるが、生活が不規則なことに加えて自分の部屋から近いことも相まって深夜でも食事ができるこの街に彼は行きつけの店をいくつか持っていた。時計の針は午前二時、深夜営業とは言えそろそろラストオーダーを迎える店も現れる頃、孝太は両手に荷物を抱えながらウルスラグナを従えて目当ての店の前に立っていた。


 アンティークガラスを通して見える店内では何組かの客がこんな時間でもまだ料理やワインを楽しんでいるのが見える。はやる気持ちを抑えながら両手の荷物のやり場でまごまごしている姿がウインドウ越しに見えたのだろう、黒塗りの鉄製フレームのクラシカルな扉が開いてそんな孝太を招き入れた。


「あらキバヤン、こんな時間にめずらしいわね」


 扉を開けて立つ小柄な男性はこの店の店長、恭平きょうへいだった。白いクルーネックシャツに黒のベスト、頭に載せた小振りのパナマ帽は彼のトレードマークだ。


「恭平ママ、こんな時間だけど、まだ大丈夫っすか?」

「ほんとはね、アレなんだけど、ま、キバヤンだしね。とりあえず入って……あら、ずいぶんとキレイなお連れさんね」

「ああ、コイツはちょっと……いろいろワケありで」

「ふ――ん、キバヤンがねぇ、ふふふ、今度じっくり聞かせてもらうわ。とにかく入ってそこらに座って」

「ありがとう、助かったよ」


 そして孝太は入口で躊躇しているウルスラグナに声をかける。


「ほら、おまえも入れよ。ここにはいつもお世話になってるんだ、遠慮しなくていいぞ」


 ウルスラグナは孝太の言葉に従って恐る恐る足を踏み入れた。エントランス正面、レジの前で恭平ママがにこやかな顔で会釈する。ウルスラグナはパーカーのフードを脱ぐと緊張した面持ちで彼を一瞥しながらそそくさと孝太が立つテーブル席に向かった。

 孝太は二つの買いもの袋を床に置いてフ――ッと大きなため息をつく。ウルスラグナは孝太の向かいに座ったもののモジモジと居心地悪そうな様子だった。


「キバヤン、時間が時間だからオーダーはちょっとね。とりあえずおまかせでいいでしょ」

「ほんと無理言ってすんません」

「最近は警察がうるさくてね、ラスト以降にオーダー受けてるのが知れると面倒なのよ。ところでそちらのお嬢さんは初めてよね、何か食べられないものはある?」

「オ、オレは……」


 ウルスラグナは立てた人差し指を額に当ててしばし考える。どうやら孝太から得た知識を検索しているようだった。


「ウルス、無理すんな。とりあえず食べられないものがあるならば言えばいい」

「それなら……」


 ウルスラグナは顔を上げてテーブルの傍らに立つ恭平を見上げる。


けものの肉は……食べない」


 まさかの意外な言葉に孝太が思わず声を上げた。ついさっきまで圧倒的なパワーと容赦のない戦いを見せていたウルスラグナが実はベジタリアンだったのか。


「マジか? いやいやどう見ても肉食系だろ、おまえは」

「食えないんじゃねぇ、食わないんだ、普段の食事では。あれを食うのは祭典や儀礼のときくらいだな」

「そっか、まあこっちの世界にもそんな連中いるしな……よし、わかった、それじゃ恭平ママ、こいつには肉なしでお願いします」

「了解よ、ちょっと待ってて」


 恭平は小首をかしげてそう言うとそそくさとレジの奥、厨房のあるスペースに引っ込んだ。



 程なくして二人のテーブルに料理が運ばれてきた。孝太の目の前には白いボウルに盛りつけられたステーキ丼が、ウルスラグナの前には大皿に盛られた三、四人前はありそうなサラダが置かれた。レタス、トマト、アボカドに豆類、それにスライスされたゆで卵が彩りよく盛りつけられている。


「コブサラダよ。お嬢さんのためにお肉は抜いたの。いつもはスチームチキンとベーコンが入るんだけど今夜は特製ね。卵は大丈夫かしら?」


 ウルスラグナは恐縮したように小さく頷いた。


「恭平ママ、ありがとう」

「いいのよ、どうせ残りもののみたいなもんだし。あとでコーヒーも持ってきてあげるわ」


 コーヒー、その言葉にウルスラグナは即座に反応した。そして目を輝かせながら小声で孝太に聞き返す。


「コータ、今、コーヒーって言ったよな」

「ああ、言ってたな」

「ここでも飲めるのか」

「もちろんだよ、そもそもここはカフェだし。それよっかウルス、おまえコーヒーが気に入ったのか」

「そうか、また飲めるのか。それは楽しみだ」

「おまえ、やっと笑ったな。この店に入ってからずっと緊張しまくりだったろ。まさかおまえ、人見知りとかしちゃうタイプか?」

「人見知り……いや、そんなんじゃない」

「じゃあなんだ? さっきまでギャング相手に大立ち回りしてたとは思えない、そのギャップはなんなんだ?」

「それは……さっきのあの……」

「恭平ママか?」

「そう、そのママだ。あれは……あいつは男だろ。なんでママなんだ、ヒゲだって生えてるし。それにしゃべり方だっておかしいだろ」


 あまりにも意外なウルスラグナの言葉に孝太は箸を止めて呆れた顔を返す。


「この街はな、男とか女とかそんなもん超えてだな、まあいろいろあるんだ。考えても見ろ、おまえのその耳だって恭平ママは見て見ぬふりしてただろ。ここはそういう街なんだよ。むしろ異世界から来たエルフみたいなおまえにはうってつけだったりするんだ」

「そ、そうか……わかった。コータ、いろいろ世話をかけるな」

「何を今さらだぜ。いいからさっさと食っちまえ」


"Dekuramuyukusデクラムユクス xohrukmimホールクミム."

(いただきます)


「ん? 今のが『いただきます』ってことなのか?」

「感謝とともに食べるってな意味だ。いつもは神への祈りを捧げるんだがこんな時間だしな」

「神様も時間外だってか?」

「ああ、だからコータに感謝した」



 ウルスラグナは皿に盛られたアボカドやら豆やらをフォークに刺しては注意深く見つめてから口に運ぶ。そうしてひと通りの具材をひとつひとつ確かめるように味わうと、ようやっと気が済んだのだろう今度はフォークからスプーンに持ち替えてムシャムシャと食べ始めた。

 そんなウルスラグナをほほえましい顔で見ながら孝太は言う。


「どうだ、うまいか?」

「ああ、うまい。これはオレの国ミーマリムタリアの食事に似ているが作りがずっと丁寧だ」

「そりゃこの店はここいらの人気店だしな、味はお墨付きだ。ところでウルス、今おまえが使ってるそのスプーンはな、ほら、この小皿に小分けするためのもんなんだ。それを大皿のまま食うなんて、おまえって案外大雑把なヤツだよな」


 孝太の言葉にウルスラグナは戸惑うように一瞬だけ食事の手を止めたが、しかし構うことなくそのまま食事を続けた。そして大皿に盛られたサラダをひとりであっという間に平らげてしまった。


「あら、キレイに食べてくれてうれしいわ。ハイ、これは食後のサービス」


 早々に食べ終わって手持ち無沙汰に店の中を見渡しているウルスラグナを前にして恭平ママは愛想よくそう言うと、銀のトレイに載せた二つのマグカップを二人の前に置いた。


「キバヤンはブラックよね。そちらの……えっと、そちらのエルフさんはミルクとお砂糖はいかがかしら?」

「エルフとは、オ、オレのことか?」


 ウルスラグナはいぶかし気な顔で孝太に聞き返すが、孝太はそれに答えることなくママに向かって結構と言うように片手を上げた。


「そう、それじゃごゆっくり……なんて時間じゃないけどね」

「ああ、ママ、助かったよ。こいつを飲んだらさっさと帰るから」

「別にいいわよ、こっちも片付け始めちゃうしね」


 食器を下げる恭平ママの背中を見送りながらウルスラグナは孝太に顔を近づけながら潜めた声で言う。


「ところでコータ、恭平ママもおまえもさっきからやたらとエルフ、エルフって言っているけど、エルフって、いったいなんだ」

「あ、それか。ちょっと待ってろ」


 孝太はテーブルの隅に置いたスマートフォンを手に取るとエルフをキーワードに検索を始める。そして表示された画像をウルスラグナに見せた。


「ほら、これだよ。ここでエルフって言ったらこういうのだ」

「こ、これは……」


 ウルスラグナはそれを見て思わず言葉を失った。そこには群青色の夜空をバックにして立つ金髪碧眼の美しい女性の姿があった。白い肌に薄布のベールを纏い、ウェーブする柔らかそうな髪から尖った耳が顔を見せているその姿はウルスラグナが知る民そのものだった。

 やはりこの世界に来ているのは自分だけではなかったのだ。ならばこの女性はどこにいるのだ。彼女は帰り方を知っているのではないか?

 ウルスラグナの中に希望の光が見えた気がした。そして我を忘れて思わず異世界語イースラーで孝太に向かってまくし立てた。


Tziemetomチェメトム dynsiazasディンシャザス gehlixolunゲーリホルン? Kohtaコータ, nasselsiazasナッセルシャザス badasixolバダシホル? Berihベリー bahgiassiunigimバーギャッシュニギム sahwattotosサーワットトス dasiutalxolohrabilダシュタルホローラビル."

(彼女はどうやってこっちに来たんだ? コータ、この人はどこにいるんだ? もしかしたら帰り方を知っているかも知れない)


 取り乱したかようにいきなり大声を上げるウルスラグナを孝太が慌ててなだめる。周囲を気遣って見渡してみるも既に客は居らず彼ら二人が最後の客だった。


「とにかく落ち着けって。もういっぺん言ってみろ、日本語で」

「あっ、だから、ここに映ってるこの人はどうやってここに来たんだ。帰り方を知ってるかも知れないし、とにかく今どこにいるんだ彼女は、と言ったんだ」

「どこって、そりゃただのゲームキャラだよ」

「ゲームキャラってなんだ?」

「創作ってか、空想の産物だよ。いねぇの、そんな人は」

「そうか、それは残念だ……だけど、だけどオレはどうなんだ? 今ここにいるじゃねぇか。だからオレの他にいても不思議じゃねぇだろ」


 孝太はウルスラグナの言葉に否定も肯定もしなかった。まずはこの娘をこの世界に慣れさせること、他の種族だの帰り方だのはそれからでいい。孝太は落胆する彼女を前にしてそう考えていた。

 そしてウルスラグナに渡したスマートフォンを身を乗り出して取り戻すと、カップに残ったコーヒーを飲み干してエントランスのあたりで二人の会話を聞くともなく掃除をしている恭平ママに向かって会計のために手を上げた。


「さ、おまえもさっさと飲んじまってくれ。もう遅いし帰るぞ」


 孝太の声を耳にした恭平ママは手にしていた床用ワイパーを壁に立てかけるとエントランスのドアを開けて二人をエスコートした。


「ママ、お会計は」

「いいわよ、もうレジ締めちゃったし」

「でも……」

「どうせ今日のは残りものだったし、また今度お二人で来てちょうだい」

「何から何までありがとう、恭平ママ」

「いいのよ。エルフちゃんもまた来てね」


 恭平ママはウルスラグナにもにこやかに手を振った。


「デクラム……あ、ありがとう」

「ふふ、今のってさっきのあの外国語? ちょっとしゃべってみてよ」


 ウルスラグナは不安げに孝太の顔を見る。孝太は「大丈夫だ」と言うように小さく頷いた。


"Dekuramデクラム nahzasナーザス, Kyohxeiキョーヘイ baimバイム...nihニー, Kyohxeiキョーヘイ xahmハーム."

(ありがとう、恭平さん……いや、恭平ママ)


「へぇ――、なんかとってもエキゾチックぅ、それじゃまたね。おやすみ」


 大きな荷物を抱えながら何度も会釈を返す孝太を恭平はにこやかに手を振って見送った。



「ところでウルス、さっきママに言い直したろ、あれはなんだったんだ」

「あの人をどう呼ぶのが正しいのか迷ったんだ、男なのか女なのか。でもコータがママって呼んでたから……」

「なるほどな。ウルスもさっきのあれでママに顔を覚えてもらっただろうしあの店なら大丈夫だな」


 午前三時の新宿二丁目はこれからの時間を楽しむ酔客でまだまだ賑わっていた。しかしメインストリートを越えたその向こうはひんやりとした真夜中の静寂に包まれていた。ウルスラグナは下ろしていたパーカーのフードを再び被りなおすと孝太の手から買いもの袋のひとつを受け取った。


「コータばかりに持たせるわけにはいかねぇ、オレも持つよ」


 そして二人は酔客待ちのタクシーがまばらに停まる舗道を並んで歩くのだった。

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