第5話









 この世界には魔物と呼ばれる存在がいる。魔素マナから生まれる生物……略して「魔物」と言うのが語源であるというのが定説だ。魔物は極めて他生物に敵対的であり獰猛どうもうである。駆逐くちくしたとしても魔素マナから再び復活するので人為的に絶滅させることは不可能とされている。

 魔物にも種類があってそれらは多種多様。獰猛で危険と言ったが、一部気性が穏やかな魔物も存在する。基本的に言えば野生動物と何ら変わりない。ただちょっぴり危険になって人間を積極的に殺しにくるようになっている野生動物が魔物であると言える。

 科学文明が大きく発達し、銃火器が出回るようになった人間社会においても魔物は頭を悩ませる要因のひとつである。寧ろ吸血鬼ヴァンパイア喰人鬼グールよりも一般的でありふれた危険とも言えるであろう。都市と都市を繋ぐ交易路に現れて商隊の車両群が襲われる事など日常茶飯事だし、巨大で強力な魔物が都市に侵攻してくる普通に事もある。

 吸血鬼ヴァンパイアよりも人間を殺している生き物の代表が魔物だ。


「……」


 無論、ネクスと非常食こと少女の旅路においても魔物は襲撃してくる。魔物は昼夜問わずに襲撃してくるので旅においては厄介なことこの上ないことであろう。

 ただそれはネクスが普通だった場合の話である。


「…あの」


「質問が多いですね。非常食さん」


「申し訳ありません…」


「いえ、私は質問されることが好きですし質問をすることも好きです。構いませんよ。それでなんですか?」


 非常食こと少女は窓の外を眺める。窓の外には荒地が広がっており反対側には湖が広がっている。一見すればただの長閑のどかな旅路に見える。だが草木が生え荒れ果てた大地の向こうからなにやら狼のような生き物の群れが走ってくるのが見える。それらは狼というには少しばかり巨大で、一匹の全長は3メートルくらいある。おまけにその身体には岩のような物質で構成されており外観は岩そのもの。岩でできた巨大な狼の群れがこの車両に向かって時速50キロ近くの速度で走ってくるのである。一般人が見たら失神しそうな光景だが、その岩でできた狼たちは車両の一定距離まで近づくと頭上から連続した爆音がとどろき、一瞬にしてミンチになるのである。長閑な湖畔こはんの景色が一変、血みどろのおぞましい虐殺現場になる。


「今のは…」


「あれは鉱山狼こうざんおおかみですね。鉱石を食べる狼型の魔物ですよ。ただの銃火器じゃ傷一つつけられな」


「いや、そういうことじゃなく…」


 聞かなくてもわかる。だが非常食こと少女はこれが現実であるか確認する為に聞いてるのだ。

 この車両はネクスが血流錬成ブラッド・アルケミーによって掌握している。その為全ての動作を手足を動かすかの如くできてしまうのだ。掌握しているのは車だけではなく、銃座に載っている火器も該当している。ただこの大き過ぎて車両はネクスが血流錬成ブラッド・アルケミーで同化することは普通はできない。あくまでも血流錬成ブラッド・アルケミーは人程度の大きさものまでが限界だ。

 なのでネクスは車両の制御系統と火器系統だけを血流錬成ブラッド・アルケミーで何個かに分けて同化させたのである。これでもかなりギリギリなのでネクスにはこの車両以上に複雑なものは同化することは出来ないであろう。


「ああ、私がもっと器用だったらあの装甲車を同化できましたよ」


「この車両が限界…だったんですか?」


「ええ。不満ですか?」


「いえ滅相もございません」


 ビシッと非常食こと少女は姿勢を正しながら言葉を返す。少女はネクスの沸点がわかっていない。そもそもネクスはここまでずっと一定の感情を保っている。言葉なんかにも感情のムラはないし、表情にも怒っているのか喜んでいるのかという感情が現れない。非常食こと少女にはとてもやりづらい相手であった。

 非常食こと少女はネクスがとんでもなく強い吸血鬼ヴァンパイアであることは予想している。しかしそれを質問する勇気など持ち合わせてはいない。


「都市についたら貴方に仕事をしてもらいますよ。非常食さん」


「仕事…ですか?」


 都市を襲撃しない、とネクスは話していたが仕事と言われて非常食こと少女は身構える。

 そんな非常食こと少女の様子を見たネクスは「心配はいりませんよ」と口にしてから言葉を続けた。


「単に都市に入る手伝いをしてもらうだけです。都市に入るのは私としても簡単ではないんですよ」


 都市には吸血鬼ヴァンパイアを識別し防衛する防衛機構が存在する。人間は体内に魔素マナを持たないが、吸血鬼ヴァンパイアの体は魔素マナによって構成されている。これは魔物も同じで、魔素マナを体内に有する生物は都市に侵入出来ないようになっているのだ。


「貴方にはスレイヤーになってもらいます」


「えぇ!? スレイヤーにですか!?」


「ええ。ですがその前に幾つか準備をしないといけませんが」


 スレイヤーと聞いて非常食こと少女は驚いたように声を上げる。少なくとも非力な非常食こと少女がなるものではない。

 スレイヤーは言わば「武装したなんでも屋」。魔物の討伐から吸血鬼ヴァンパイア喰人鬼グールの討伐までなんでも請け負う危険な仕事。非常食こと少女もそのくらいの知識はある。なにせ非常食こと少女も関わりが深かったからだ。

 非常食こと少女はオードポートにある都市の孤児であり、都市の外にあるスラムに住んでいた。

 都市にある「壁」。その周囲には都市に入ることが出来なかった難民達が作り上げた街が広がっている。都市もそれを排除することなく結果的にひとつの街となっている。中心へ近づけば近づくほど治安が良くなっていくという変わった街で、人はそれを「外縁街アウタータウン」と呼んでいる。

 その外縁街アウタータウンの更に外周にあるスラム街に非常食こと少女は住んでいて、そこで幼い頃から共に生活していた少年達がみんなして「スレイヤー」になることを志していたのである。非常食こと少女はそれを見て内心馬鹿にしていたのだ。

 スレイヤーは外縁街アウタータウンに住む者達が唯一都市に入る手段でもあった。スレイヤーにはその実力に応じた階級があり、階級が一定のラインを超えると都市に入る権利を得ることができるのである。

 外縁街アウタータウンに住む者たちはそれを夢見て外縁街アウタータウンにあるスレイヤー支部に行きスレイヤーとなって活躍しようとするのだが、外縁街アウタータウンからスレイヤーとなって都市に入った者の話を非常食こと少女は知らない。だから「無駄な足掻き」と馬鹿にして見下していたのである。

 しかしなんの運命か、ここに来てスレイヤーになることになってしまうとはと非常食こと少女は溜め息をつきたくなった。


「さっきの家畜共から貰った物資で金銭は手に入るでしょう。それを売り貴方の装備を整えます。まずは人間共が使っている強化外骨格パワードスーツが必要ですね」


「…強化外骨格パワードスーツってなりたてのスレイヤーが持ってる装備じゃないですよ?」


「そうですか? まあいいじゃないですか。私が貴方をするのに必要ですから」


 なんだか不穏な言葉が聞こえた気がする。非常食こと少女は一抹いちまつの不安を覚えた。


「装備を整えたら貴方にはスレイヤーになってもらいランクを上げてもらいます。そうすれば都市に入れるようになりますからね」


「ランクを上げたとしても都市には吸血鬼ヴァンパイアのご主人様は入れないのでは?」


「問題ありませんよ」


 非常食こと少女は問題ないというネクスに首を傾げる。都市の吸血鬼ヴァンパイアに対する防衛機構は完璧と言っていい。それだけ吸血鬼ヴァンパイアを恐れているのだ。都市内部に侵入されたら一溜りもない。それに今は都市が女王軍に徐々に攻略されており、警戒心がますます高くなっている。

 そんな中でスレイヤーで高ランクになったからと入れる訳ではないだろう、と非常食こと少女は思っていた。


「行けばわかりますよ」


 そんな非常食こと少女にネクスはそう言って微笑を浮かべる。それは人間がペットに向ける微笑みに似ていた。













 ◇◇◇














 オードポート企業連合都市。

 遠目に見えてきた天高くそびえる黒い壁を見て非常食こと少女はその名前を頭に思い浮かべる。その「壁」の外周には壁に寄り添うように街が広がっている。あれがオードポート企業連合都市の外縁街アウタータウンである。

 湖に面しており水に困ることはないが特にいい思い出がある訳でもない。少女にとってはそんな故郷だ。

 少女は物心着いた時からこの外縁街アウタータウンのスラム街に住んでいた。別に外縁街アウタータウンではそれは珍しいことでもない。育児にかける金がなかったり、強姦で産まれたり、娼婦との間に産まれた子供は大体スラムに捨てられる。両親の記憶はないが恐らく自分もそうして生まれてきたのだろうと非常食こと少女は考えていた。

 非常食こと少女は子供の中では達観している方で、ただ地道に生きていた。無理をすれば死ぬ。間違ったことをすれば死ぬ。それを理解していたのである。大人しく都市から朝に1回だけ支給される不味い配給を食べて一日を凌ぎ、大人しく住処で引き篭っている。それが彼女の日常であり、当たり前であった。

 だがある日外縁街アウタータウン吸血鬼ヴァンパイアによって襲撃され、自分を含む孤児がさらわれた。都市の軍隊は都市に損害がなければ外縁街アウタータウンにどれだけ被害が出ようが対応しない。外縁街アウタータウンに住む者達は魔物や吸血鬼ヴァンパイアへの餌でもある。都市の防衛機構のひとつなのだ。非常食こと少女はそれを知っていた。だからスラム街に住む孤児を助けに来る者がいないことも知っていた。

 それから自分と同じ年齢ぐらいの少女達が犯されていくのを眺めるだけの日々が続いた。自分は「順番」が後の方だったのでただそれを眺めることを強いられた。別にどうってことはない。スラム街では見慣れた光景のひとつだった。ただ自分の番が来ただけと非常食こと少女は思っていた。

 そんな非常食こと少女に転機が訪れたのはただの偶然だろう。現れた、自分達を攫った吸血鬼ヴァンパイアより遥かに強い吸血鬼ヴァンパイア。その吸血鬼ヴァンパイアは同胞であるはずの吸血鬼ヴァンパイアを殺して笑っていた。そして品定めするかの如く囚われた少女達のことを見渡すのだ。

 非常食こと少女はこれを逃したら次はない、と考えた。この吸血鬼ヴァンパイアになんらかの形でついて行けば助かるかもしれない。最初はそんな気持ちで吸血鬼ヴァンパイアのことを見ていた。吸血鬼ヴァンパイア、ネクスはそんな自分のことを気に入ったようで非常食こと少女はネクスと行動を共にすることになった。

 思えば劇的に自分の人生は変化してきている。非常食こと少女はそう思った。ただそれが良いのか悪いのかは少女にもわからない。


「さて、着きましたね。この辺でいいでしょう」


 外縁街アウタータウンに車で入るような真似はせず、ネクスは車を荒地の岩陰に止める。外縁街アウタータウンから歩いてすぐの場所なので再利用する気満々である。

 そもそも軍用車の塗装が施されているので鹵獲ろかくしたものだと一瞬でバレてしまう。対策ができるまでは外縁街アウタータウンに入れるつもりはないのであろう。


「では行きましょうか。まずは装備を買い揃えないといけません」


「はい。…あの外縁街アウタータウンは入っても平気なんですか?」


「都市の防衛機構は外縁街アウタータウンに私が入ったとしても作動しませんよ。あれは都市を守るもの。私が都市にこのままの状態で踏み入ろうとしない限り作動しません」


「本当にただの餌場なんですね…」


「家畜共はそう思ってるみたいですね。私としては檻に入れられてる都市の人間の方が余っ程家畜のように見えますよ」


 ネクスはそう話しながら外縁街アウタータウンに向かって歩き出し、その後を非常食こと少女も小走りでついて行く。


「ああ、そうだ。貴方のその格好は舐められてしまいますね」


 ネクスはそう言うと非常食こと少女の姿を見下ろす。ボロ布同然の衣服に煤汚れた肌と髪をしている。おまけに臭い。とてもじゃないが大金を持っていい人間の姿をしてはいない。

 ネクスは指を少女の額につけると血流錬成ブラッド・アルケミーを発動する。少女の煤汚れた肌と髪が瞬く間に綺麗になり、少女の衣服が高級そうなブラウスとサスペンダースカートに変化した。

 少女の髪は灰色だと思われていたが艶やかになったそれは銀髪をしている。


「…え?」


 自分の変化に驚きを隠せてないでいる非常食こと少女だったが、何も言わずにネクスが歩き出したので慌ててその後について行く。


「それで多少マシになったでしょう。あと貴方に足りないのは強者の風格ですね」


「あの、なにをしたんですか? こんな高級そうな…」


「それは私の記憶にある衣服を再現した物です。吸血鬼ヴァンパイアは大体使える力ですよ」


 ネクスはなんてことない風にそう話す。非常食こと少女は徐々にネクス…もとい吸血鬼ヴァンパイアがどれだけ人間の脅威なのかということが理解し始めていた。


強化外骨格パワードスーツを手に入れたらその服は不要になりますがね。寝てる間も装備してもらいますし」


「あ、はい」


 ちょっとオシャレに憧れていた非常食こと少女だったがその言葉で一気にその夢を霧散させる。

 ネクスと非常食こと少女は共に外縁街アウタータウンの大通りへと踏み入れた。別に関所などはない。おまけに入った瞬間スラム街であり、外縁街アウタータウンを覆う壁もコンクリートを3メートル程度積み重ねた粗末なものである。魔物が外縁街アウタータウンに侵入しても都市が対応するつもりがないのが見て取れた。一応、外縁街アウタータウンの周囲を巡回する兵士もいるし、警戒任務に当たるスレイヤーと思わしき武装した人間の姿もある。だがそれらは外縁街アウタータウンにいる人間を守る為に配置されている訳ではない。あくまで都市を守る為に存在しているのだ。


「ここは…相変わらず、か」


 非常食こと少女は呟いた。彼女の生まれ故郷であるスラム街は相変わらず閑散としていて、時折目にする人間は道の片隅で横になっている痩せ細った人間くらいなものである。当然のように死体が路地裏に転がっていて、その肉を犬が集団でむさぼっている。

 非常食こと少女が吸血鬼ヴァンパイアに攫われても何一つ変わらないスラム街の光景が広がっている。


「生憎ここには用はありませんよ」


 ネクスはそんな非常食こと少女を見てそう口にした。


「私も別に用がある訳では…」


「そうですか。思い出に浸っているようでしたので」


「ここにいい思い出などありません」


「そうでしょうね」


 ネクスは非常食こと少女の言葉を聞いて視線を巡らせる。朽ち果てた廃墟同然の街並みに、申し訳程度に舗装されている道ばかりが広がっている。露店もない、あるのは痩せ細った人間か死体だけというこの場所にいい思い出がある方が不思議だろう。

 ネクスと非常食こと少女はそんなスラム街を通り抜けて多少賑わいの見えてきた街へと足を踏み入れる。外縁街アウタータウンはなんの抵抗もなく吸血鬼ヴァンパイアを受け入れるのであった。







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