第20話 ワンピースを着た幽霊と再会
私達が立っているグランド西田町ホテルの正面玄関では、畳一畳分くらいはあるキャンバスに描かれた向日葵畑が出迎えてきれた。
青々とした空の下、鮮やかに咲き誇る黄色の向日葵が遥か遠くまで広がっている。
まるでその場にいるかのような臨場感を味わえる絵だ。
このホテルは季節によって絵を交換するらしく、初夏の今は向日葵畑らしい。
ちょうど時期的にもぴったりの題材だろう。
「パン屋どこかな?」
「右側がホテルのフロントで左側部分がテナントになっているよ」
私は美和の案内のもと、目的地であるパン屋を目指す。
目的地のパン屋さんがあったのはセレクトショップなどが入っている商業スペースだった。
ホテルの内装に違和感を与えないようにパン屋さんは真っ白い壁やモノトーンの看板など、ホテルの内装に合せた造りになっている。
店内も小さなシャンデリアが照らしてくれたり、メニュー表も日本語と英語表記になっていたり、町でみかけるパン屋とはちょっと違う感じがした。
店内には焼きたてのパンの甘い香りがふわりと漂ってきているので、私と美和はつい堪らず「わぁ」と声を漏らしてしまうくらいに美味しそうだ。
正面には焼き上がり時間が掛かれた看板が設置され、その左右にはトングとトレーが。
ホテルという立地条件からお客さんの入りも良く、ちらほらホテルの制服を着ている人の姿もある。
なんとなくホテルに入っているパン屋というイメージでクロワッサンとかホテルブレッドみたいなのが多いのを想像していたけど、以外と惣菜パンが多めだった。
中央にある大きな台に乗せられているパンはベーコンやキノコをソースで煮込んだパンや、たっぷりとクリームがかかったパンが見受けられる。
「良い香りだわ。小麦の甘さを感じる。早く食べたい」
「本当だよね。あっ、ケーキもあるよ!」
私は奥のレジカウンターを見ながら言う。
レジカウンターは二つあり、その隣にはケーキの入ったショーケースが。
ショーケースにはフルーツ系のタルトやチーズケーキなどが窺える。
プチケーキからホールケーキまで並んでいた。
パンを買いにきたけど、ケーキでも良いような気が……
イートインコーナーはなく、テイクアウト専門みたいだ。
「ケーキもあるんだ。んー……パン目当てだったけど、ケーキもあるならケーキを先に見たいかな。ねぇ、紬。ケーキを見ても良い?」
「ゆっくり見ていいよ。内装とかもっと細かくみたいだろうし」
「すごい、紬。よくわかったね」
「なんとなく視線と表情で。私、パン買っているから気にしないでね」
「いいの?」
「勿論」
美和はありがとうと言って私から離れた。
――キラキラしているなぁ。
夢に向かっている人は充実した日々を過ごしていて羨ましいかも。
叶って欲しいな。美和の夢。
私は彼女の背を見ながらそんな風に思った。
「さて、パンを買うか」
佐久間家は基本的にはご飯派だけれども、今日は家族の分を買って帰ろう。
たまにパンも食べるし。
美和と別れた私は、さっそくパンを購入するためにトングに手を伸ばせば、私の手に白魚のような手が重なってしまう。
触れた指先は冷たく、ひんやりとしていた。
「すみません……!」
私は慌ててトングから手を離し、手が伸びてきた方向に顔を上げれば、髪を綺麗に纏めた女性が立っていた。
彼女は紺色のジャケットとスカートに緑色のラインが入った服を着ている。
これはこのホテルの制服だ。
胸元には「三浦」というシルバーのネームタグが。
しっかりとした意志を感じる眉の下には、きりっとした目元。
鼻立ちも高く、左右の口角は常に挙げられている。
賽奈先生のように仕事が出来る美女という雰囲気を凝縮していたため、私はつい見惚れてしまう。
「申し訳ありません、お客様」
「いえ! 私のほうこそすみません」
彼女の冷静な謝罪の言葉と姿勢とは反対に、私は右手を左右に振り明らかに動揺していると第三者にもわかるくらいのレベル。
声も震え、挙動不審になっているし。
「ホテルの方ですか?」
「はい」
「ここのパン美味しいって聞いていたのですが、従業員さんも購入されているんですね」
「お昼に購入する者も多いですね。私も時々ここで。今日はお昼時間が取れなかったので、今からなんです」
「えっ、今からですかっ!?」
私達がカフェでお茶をしていたのが昼過ぎだから、結構時間が経っているはずと腕時計を見ればもう三時過ぎている。
どちらかといえば、あと少し経ってしまうと早めの夕食になってしまうだろう。
「お仕事大変ですね」
「お客様のためですし。それに何より仕事が好きなので……今日はあと少しで上がれるんです。ですので、お昼兼明日の朝食用に。私も好きですが恋人もここのパンが好きなので買って行こうかなと」
そう三浦さんが言うと、何か気になったことがあったのか、急に店の外へと顔を向ける。自動ドアがある廊下に面した壁は一面ガラス製になっているため、通り過ぎる人達の姿が一望できる。
三浦さんの視線はキャリーバッグを引いているスーツ姿の男性を案内しているホテルマンへと注がれていた。
――え。
私はそのホテルマンを目にして目を大きく見開いてしまう。
そこにいたのは西田町の交差点ですれ違った男性だったから。
ワンピース姿の幽霊に憑りつかれている人。
勿論、彼の後ろには、前回同様にワンピースを纏った彼女もいる。
接客をしているらしい彼は気づかなかったが、幽霊の方はばっちりとこっちに気づいてしまったらしく、足を止めるとこちらに顔を向けてしまう。
え、待って。
今にもこちらにやって来そうなため、私の心臓が早鐘を鳴らしている。
無理無理無理……こっち来ないで!
と祈るように願えば、幽霊が唇を動かす。
「――」
それは音となり届くことはなかった。
読唇術のスキルも持っていない私は、彼女の言いたいことがわからず。
ただ、今にも襲い掛かりそうなくらいの雰囲気を纏い、こちらを睨んでいるのだけははっきりとわかる。
一体、なにを?
首を傾げる間もなく、彼女は距離を開けてしまったあのホテルマンへと着いていった。
「あの……!」
さっきの男性の名前を聞こうと三浦さんへと声をかければ、彼女はうっとりとした表情で男性を追っている。
あれ? もしかして、三浦さんの恋人ってまさかあの人なのかな?
私は疑問に思った事を尋ねる事に。
「さっきの方が彼氏さんですか? なんとなく表情を見てそんな風に思いました」
「わかっちゃいましたか」
三浦さんははにかんだ。
――恋人なら言った方が良いかも。あまりよくない幽霊が憑いていますって。でも、さっき会ったばかりだから信じて貰えるかどうか。
なかなかこういう状況って難しい。
全く信じていない人もいる。
気にも留めていなかったのに、言われて気になって仕方がないというのも困らせてしまうし。
幽霊の事を指摘して不快に思われてしまったり、気味悪がられたりしてしまったりのパターンも多い。
小学生の頃とか、それで友達無くしまくったし、クラスでも浮いていたし。
「彼、ここのホテルブレッドが好きなんです」
「ホテルブレッドですか?」
話がパンに移ったため、私は彼女の話に戻すことにした。
「オススメです。一番人気だそうですよ。ジャムを塗らずにそのまま食べている方もいらっしゃるそうです」
「ありがとうございます。買ってみますね」
私が笑みを浮かべて言えば、彼女も同様に微笑む。
その時だった。「紬?」という美和が呼ぶ声が届いてきたのは。
視線を向ければケーキコーナーに立っている美和がこちらに向かって手招きをしていた。
「まぁ! ご友人と一緒だったのですね。私ったら長々と足止めをしてしまって……」
「いえ、私の方が声をかけてしまったので。すみません、貴重な休憩時間なのに」
「いいえ。お客様とお話出来て楽しかったです」
「私もです。では、失礼いたします」
私はそう告げると、軽く会釈をして美和お元へと向かう。
――なんか素敵な人だったなぁ。いかにも仕事が出来る! って感じで。賽奈先生とかもそうだけど。憧れるわ。しかも、仕事も恋も充実しているし。
ただ、一つ気になるのが、さっきの彼氏さんに憑いている者だった。
それが私の胸に酷く残っている。
あの幽霊は何を言おうとしたのだろうか。
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