第2話








 炎の光が無機質なコンクリートの壁を照らす。この世界には「魔素マナ」と呼ばれる幾つかのうちのひとつの不思議な物質がある。このき火の炎はそんな魔素によって生み出されていた。

 簡潔に言えば「魔法」や「魔術」と呼ばれるもの。ネクスは当然のようにそれが扱えるので朽ちた廃材を非常食こと少女に運ばせて火をつけたのである。

 魔法は人間達が科学文明を発展させた要とも言えるものでもある。現実を改変させ超常現象を引き起こすそれらは人間にとみと技術を与えた。一昔前では限られた者しか使えなかったが今となっては機械ですらそれを使う。

 人間は魔法によって発達した。魔法で火を生み出し鉄を錬鉄し、魔法で雷を生み出してそれをエネルギーとして機械を動かし、核融合を引き起こして更に莫大ばくだいなエネルギーを得た。それらは全て大気を漂う魔素から得られる。この超常的な物質の存在が判明していて、停滞する方が無理があるというものであろう。

 そうして得た魔法科学と呼ばれるものは人間達が勘違いする程の力を与えた。過ぎた力を持った人間達が次にすることと言えば「戦争」であった。人と人が争う下らない闘争。その下らなき闘争の果てに人間達は疲弊ひへいした。疲弊した人間達は停戦協定を結び、「都市」を築き上げてその中にこもった。

 そんな疲弊した人間達に脅威として現れたのが吸血鬼ヴァンパイアである。人間達はかつて敵だった者達と協定を結び押し付けはたまた協力しながら吸血鬼ヴァンパイア達と闘争を行っている。そうしてネクスが地に足を踏む今に至るのだ。


「非常食。お前の言う歴史に違いはないんですね?」


 ネクスは外套を脱ぎ、キャミソールとミニパンツというラフな格好でコンクリートの床に座っていた。その目の前にはボロボロの紙切れが広がっている。それはネクスが持っていたかつての世界地図である。ネクスはそれに幾つかピンを立てて非常食こと少女のことを見据えていた。


「はい。今から50年前に吸血鬼ヴァンパイアが出現しました。そして女王軍の出現が丁度10年前です。本格的に女王軍が侵攻を始めたのは3年前です。既に女王軍は都市を3つ、人間の前線基地を14つ陥落させており人間側が劣勢に立たされています」


 非常食こと少女は簡潔にそう説明した。

 その言葉にネクスは「ふむ」と声を漏らした。ネクスはここ数十年なんらかの原因で眠りについていた。その間の記憶はないし、かつての記憶も。記憶の欠落と言っても過度なものではなくかつて知り合いだった筈の者の名前が思い出せなかったりする程度。一般常識などは覚えているし、この世界についての記憶もある。

 ネクスはひとつ疑問に思ったことがある。何故女王軍は10年前に表舞台に姿を現したのに、3年前に侵攻を始めたのか、ということである。

 7年。7年もあれば人間の都市に侵攻して今の倍の都市を落とせたことだろう。何故それをしなかったのかネクスは疑問に思った。吸血鬼ヴァンパイアは「力こそ全て」であり、7年も闘争好きな吸血鬼ヴァンパイアを抑えることは難しいだろう。

 だがネクスはそこでふと、先程遭遇した吸血鬼ヴァンパイア3名のことを思い出した。ネクスの記憶が正しければ自分が活動していた頃の吸血鬼ヴァンパイアは1人で活動することが普通だった。あんな風に集団で動くことはまずない。ネクスが活動していたのは50年前、吸血鬼ヴァンパイアが現れ出した時期と同じである。その頃とは何かが決定的に変わっているようだ、とネクスは思案した。


「…非常食。最近の吸血鬼ヴァンパイアの動きを見て思ったことはありますか?」


「最近の、ですか?」


 非常食はネクスの質問の真意を理解できないように返事を返したが、一瞬の逡巡しゅんじゅんの後に口を開く。


「例えばですけど…、組織だって行動してますね。単独だったものが人間と同じみたいに、小隊を組んで行動しています」


 ネクスは非常食こと少女のその言葉に確信を得たのか無機質なままの顔を上げた。相変わらず無表情であり何を考えているのか非常食こと少女にはわからない。


「そうですね。あのおろかな吸血鬼ヴァンパイア共は家畜かちくと同じ動きをしている……。知性ある者の動きですね。流石は「王」。いや、「女王」と言うべきですか。あの空白の7年間は教育期間だった訳ですか」


「教育期間?」


「ええ。愚かで闘争好きな吸血鬼ヴァンパイアまとめつつ知恵を叩き込んだんですよ。家畜の学校のように」


 非常食はネクスの話したことを脳内で纏めて、青ざめた。それは人間に勝ち目が見えなくなったことと等しいのである。

 女王、アルシェリア・ヴァーミリオンという吸血鬼ヴァンパイアはその強大な力で吸血鬼ヴァンパイアを纏めあげた、と言われている。しかしただ纏めあげただけではない。人間を包囲する為に、効率的に虐殺する為に、「知恵」を授けたのだ。

 それは人が行う戦争における「戦術」のようなもの。「女王軍」という「組織」を作り、その「組織」に様々な「役職」を作り、「司令官」から「隊長」へ、「隊長」から「兵士」へという情報系統を作り上げたのだ。

 これの何が恐ろしいのか? それは人間と吸血鬼ヴァンパイアの根本的な違いから来るものだ。吸血鬼ヴァンパイアは人間と比べて「個」が強力な力を持っていた。その為今までは群れずに単独で人間を襲っていたのである。

 だが、その強力な「個」が「集団」になり「軍」となった。それは今まで「組織的」に優位に立っていた人間がその優位性を失ったと言うこと。

 そしてアルシェリア・ヴァーミリオンはそれを可能としてしまったのだ。


聡明そうめいなようですね。非常食にしては頭脳がある。先を見てしまいましたか」


 青ざめた非常食こと少女のことを見てネクスはそう話した。ネクスは少女が他の人間よりは頭がいいことを見抜いている。別にだからと言って何をするつもりもない。ネクスにとって少女はただの非常食である。


「質問、よろしいでしょうか?」


「いいですよ」


「ご主人様は女王軍につくんですか?」


「いいえ」


「即答!?」


 少女はネクスが多少なりとも吟味ぎんみすると思っていたが食い気味の否定で驚いた声をあげていた。

 ネクスはやれやれと言った表情かおを浮かべながら答えを教えてくれる。


「私は吸血鬼ヴァンパイアです。家畜の真似事などするつもりはありませんよ。私は自由に生きて、好きに消滅したいんです。道具のように扱われ、戦争ごっこに身を興じるつもりなど毛頭ありません。」


「じょ、女王軍は叛逆する吸血鬼ヴァンパイアには容赦ないと聞いています。それではご主人様の身が危ないのでは?」


「私はそこんじょそこらの雑魚吸血鬼ヴァンパイアには負けませんよ。私の心配をするぐらいなら自分の身の心配をするんですね。貧弱な非常食さん」


 ネクスは非常食に与えたハンドガンを指差しながら話した。非常食の腕力ではネクスが人間の兵士からかっぱらった小銃は持てるが長時間持つことが出来ないので子供でも持てるそれを与えている。

 吸血鬼ヴァンパイアに致命傷を与える対吸血鬼用銀弾シルバーバレットが装填されているが、ネクスにはどうでもいいものだ。ネクスからしてみればそんなものただの豆鉄砲に過ぎない。

 非常食こと少女はネクスを撃つつもりなど毛頭なかった。「男爵」クラスの吸血鬼ヴァンパイアを瞬殺せしめたネクスからしてみれば自分など赤子の手をひねるように殺せてしまうと予測できるからだ。自分に武器を持たせてくれているだけ有難いと思うことにしている。


「それより寝なくていいんですか。人間は睡眠が必要なんでしょう」

「…はい」

「では寝るといい。私は考え事をしていますので」

「わかりました。…おやすみなさい」


 ネクスの言葉に非常食こと少女はコンクリートの床に横になって眠ることにした。朝、目が覚めることを祈りながら。












 ◇◇◇













 非常食こと少女が目を覚ませば丁度崩れた壁から朝日が昇ってくるのが見えた。廃墟の建物の間から見えるその朝日は美しく眩しい。これで自分が自由の身であったらどれだけ素晴らしことか、そんなことを考えながら身を起こせばすぐに黒ずくめの物体が目に映る。


「お目覚めですか。非常食さん」


 この悪夢はいつ終わるのか、いや転換期は迎えているのかもしれない。非常食こと少女はそんなことを考えながら「おはようございます。ご主人様」とネクスに言うのであった。

 ネクスと非常食こと少女は休んでいた建物を後にする。非常食こと少女はネクスが簡易食の栄養クッキーを持っていたのでそれを食べて済ませていた。


「さてこの辺には奴らがいると思うんですがね」


「奴ら?」


喰人鬼グールですよ」


「…何故そんなものを」


 探しているんですか、と聞く前に遠くから悍ましい叫び声が聞こえてくる。見れば不快なものがその視界に映る。

 車や瓦礫、鉄骨などが散乱した路地によたよたと歩く人型の何かが姿を現す。それは人と形容するにはあまりにも悍ましい。唇がないのか歯茎をむき出しにしていて獣の如く鋭い目を持った顔を持ち、頭髪はない。薄く紫がかった皮膚を持ち、左腕は歪に膨らみ肥大化していて人の腕くらいはある鋭いを生やしている。もう片方の手にはかつて知恵があったことを彷彿させるように錆び付いた剣を握っていた。

 人間が見たらアクション映画やパニック映画に出てくるゾンビを思い浮かべるであろうそれ。

 それは喰人鬼グールという一種の怪物であった。


吸血鬼ヴァンパイアの成れの果て…喰人鬼グール


「壁の中に住むただの人間は目にかかる機会もありませんよ。どうですか?」


「……醜い」


「ええ、とても醜い生き物です」


 非常食こと少女の感想にネクスは満足気に頷いた。

 喰人鬼グールとは、人間から血を吸うことが出来なかった吸血鬼ヴァンパイアの成れの果てである。満足に血液を摂取できなかった吸血鬼ヴァンパイアは体を構成している細胞が暴走し、理性もなくなる。そして殺人欲と食欲のみで活動する喰人鬼グールになるのだ。

 細胞が暴走した際に肉体が改造されあのような怪物へと成り果てる。中には巨大化したり、獣になったりする者もいる。それは吸血鬼ヴァンパイアだろうが人間だろうが見境なく襲い掛かる。ただの害獣である。


「テストです。あれを殺してください」


「……本気ですか?」


「ええ。使えない非常食は早々に処分するに限ります。私は足を引っ張る荷物を連れて歩くのはごめんなんですよ」


 本気だ、と非常食こと少女は思った。恐らくここで非常食こと少女が死んでもネクスにとって見れば非常食がなくなってしまっただけ、くらいの損害である。

 ここで自分の有能さをアピールしないとネクスは問答無用で自分のことを切り捨てるであろうと非常食こと少女は思った。

 だが非常食こと少女は銃など使ったことは無い。知識にはあるものの実際に使うとなると話が違ってくる。


「おぁ……キィイイ……」


 まだ喰人鬼グールはこちらの存在には気づいていないようだ。少女は唾を飲み込み、喉の乾きを誤魔化しながら瓦礫などの障害物を利用して喰人鬼グールに足音を立てずに近づいていく。ネクスはそれをじっと無表情で遠くから眺めていた。


「ふぅー……ふぅー……」


 自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。少女は喰人鬼グールのすぐ近くの瓦礫にまでやってきていた。喰人鬼グールの五感はあまり優れてるとは言えない。その為多少の足音では気づかれる心配はないが、一度見つかれば死ぬまで追いかけてくる。

 少女は汗ばんだ手でハンドガンを握り締め、震える手で照準する。震えてたった数メートルの照準が全く定まらないことに焦りを感じながらもゆっくりと、しかし落ち着いて狙いを定めた。

 そして、少女が引き金を引く。

 乾いた銃声と共に飛び出した対吸血鬼用銀弾シルバーバレットは見事に穴を穿った。喰人鬼グールのすぐ側の車の窓ガラスに。


「キシェアアアアアッ!!」


 銃声に気づいた喰人鬼グールがグルりと少女の方に視線を向けて、牙を剥き出しにしながら少女に向かって走り出した。僅か数メートル。少女との距離は瞬く間に縮まる。


「ひ、ひあああああっ!!」


 少女は驚いてハンドガンの引き金を誤って引いてしまう。暴発によって撃ち出された銃弾が喰人鬼グールの片膝を偶然撃ち抜いた。それによって喰人鬼グールが転倒し地面を滑る。


「うあああああああああああああああっ!!!」


 少女はそんな転倒した喰人鬼グールの前に立つと半狂乱になりながら何度も何度もハンドガンの引き金を引いた。乾いた銃声が何度も荒廃した街に響き渡る。喰人鬼グールの悲鳴をもまた響いていた。

 やがて喰人鬼グールの悲鳴と銃声が聞こえなくなり、喰人鬼グールが動かなくなる。だが、少女はスライドストップのかかったもう銃弾の発射されないハンドガンの引き金を何度も引き続けていた。カチカチと弾切れの虚しい音ばかりが響くだけである。


「まあいいでしょう。妥協点です。弾も有限じゃないので節約して欲しいですけどね」


 ネクスはそう言いながら非常食こと少女のハンドガンに手を添える。それでようやく少女は我に返った。そのまま地面にへたり込み、目の前の死体を呆然と眺めていた。


「初めてにしては上出来です。雑魚喰人鬼グールですが、これで問題なく目的のことが出来そうです」


「も、目的のことって?」


 恐る恐る少女がネクスに尋ねればネクスは無表情のまま口を開いた。


「人の都市に行きましょうか」











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