第3話 九尾賽奈先生

 女性はワインレッドの眼鏡越しに狐を思わせるアーモンド形の瞳でこちらを見詰めている。

 シャープな輪郭を持ち、形の良い唇は落ち着いたベージュ色の口紅で塗られていた。

 艶々の漆黒の髪は前髪を作らずにサイドの髪と同じ腰までの長さ。

 髪は毛先部分十センチくらい緩くウェーブになっている。


 良かった。救世主の登場だ。


「先生!」

 衣服の上からでもわかる憧れの塊というスタイルを持つ彼女が、この事務所の所長である司法書士の九尾賽奈(くおさいな)先生。


「紬ちゃん。愛花ちゃん、二人共こんな所に立ってどうかしたの?」

「実は……」

 私が軽く今までの出来事を説明していくにつれ、先生の美しい顔がどんどん険しくなっていく。

 やがて話を聞き終えると、頬に手を当てて盛大な溜息を零す。


 ……そうなっちゃうよね。賽奈先生も。


 私は心の中で先生の心労を察した。


「愛花ちゃん、入所当時に私が何度も言ったわよね? 貴女、これで二度目よ。こういうことがあるから、ちゃんと確認して欲しいのに。相手が刃物を所持していたらどうするの? 貴方が被害を受けてしまうのよ。大学気分を抜きなさい。大学は三か月前に卒業したのよ。今はもう社会人なんだから。注意力不足」

 先生のナイフのように鋭い言葉が愛花ちゃんにダメージを与え、さっきまでは静かに涙を流していたのに今度は嗚咽交じりで本格的に泣き始めてしまう。

 まるで親に怒られた子供のように。

 火のついたような泣きだし方に私はおろそろとし始めてしまった。


 先生!


「愛花ちゃん。ほら、先生も愛花ちゃんが心配だから言っているんだよ。ここ、女性ばかりの事務所だし」

私はしゃがみ込むと彼女の背中をさすりながら声をかければ、愛花ちゃんは頷いてくれている。


「先生! この状況なんとかして下さい!」

「こういう時は先輩がフォロー。今すぐ泣き止ませて。仕事が溜まっているから」

「き、鬼畜!」

「ほら、頑張って先輩」

 いや、待って! 難易度高いんですけど。

 この状況を宥めるスキルはない。

 というか、先生が余計に泣かせてしまったのでは……?


ど うすればいいの!? 誰かーっ! 女神出て来て! とこっちが半泣きになり声を上げたくなれば、「あれー?」というこの場に似合わない柔らかな声が聞こえてくる。

 その声の主は私が知っている人の声であり、この場をなんとかしてくれる人だったため、私は現状打破できる光を感じる。


 私は彼女の名を呼んで振り向いた。


「鶴海さんっ!」

 そこに立っていたのは、肩につかないボブカットの髪をした女性で、肩からA4サイズの鞄を下げている。

 鶴海さんは手に複数のレターパックを抱えながら、こちらを見て首を傾げた。


 彼女は、私の先輩でこの事務所のベテラン補助者。

 ちなみに補助者歴十年。


 一番勤務歴が長く、先生からの信頼も私達後輩の信頼も厚い。

 私は九尾先生付きだけど、鶴海はもう一人の司法書士・立木杏先生付きの補助者の一人。

 杏先生付きの補助者は、あと一人いる。

 菜乃ちゃんという補助者なんだけれども、杏先生同様に外出中だ。

 基本的に先生達も補助者も出たり入ったりするけれども、まだ補助者証を発行して貰えてない愛花ちゃんは事務として留守番が多い。


「どうした? 愛花ちゃん」

 鶴海さんが愛花ちゃんに問いかけるが、彼女が泣いているせいで言葉が詰まって説明が出来ず。

 代わりに賽奈先生が事情を説明すれば、「あー。そりゃあ、怒られるわ」と呟く。


「二人に怒られたみたいだから、私は特に何も言わないわ。それより、早く泣きやみなって。二時からお客様が来るからさ」

「鬼畜二人目! 先生も同じ事言っていましたよ!?」

「いや、だって仕事溜まっていくよ。レターパックこんなに来ているし。役所関係だから、職権で郵送取得した戸籍類」

「わかりますけどせめて気持ちの切り替えを……」

「気持ちの切り替えねぇ。んー。じゃあ、これかな」

 鶴海さんはレターパックを机へと置くと、鞄から封筒を取り出す。


 真っ白い封筒で、事務作業で良く見る細長い封筒ではなく横に長い洋風封筒だ。

 確認できる範囲では、差出人が書かれていないみたい。


 ということは、事務所に来た郵送物ではないな。切手も貼っていないし。


 鶴海さんが直接受け取ったものなのだろう。

 差出人不明な者を受け取ることなんてしないから。


 誰からだろうか。


「松本さん。それ、なぁに?」

 賽奈先生が興味深々とばかりに顔を覗かせて封筒を凝視している。


「さっき亘理さんと会ったんですよ。その時に、紬ちゃんに渡してって」

 亘理さんというのは、この辺りの地主さんで事務所がある九尾ビルの近所に暮らしているおばあさんだ。

 うちの常連さんでよく登記などの仕事を持って来てくれたり、お客様を紹介して下さったりしてくれている。


「紬ちゃんの前に愛花ちゃんが見ても良いよ。落ち込んでいる愛花ちゃんに特別大サービス。これを見たら絶対に涙なんて引っ込んじゃうのは間違いなし」

 鶴海さんが愛花ちゃんへと封筒を差し出せば、愛花ちゃんがハンカチで涙をぬぐいながら鶴海さんへと顔を向ける。


「な、なんで……すか?」

「心霊写真」

「!?」

 愛花ちゃんの涙が止まった。


 そりゃあ止まるわと、つい心の中でツッコミを入れてしまう。

 いきなり先輩から気持ちを切り替えられると心霊写真を渡されたら、誰だって頭真っ白になるわ。


 可愛い子犬や子猫の癒しの写真ではなく、まさかの心霊写真。

 誰も予想なんてしていなかった。


 そもそもなんで預かってきたのだろうか?




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