愛した分だけ絡む糸

ボウリング場の薄暗い照明の下。

黒いガーターが設置された光源のある木のレーンに青いボールが投げ込まれる。

転がる静けさの後、ピンの弾ける音がした。

「Oh, by the way(あ、そう言えばさ)、敷島って美化委員会なんでブッチするようになったんだ?嫌なことでもあったんか?」

「え?」

天井から垂れ下がるスコアボードにストライクの派手なマークが現れる。

ストライクポイントを的確に狙った王道のストライクの取り方だった。

ハイタッチでもするべきなんだろうけど、今のわたしはそれどころではない。

樋口くんは、わたしと向かい合うように紅色のソファに腰かける。


「答えたくないなら良いんだけどよ。いきなり来なくなったじゃん?ちょうど、狼谷サンと付き合い始めたあたりから……イジメ、は無いと信じたいけど。来なくなった理由と狼谷サンって関係あったりする?」

眉間にシワを寄せて悩みながら、しかしあらかじめ考えていた台詞のように、樋口くんは言った。

「……樋口くんって、美化委員だっけ?」

「うんにゃ、おれは放送委員だけど。風祭先輩が最近来ないって心配してたからよ。あの人美化委員じゃん?どうなんかな、とな。まァ、万が一にイジメなら先生とかに言った方が良いし」

「風祭さんが……」


ゆっくりと、パズルのピースがはめられていくような感覚だった。

恐怖に背筋を舐められて、指先がカタカタと振動する。

わたしは震えを抑え込むように、膝の上でぎゅっと拳を握った。

完成形なんてわかりきっている。

だけど、ずっと知らないフリをしていたのだ。

「ねえ、風祭さんと狼谷先輩の関係って知ってる?」

気がついたら口が動いていた。

言わなきゃ良いのに。

危険だとわかっていながら、好奇心を抑えることができなかったのだ。

「噂話、とかでも良いんだけど。よく考えたら、わたしって狼谷先輩のこと全然知らないんだよね。それが理由で別れたっていうのもあるし。もちろん、今更聞いたところで、どうもしないけど」


わたしの言葉に、樋口くんは両手の指を組んで手の甲をトントンと叩きながら、思案するように顎を引く。

「……まァ、なんだろう。あの二人が小学校からずっと一緒の幼馴染なのは有名じゃん?んで、これはただの噂だけど、風祭先輩の両親が狼谷サンにお金借りてるらしくて、風祭先輩は狼谷サンに逆らえない、プライベートでは小間使い状態っていう……風祭先輩本人は否定してるっぽいし、おれは信じてないけど……。風祭先輩、狼谷サンには甘いというか、イエスマンなとこあっから、噂を信じる生徒がいるのはわからんでもないが」

「……、そう」

「……敷島?顔色悪いけど……なァ……」


靄がかかったように、意識がボーッとした。

樋口くんの声が随分と遠くに聞こえて、やがて全てが無音になる。

防音室に閉じ込められような気分だった。

「……ちょっと、飲み物買ってくるね、ごめんね」

樋口くんが口をパクパク動かしていたけど、何を言っているのかはよく分からない。

わたしを見つめるメガネ越しの蒼眼は、黒く変色してたのだ。

キュッと首を麻糸で締められたように息が苦しくなる。

わたしは灰色のソファから立ち上がって、自動販売機へ向かった。


本当に頭がやられてしまったのかもしれない。

瞳に映る全てがモノクロに変わっていたのだ。

目的地を目指して、わたしは後ろから着いてくる存在を視界に入れないように努めながら、白く輝く灰色の通路を歩いた。

暗い灰色の自動販売機の前に立って、ろくに見もせず飲み物を選ぶ。

いつもなら悩むことが、今は酷くどうでも良かった。

「あーちゃん」

人差し指でボタンを押そうとしたら、雪のように白い手で手首を掴まれる。

そして、わたしの手は糸を引かれたマリオネットのように、自動販売機から離された。


代わりに骨ばった蒼白の指先が、わたしの押すはずだった自動販売機のボタンをタップする。

ガコンという音がして、足元に視線を落とすと、一丁前にボウリングシューズを履いた先輩の足が見えた。

わたしが立ち尽くしていると、先輩は大きな身体を屈めて自動販売機から飲み物を取り出す。

先輩が飲み物のキャップを外すときに、プシュッと炭酸の抜ける音が聞こえて、わたしは自分が炭酸飲料を選んだことに気づいたのだ。

「はい、どうぞ」

黒いパーカー、黒いズボン、黒いシューズ、目深に被る黒い帽子。

際立ち人目を惹く格好、そして白磁の肌。

人形めいた完璧過ぎる微笑み。

狼谷五月が立っていた。


炭酸飲料を受け取ると、先輩は嬉しそうに目を細める。

瞳の奥は狂おしくなるほどの切望を秘めていた。

強く訴えかけてくる双眸から逃れたくて、わたしは先輩に向けてペットボトルの中身を投げつける。

炭酸水を浴びた先輩は笑顔以外の表情パターンを用意していないようだ。

液体を吸ったパーカーは黒の濃淡が強くなって、微かに砂糖の甘い匂いがした。

「どうして、笑ってるの?……こんなに理不尽なことをしたのに、まだわたしが好きなの?」

「好きだよ」


指から空のペットボトルが滑り落ちる。

落下したペットボトルがカラカラと音を立て転がっていく様子をぼうっと目で追いかけた。

言葉にできない感情が湧き上がって、胸が締め上げられる。どうして。

「……そう、そうなんだ。そう、ね」

「あーちゃん?」

辺りを見渡して、見物人が居ないことを確認する。

運悪く、誰もいない。

わたしは緩慢な動作で腕を振り上げて、握り拳を作る。

避けようと思えば、避けられるのだ。

そんな速度で、わたしは高い位置にある先輩の頬を殴りつけた。

思いっきり、グーで殴ったのだ。


握り拳が頬越しに歯に当たったのか、皮膚が破れた証として、先輩の唇から赤い線が直線状に滴る。

いつの間にか、視界に色彩が戻っていた。

乾いた笑いが零れる。

きっと、わたしの頭はおかしくなってしまったのだ。

無抵抗の人間を殴ったのに、良心なんてちっとも痛まない。

非生産的な暴力を奮われて、無意味な身体的外傷を受けた先輩は、確かめるように口元を触る。


自身の親指に付着した赤色を人差し指で擦るように潰して、同色の双眼を丸くしていた。

「血だ」

まるで、今やっと状況を把握したような反応に、薄ら寒さを覚える。

「わたしが先輩のこと殴ったの」

「、そうか」

「ねえ、まだわたしが好き?いきなり殴っても謝らない女なんだよ?」

「好きだよ。あーちゃんになら何されても良いよ。俺はあーちゃんがずっと好きだから」

「……そう、」

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