第29話 狐町の天狐の正体

「止めなさい」

 賽奈先生はいつの間にか持っていた竹扇子を広げ、三浦さんとワンピースの霊へと向かって一振りすれば、霊が飛ばされ壁へとぶつかる。

 首元を締め上げていた霊の手が消えたことのより、三浦さんが地面へと倒れた。

 ゴホゴホと咳き込み、喉元を押さえている彼女は美麗な顔を苦痛で歪めている。


 まるで映画でも見ているかのような展開に対して、私の意識は完全に奪われてしまっていたが、すぐに我に返り緑川さんの方へと顔を向けた。


「み、緑川さん!」

 私が電話をくれた緑川さんの方へと足を踏み出した瞬間。

 ぞくりと背筋を這う恐怖に襲われてしまう。

 

完全に敵意以外含まれていない強い視線。

 ゆっくりと顔を向ければ、三浦さんが鬼のような形相でこちらを睨んでいる。


「その声……貴方が電話の相手ね。私と武史の邪魔をする女は全員殺す」

 三浦さんはゆらゆらと体を動かしながら立ち上がった。

 

 手には包丁を持って――


 なんとか落ち着かせなければならないけど、絶対に私の話は聞いてくれないだろう。

 パン屋で話した三浦さんだと思えないくらいに、今の彼女は私に対しての憎しみと恨みを前面に出していた。


 悪霊も怖いけど善良な感情を欠如してしまった人間も互角だと思う。



「紬!」

 陽の声が聞こえたかと思えば、ぐっと体を引かれ私の前に陽の背が見えた。


「お前は逃げろ。この女は話なんて聞く状態じゃない」

「わかっている。でも、このままじゃ……」

 陽の体によって三浦さんの姿が見えないが、足音が段々と近づいてくるのだけはわかる。


「陽、退いて。三浦さん、刃物持っている!」

 このままでは陽が私を庇って刺されてしまうかもしれない。

 自分のせいで陽に何かあったら、私は一生後悔する。

 そんなの嫌だと陽の前に立つために体をずらそうとすれば、「ぐっ」という三浦さんのうめき声が耳に届く。


「――おい、なんだよ。これ」

 陽の絞り出すような言葉が私を不安にさせた。

 何が起こっているのか確認しようとすれば、今度は三浦さんの絶叫に近い悲鳴が聞こえてきてしまう。


 「痛い痛い痛い痛い痛い」

 まるで地獄の業火に焼かれているかのような声音。

 聞いているこちらの心が抉られそうだ。

 

 目の前に立つ陽の体から覗き込むように見た光景に対して、私は極限まで目を大きく見開く。


 身体を細いワイヤーのような紐で締め上げられ床に転がっている三浦さんがいたのだ。

 彼女の傍には賽奈先生が居て、スリット入りのタイトスカートから伸びている足を曲げて三浦さんの体を踏みつけている。

 先生の右手には三浦さんを締め上げているワイヤーのようなものが握られていた。


「よくも私の加護する者に手を出そうとしたわね。身の程知らずのうす汚い人間の分際で」

 そう言いながら先生がワイヤーを引けば、三浦さんがまた絶叫する。


「賽奈先生……?」

 私の知っている先生じゃなかった。

 顔は賽奈先生だけれども、ちょっと違う。


 賽奈先生の瞳は金色に染まり、頭にはオレンジと黄色の中間色の色をしたふわふわの三角耳が二つ生えている。

 紅をひいたような真っ赤な唇は片方だけ器用に口角を上げ、うめき声を上げている三浦さんを見て冷え切った微笑を浮かべていた。


「紬。本当に逃げろ。天狐を鎮めながら紬を守ることは出来ない。しかも、最悪な事に悪霊化している霊と刃物を持つ女までいる。三重にやばい」

 私に降り注ぐように届いた陽の声を聞き、顔を上げれば今まで見た事のないくらいに顔色の悪い陽の姿が飛び込んでくる。


 陽は目を閉じると、ふっと息を吐き出す。

 そして、ゆっくりと瞳を開け唇に右手の人差し指を当てながら私には言葉として聞こえないくらいの声音で何か呟いている。

 瞳は真っ直ぐ賽奈先生を見つめたままで。


 天狐。


 泰山王様と幽玄で九尾の狐の話になった時に初めて聞いた。

 千年を越えた九尾の狐を天狐と呼び、強力な神通力を持つ妖怪となる。


 そして、狐町を守っている九尾の狐も天狐だということを――


「先生が狐町を守っていた九尾の狐なの?」

 私が呟けば、「うぅ……」という緑川さんの苦しそうな声が聞こえてきた。

 反射的にそちらに体を向ければ、緑川さんが起き上がろうとしている。

 その声に反応したのは、私だけじゃなかった。


 先生に飛ばされたワンピースの霊も。


 彼女は壁際で動けなくなっていたのに、彼の苦しそうな声が届いたらしく顔を動かした。

 かと思えば、ゆっくりと立ち上がって彼の傍に屈み込む。


 なんとか立ち上がろうとしている緑川さんの体を震える手で緑川さんへ手を伸ばして支えようとしているが、すり抜けてしまい緑川さんの体に触れることが出来ず。


 さっきは三浦さんに触れられたのに、なぜ?


 瞳の色が変わっているので関係あるのだろうか。


 悪霊化していると聞いているのに、彼女は彼を助けようとしているようだ。

 陽がまだ間に合うと言っていたけれども、自我がまだ残っているからだろうか。


 私は緑川さんを支えられなかったワンピースの女性の霊代わりに、緑川さんの元へ駆け寄ると彼を補助した。


「大丈夫ですか?」

 私の問いに対して、緑川さんは弱々しく頷く。


「佐久間さんとの電話が百合に見つかりスマホを壊されて……感情的になった百合を諫めようとしたけど、百合に逆上されてしまったんです……俺を殴り……誰かに取られるくらいなら一緒に死のうって包丁を……もみ合っているうちに壁に体をぶつけてしまって……動けず刺されそうになった時に彼女が助けてくれたんだ」

 緑川さんは傍に立っているワンピースの幽霊を見た。


 女性の足元には、緑川さんが制服の胸ポケットに入れていたあのペンが転がっている。


 緑川さんが幽霊を視えていたのに驚くと同時に、悪霊化しても彼を守ろうとしていた彼女の正体に疑問を持つ。

 普通、悪霊化って自我を無くすのでは?


「俺は大丈夫ですので……」

 緑川さんが瞳を揺らしながら、賽奈先生と対峙している陽の方を気に掛けている。

 賽奈先生は扇で口元を隠しながらクスクスと笑い余裕があるけど、陽は顔も体も強張らせたまま、賽奈先生の動きを確認するかのように瞳で捉えていた。

 緑川さんの安否確認も済んだため、賽奈先生の方をなんとかしなければ。

 

 ただ、今の私には賽奈先生の暴走を止めるすべが見つからない。

 それでも、ただ見ているなんて出来るわけがない。


 私は立ち上がると、傍にいたワンピースを着た女性の霊へと顔を向けた。


「緑川さんの事をお願い」

 私の言葉に対して、彼女は大きく頷く。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る