episode3 夕焼けの帰り道

 杏ががんばり屋さんなこと――長所でもあり短所でもあるそのことを知っているのは自分だけではない。そう理解した薮内純に、直樹は爆弾発言をするのだった。


「あ、そーいやさ、今日モモと一緒に帰るんだけど。やぶもついてきてくれない?」




❀episode3❀




「杏と直樹のこと、手伝うなんて一言も言ってないけど」


 “お前ら”とひとくくりにするのはしゃくにさわるので俺はこう言った。


「あれ、そうだった?」


 悪びれもせずに直樹は頭をかく。そんな直樹も見てると、ついていくくらいなら別にいいか、という気持ちになった。杏とその他1名と一緒に帰れるわけだし。うん、ポジティブに考えよう。


「そうだよ。……ま、ついてってもいいけど」


「おっさんきゅ。やぶやっさしー。ふたりっきりだと不安だからさ」


 “ふたりっきり”という言葉に耳がぴくんと反応してしまう。そうだよな、もし俺がいなかったら杏は直樹とふたりっきりで帰ってるんだよな! 直樹、俺のことを誘ってくれてありがとう! ……人生、ポジティブに生きることは大切だ。なっ。




「――なおくん、そんなことしてたの?」


 あーあ、のこのことついてくるべきじゃなかった。


 杏の笑い声を聴きながら俺はそう心の中でぼやいた。さっきから俺ひとりを差し置いて杏と直樹で盛り上がってる。ときおり杏はこちらを心配するように目を向けてはくれるけど、徐々にその頻度が低くなっている。はーいむかつく。直樹のやつめ。杏は直樹のこと“なおくん”って呼んでるし。僕は“やぶ”なのに? 差別だろ差別。


「あ、信号点滅してるから渡っちゃおうぜ」


 まぁ、いいだろう。直樹よりは俺の方が杏の家に近い。直樹と別れてから、10分くらいは杏とふたりっきりで話せるはず。


「「やぶ早くー」」


 そのときにたくさん話そうっと。杏が家に帰ったとき、直樹よりも俺と話したことを思い出させるくらいには。なんなら俺のが後で話すから記憶が上書きされるんじゃね? ラッキー。ま、俺は杏の幼なじみだからな。


「「やぶーっ!」」


 ソプラノとアルトのユニゾンで、俺は我に返った。状況を把握しようと前方を見ると、横断歩道。それを渡り切った向こうに杏と直樹。信号は、赤。


「あーすまーん!」


 目の前を一瞬で通り過ぎていく自動車越しに僕は謝った。うっかりしてたけどここの信号待ち長いんだよな~。道が大きいから。1分くらいはありそうだ。


「……重いですよね……お手伝いしましょうか?」


 ヒュウンヒュウンと自動車が通る音から途切れ途切れに聞こえてくる杏の声。買い物帰りのおばあちゃんの荷物を持ってあげるようだ。


 ……あ。


 スーパーの袋ふたつを杏と直樹それぞれに持ってもらっている腰が曲がった小さなおばあちゃん。見覚えのある顔だと思ったけど見覚えがあるどころじゃないよ……。信号が青になったら向こうまでダッシュして、杏と直樹から荷物を奪い取って、おばあちゃん含む3人に力持ちなとこ見せつけてやろう。そう思ってたけど、やーめた。


 ふぅっとため息をついたそのとき、信号が青になった。俺は申し訳程度に小走りで横断歩道を渡る。


「よっ。悪いわりぃ、考え事しててさ」


 何気なくおばあちゃんは俺を見て、“あらまぁ”って顔をした。そんなおばあちゃんを俺は“何も言わないで、他人のふりして”ってテレパシーを送る。


「あら! お友達もいたのね。さっきはふたりがお似合いなんて言っちゃってごめんなさいね」


 テレパシーは伝わった。けど! なに言っちゃってるのおばあちゃん!? 杏と直樹がお似合い!? 杏にお似合いなのは俺だろ、普通に考えて!


 ……一旦落ち着こう。“えくすなんとかまーく”を使いすぎて馬鹿だと思われそう。




 その後、200mほど先の丁字路でおばあちゃんはお礼を言って別れた。その数分後に直樹もじゃあまた明日学校で、と俺らに手を振って小道に入っていった。


 そして、俺らは黙々と足を動かすのだった。“どっちのが長く沈黙に耐えられるか対決”でもしてるのこれ? とか言えばいいんだろうか。何か、気の利いたセリフを教えてください神様……! と心の中で願ってみたものの、俺はクリスマスにプレゼントをもらってお正月に年賀状を送る無宗教だ。


 これは、なんだろうな。沈黙の種類が違う。親しい仲だから無理に話をしなくてもいい、っていう無言じゃない。気まずい。初対面の人とふたりっきりにされて、話しかけらない状態。杏の表情を盗み見ても、表情筋が強ばってる気がする。杏をあれだけ笑わせていた直樹はすごいってことか……? 嘘だろ、俺たちは幼なじみなんだから。嘘だと信じたい。信じたいけど、今はポジティブになれない。なんでだよ……。


 俺の苦悩は杏には見えていないのか、彼女も彼女で考え事をしているのか。俺らの分かれ道に着くまで、かろうじてできた話は“担任の先生の口癖TOP5”。これ、大して親しくないクラスメートと話さなきゃならないとき、場を切り抜けるにはもってこいの話だけど。俺ってそんなクラスメートだったのか? 杏はアイドル顔負けの作り笑顔で話してくれたからまぁ……いい……か?


「やぶ、また明日ね」


「じゃあな杏」


 終わった。長い沈黙と杏の作り笑顔はもういらない。笑い声と自然な笑顔であふれさせたいのに。俺の家の前の十字路で、俺は長く息を吐いた。


「純くん、おかえりなさい」


 俺のことを純くんを呼ぶ人はそう多くいない。この声は――。


「ただいま、おばあちゃん」


 ついさっき会ったばかりの腰の曲がったおばあちゃん。おばあちゃんは、晴れの日には小鳥が歌い、雨の日にはかえるが喜ぶかのように、自然に微笑んだ。


「さっきのは男らしくないんじゃない?」


 おばあちゃん、とは呼んでいるけれど血はつながっていない。お隣さんだ。さっき丁字路で別れたけど、そのあとは俺らのこと尾行してたんだろうな。楽しいことならなんでもやってみちゃう、若さを忘れないおばあちゃんなんだ。やりかねない。


「杏のこと?」


 おばあちゃんはずっと昔からここに住んでいて、俺はここで生まれたから、おばあちゃんは昔から俺のことを知っている。なんでも知っているんだ。


「そう。あの男の子といるときの方が杏ちゃん楽しそうだったよ」


 恐らく、俺の本当のおじいちゃんおばあちゃんたちよりもくわしく知っているんだろうな。新幹線に乗らないと行けないほど遠くに住んでいて、あまり会えないから。


「なに言ってんのおばあちゃん。小さい頃から僕らのこと応援してくれてたじゃん」


 杏のことを最初に話したのもおばあちゃんだったんじゃないだろうか。両親は共働きで忙しかったから。そう考えると、とってもお世話になっております。


「昔はそうだったけどね。今日、心変わりしたかなぁ」


 けらけらとおばあちゃんは笑う。それと反対に俺はむすっとしてしまう。


「ほんとに? 僕よりも直樹のがお似合いなの? 杏に?」


「そうだよ? だから純くんはふたりのこと応援してあげなよ」


 まぁ、そうなんだよな。今日の杏は、直樹と話しているときのが何倍も楽しそうだった。作り笑顔なんてしなかった。おまけに杏は直樹のこと“なおくん”って呼んでるし。それに対し、俺と話しているときは終始作り笑顔。呼び方も苗字由来の“やぶ”。


 幼なじみって、必ず結ばれるわけじゃないのかもしれない。杏は、俺といるよりも直樹といるときの方が楽しそうだった。事実として、楽しんでた。だとしたら、俺は杏と直樹――いや、ふたりを応援してやるべきなのかもしれないな。


 その結論に達したとき、俺の目の前の景色の画質が悪くなった。フィルターをかけたように。目から熱いものがこぼれてくるのを感じたのは、その直後だった。


「わかったよ、おばあちゃん」


 かろうじて発した声も震え気味だった。


「ほら、泣かないのっ! 男でしょ!」


 再びけらけらと笑って俺の背中をはたくおばあちゃん。“上を向いて歩こう”の歌詞が脳裏をよぎって、空を見上げる。フィルターがかかったままの視界に広がったのはぼんやりとしたオレンジ色だった。それが夕焼けだと気が付くのにそう時間はかからなかった。この夕焼けを杏と見たかったな。一瞬思ったけど、俺は首を左右に振ってその考えを頭から振り落とした。




 直樹が杏と結ばれるために、俺はどうすればいいのだろうか。そう考える俺の目はしっかりと夕焼けをとらえることができた。

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