第19話 美和からの誘い
珈琲豆を挽く香ばしさの中に甘さを含んだ香りが漂う店内では、ゆったりとしたピアノの旋律が天井付近に付けられているスピーカーから奏でられている。
地元で人気の珈琲店のため、ランチタイムを過ぎてもお客さんで席は埋め尽くされていた。
いかにも素敵なマダムから、テキストと教科書を開いた高校生まで。
客層は様々だけれども、みんな美味しい珈琲をお供にして思い思いの時間を過ごしている。
カウンターで店長がコーヒーを挽いている背後には、様々なティーカップが綺麗に並べられていた。
私は人と待ち合わせをしていたため、入口付近の席に案内して貰い、左手にある窓から広がる風景を時折眺めている。
テーブルの上には氷が入っている冷え冷えのアイスコーヒーと、先日撮影した源さんの実家である古民家の写真が。
今日、これから美和に古民家の写真と詳しい場所などの説明を行う予定となっていた。
事前に美和に軽く座敷童がいる古民家の話をすれば、「詳しく聞きたい!」と前向きな返事を貰ったのだ。
ただし、座敷童の話は込み入った部分なので、今日話すつもり。
――気に入ってくれると良いなぁ。
そう思いながらアイスコーヒーに手を伸ばせば、細長い陶器をいくつも重ねて作られたドアベルが涼やかな音で来店を告げる。
陶器で作られているためか、音色に温かさを感じた。
もしかして美和かな? そろそろ待ち合わせの時間だしと思いながら顔をそちらに向ければ、想像通り美和だった。
彼女は手にしていたスマホを眺めていたが、「美和」と控えめに私が名を呼びながら手を振れば、「待たせてごめん」と返事をしながらこちらにやってくる。
「ごめんね、忙しいのに」
「ううん。全然。私、今仕事してないから時間ありあまっているの」
美和はそう言うと微笑んで席へと座る。
「ここ、高校の頃以来だよ。来たの。全然変わりないねー。懐かしいわ」
美和は目を細めて店内を見回している。
「メニューも変わってないよ」
私はテーブルの脇に置いてあったメニュー表を渡せば、彼女はテーブルへと広げた。
瞳を動かしてメニュー表を眺めていくにつれ、彼女の表情がどんどん懐かしさを含んでいく。
「メロンソーダ―まだあるんだ。私、メロンソーダ―と本日のケーキにする」
メニューが決まった美和は、早速通りかかった店員さんを捕まえるとオーダーをする。
楽しみなのか、美和は口元を緩めると水へと手を伸ばして喉を潤す。
「紬、古民家探してくれてありがとう。送って貰った写真見たけど、中も外も太くて良い柱を使っているし、建物自体激しい劣化が見受けられない。過疎地にあるのはわかったけど、無料ってどうして?」
「えっと……その件なんだけれども……座敷童って知っている?」
「座敷童ってあの座敷童? 子供の妖怪で視ると幸運になるって生き物」
「そう。その座敷童。だから、正確には古民家は無料だけれども、座敷童と同居付きって条件があるの」
美和は私の話を聞き、顎に手を添え何か思案している。
考えが纏まったのか、やや間をあけると「んー」と言いながら唇を開く。
「それなら普通高くなるんじゃない? だって、幸運の座敷童なんだよ」
「以前の住人の方は座敷童が住んでいるって全く知らなかったみたいなの。特に御利益があったというわけではないそうだし。ただ、座敷童がいるのに、無理やりお祓いして解体したとなると……」
「あー、なるほど。祟られるって思っているのね」
美和は頷き納得すれば、ちょうど彼女が注文したメロンソーダ―とケーキが届く。
清涼感溢れる瑞々しい緑色の炭酸水に甘いバニラアイスが乗っている。
その上、ここのは昔懐かしいサクランボ漬けがセット。
ケーキはレアチーズケーキにブルーベリーソースとミントが乗っている。
ケーキ美味しそうだな。私も後で頼もうかな。
気温が高かったからケーキより冷たいものを求めた結果、アイスコーヒーのみの注文だったけど、今は冷房が掛けられている店内である程度涼んだため、暑さも落ち着いているし。
「外と中の詳しい写真はこんな感じになっているの」
私は写真が入った封筒を美和へと差し出す。
「お店をする上に交通アクセスは大事だと思うんだけれども、正直言って交通アクセスはあまり良くない。バスも一日往復便しかないし。国道からも外れているんだ」
「私もネットで調べたけれども、そんな感じだったね」
「スーパーとかもないから、食材の買い出しとかも町に降りないと駄目かもしれない」
「基本的には自給自足か農家さんから直で購入を考えているけど、問題は交通アクセスなんだよね。たぶん、この土地ではカフェを営んでも人を呼ぶことは私には出来ない。だから、ちょっと考えていることがあるの」
美和は手にしている写真を見詰めながら呟く。
「考えていること……?」
「うん。でも、座敷童がいるみたいだから許可を貰わないと。座敷童って女の子? 男の子?」
「女の子で朔ちゃんって名前」
「朔ちゃんかぁ。私も紬みたいに視えてしゃべることができればいいのに。紬ってどんな風に視えるの?」
「完全に人間のような形になっている者から黒い霧のようなものまで様々かな。死神とかは普通の人と変らないよ」
「!?」
メロンソーダ―を飲んでいた美和は、吹き出しそうになったため、紙ナプキンで口元を押さえる。
軽く咳払いをすると、真剣な眼差しで私の方へと顔を向けた。
「し、死神って本当にいるの?」
「いるよ。呑み友達。ほら、周りのみんか結婚して気軽に呑みに行ける人がいなくなったじゃん?」
「あー、それはわかる。私も同じだわ。だから、最近一人で行動しているよ。今度、噂で聞いた美味しいパン屋さんに行こうかなって思っているんだ」
「どこのパン屋さん?」
「グランド西田町ホテル」
「グランド西田町ホテルって、あのオフィス街にある?」
この間の事が頭に過ぎる。
「そうだよ」
「へー。あそこってパン売っているんだ。初めて聞いたかも」
「最近入ったんだって。あっ、そうだ! 紬、これから時間ある? 一緒に行かない?」
突然の誘いに、私は大きく頷く。
基本的にパンはあまり食べないけれども、家族全員分のを購入して久しぶりに明日の朝食にすれば良い。
食べたことがないパン屋さんのだから、ちょっと楽しみだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます