第32話 泰山王と天狐二人

 さすがにこれ以上の煽りは……と、泰山王様を止めようとした時、「紬ちゃん」と左肩を軽く叩かれてしまった。

 反射的に顔を向ければ、困惑気味な黒ちゃんの姿が。


 黒ちゃんは先生達の方を一瞥すると、また私の方へと視線を向ける。

 どうやら賽奈先生達が気になるようだ。


「ほら、前に僕が言っていた天狐だよ。天狐が化けているのがこの二人。人間の名は九尾賽奈、九尾賽葉。見た目三十代だけれども、実は千年を軽く越えているご年配者なんだ。あれ? 二人ともいまは千何百歳だっけ?」

 泰山王様はどうして自ら進んでフラグを立ててしまうのだろうか。


 運命か?


 ヒントの連発、煽り、年齢の話。三つのフラグを立ててしまっている。


「「泰山王様」」

 案の定、賽奈先生達の氷のような冷え冷えとした声音が泰山王様にぶつけられてしまう。

 それを聞き、泰山王様はやっと自分の置かれている状況がわかったらしく、しまった! という表情を顔に張り付けた。


「泰山王様。結構私達のヒントを出して下さっていたようですわねぇ?」

「クイズ大会でもしていたのかしら?」

 眉を吊り上げた先生達は、何処からか取り出した竹の扇子で扇ぎながら言う。


「ちょっと! 武器取り出さないで」

 あの扇子は武器なのか。

 そういえば、賽奈先生はあれで扇いで幽霊を飛ばしたっけ。


「一応、僕は十王なんだよ。いいの? 十王に対してその態度」

 泰山王様の台詞だけ聞くと毅然とした態度だが、そっと視線を逸らしているし、顔に冷や汗をかいている。

 先生達の圧力に屈したのか、泰山王様は謝罪の言葉を述べた。


「わ、悪かったよ。でも、仕方ないんだって。呑んでいたし! 止めなかった黒も悪い」

「私ですかっ!?」

 先生達の圧力から身を守るために、泰山王様は隣に立っている黒ちゃんを盾にし始めてしまう。

 黒ちゃんは何とか場所を入れ替えようとしているが、力では勝てないようでそのまま盾に。

 なんか、黒ちゃんは泰山王様と一緒だと盾になる割合が高い気がする。


「毎回、なんで私を盾にするんですかっ! しかも、そういう言い訳ってお酒で失敗した人の典型的な言い訳ですよ」

「上司に向かってなんて酷い。死神と十王なら十王の方が上だよ。そこは部下である君が上司を守るべきだろう」

「逆、逆。上司が部下を守るんですって。泰山王様、こちらの美女の妖気感じていますか? めっちゃ強いですよ。仕事以外でこんな妖力がある者と戦うのは嫌です。ましてや、天狐二人なんて」

「え、君。仕事なら戦うの? 僕は自分のためなら戦うけど」

「あれ? 私、仕事に身が染まっている……?」

「冥府も働き方考えないとね。プレミアムフライデーとか働き方改革とかする?」

 思いのほか仕事が身体の奥まで染み付いてしまっている事実に愕然とし始めている黒ちゃん。

 そんな彼女に泰山王様が仕事改革を語りかけたため、話が全く別の方向に向かいはじめている。


 そのため、私は口を開き先生達に話を戻すことにした。

 黒ちゃんに先生の紹介もまだだったし。


「黒ちゃん。紹介がまだだったよね? 賽奈先生は私が働いている司法書士事務所の所長なの。賽葉先生は上の階の弁護士事務所の先生だよ。賽奈先生と賽葉先生」

「紬ちゃんの?」

 黒ちゃんは目を極限まで大きく見開くと、先生達を凝視。

 信じられないのか、隣にいる泰山王様へと視線を向ければ泰山王様が大きく頷く。


「え、天狐が上司……?」

 黒ちゃんはその後、絶句してしまう。

 唇を何度も動かしたが、音となることはなかった。


「あー、びっくりするよね。だって、天狐が人間界で司法書士事務所と弁護士事務所を開業しているなんてねー。っつうかさ、君達。本当に弁護士資格と司法書士資格を所持しているの?」

「資格はちゃんと所持していますわ。私達、どちらも法学部卒業ですし」

「あれ? 法学部出身ではないと弁護士や司法書士になれないんでしたっけ?」

 ふとここで疑問に思ってしまう。

 大抵、仕事を通して知り合った司法書士や弁護士は法学部出身者。

 法学部意外は見たことがないので、いるのかわからなかった。


「弁護士も司法書士も法学部出身という限定はないの。ほら、よく野菜を持ってきてくれる緑川先生は英文科卒業だし。ただ、法学部が多い気がするわねぇ。私達は人間の法律に関する土台を学ぶために入学したけれども」

 賽葉先生は油揚げに一味をかけながら言う。


 厚揚げはこんがりを焼き色が付き、刻んだ葱が乗っている。

 まだ熱々らしく、出し醤油の香りがこちらにも広がってきていた。


「すごいですよね。妖狐が人間の大学に入って卒業した上に、難関の司法試験に合格なんて。死神には試験ありませんから」

「すごくはないわ。私達は狐町の人達の役に立ちたかったから。ただそれだけなの。だから、苦労したとか思ったことはない」

「十分すごいよ。僕は人の為より自分の為がモットーだからね」

「泰山王様だって十王として亡者の審判をしているじゃないですか。適当な仕事をしそうなのに、真面目にやっていますし。きっと紬ちゃん達は想像できませんよ。仕事中の泰山王様。私も最初見た時、あれ? 他人のそら似? かと思いました」

「黒。君、僕の事を遠回しにdisっていないかい?」

 確かに黒ちゃんの言う通りかも。

 真面目に仕事をしている泰山王様なんて想像が出来ない。

 飄々とした人の印象が強いから。


「僕だって十王だ。面倒だけれども、仕事はちゃんとやるに決まっているじゃん。だって、その人達の来生がかかっているんだからね。人一人の未来を決めるんだよ? 僕達十王は」

 私は泰山王様の言葉を聞き、ちょっと感激していた。


 あの泰山王様がまともな事を言っているので、やたら良い事を言っているように感じちゃっているのかも。

 私以外もそうだったらしく、この場にいる全員が感心した様子で泰山王様を見詰めている。


「私も自分の仕事を見詰め直そうかなぁと思いました。いつも仕事だからって義務的に行っていたので。机の上にある書類を片付けている感覚で魂の管理を行っていました」

「そんな事ないと思うけどね。今回の緑川武史の件。君は上司に相談し、他の部署に話を回していたじゃないか。義務的にしている死神ならば報告なんてしないよ。だって、自分の管轄じゃないから。緊急アラームすぐに鳴りやんだんでしょ?」

「私が上司に相談した事、なんで知っているんですか?」

「僕を誰だと思っているの? 十王の一人である泰山王様だよ」

 泰山王様は胸を張った。


「結果的には緊急性が無いという理由ですぐには動いて貰えませんでした。あの人間はどうなったのかが気になります」

「あっ、黒ちゃん。その件なんだけれども、実は緑川さんに憑いていた幽霊は冥府に送られたんだ」

 私は黒ちゃんに数時間前に起こった出来事を説明した。


 話を聞いて行くうちにだんだんと黒ちゃんの顔が曇っていく。

 黒ちゃんは強いショックを受けているようで、私の話が全て終わると顔面蒼白になり瞳に涙を浮かべてしまう。


「ごめん、紬ちゃん!」

 深々と頭を下げる黒ちゃんに対して、私は慌てて首を左右に振る。


「黒ちゃんのせいじゃないよ。絶対に」

「でも、私がもっと強く管轄の部署に言っていえれば、紬ちゃんが危険な目に合うことなんてなかったのに」

「危険な目にあったけど、あれは幽霊がした事ではなく人間だし」

 黒ちゃんの心には引っ掛かっているようで、唇を噛みしめぎゅっとワンピースの裾を強く握りしめている。

 あの件で黒ちゃんが責任を感じることは一切ないし、あってはならない。


「紬ちゃんの言うとおりよ。貴女が気にすることはないわ。悪いのは賽奈と暴力を振るっていた女性だから。賽奈は反省しなさいよね。あの場を制しなければならない立場なのに、暴走するなんて。ほんと、昔から身内に危害を加えられそうになるとブチキレるの直しなさい」

 賽葉先生が目を細め隣に座っている賽奈先生を見てドンッと背中を叩けば、賽奈先生が身を縮ませてしまう。

 肩を大きく落とし眉をハの字に下げたまま視線をおろおろと定めていない。

 こんな賽奈先生見たことがないので、ちょっとだけ新鮮だ。


 やっぱり賽葉先生はお姉さんなんだなぁと思った。

 うちの妹も怒られると賽奈先生と似たような態度になるため、一瞬脳裏に妹の姿が浮かぶ。


「問題は無事解決したのは何よりですが、緊急アラームはどうして鳴ったのでしょうか?」

 黒ちゃんの疑問に、私は確かにと同意する。

 なぜ、黒ちゃんが所有していた端末は反応したのだろうか。


「推測でしか語る事は出来ないけれども、自我を失い近くにいた人間に危害を与えてしまいそうになったのが原因だろうね。でも、自我が戻り我に返ったため危害を与える状況が解除。その結果、アラームも解除されたというわけ。悪霊という存在は怨念の塊のようなもの。生前の自分の事を忘れ、憎しみなどの負の感情にのみに支配されるからね。浄化できてよかったよ」

「完全に悪霊化しなかったため、紬に電話をかけ助けを求めることが出来た。あの状態では、自我が戻る時間はかなり限られていたと思います。彼女が悪霊化しなかったため、緑川さんは助かった」

「もし完全に悪霊化していたらどうなっていたの?」

 ワンピースの女性の霊が完全に悪霊化していなかったから、陽が穢れを浄化して天界へと送ることが出来た。

 でも、悪霊化していたらどうなっていたのだろうかと疑問が湧いて出たのだ。


 自我を失ったら、人間に害を与える存在になるのはなんとなくわかったけど。


 私の問いに答えてくれたのは、黒ちゃんだった。



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