欺瞞を許すから恋を許して

待ち合わせ場所のコンビニ駐車場に、わたしは立っていた。

今日は日曜日で、樋口くんと初デートの日なのだ。

閉じた桜色の傘を片手に、コンビニの軒下で雨宿りをする。

コンクリートや草が濡れ冷やされていくときの匂いがして、見知らぬ通行人と針のように細くて綿のように柔らかな雨が視界を占めた。

右手首に巻かれた愛用の腕時計を確認すると、待ち合わせの時間までまだ十五分ほど時間がある。

なんだか、そわそわして落ち着かない。

気を紛らわすために傘の柄を握る手に力を込めたり、無意味に引っ掻いたり、そんなことをしていた。


まあ、気が休まらない原因は他にもあるけど……。

強い視線を感じて、斜め後ろの方向を見る。

先輩がいた。

先輩は見慣れた黒い傘をさして、電柱の背からじっとわたしを見つめている。

あまりに不気味で、わたしはすぐに目を逸らした。本当に来たんだ……。

諦念に打ちひしがれながら正面を向くと、向かい側の信号機の横で深緑色の傘をさして、手を振る樋口くんを見つけた。

ランプの色が青に変わって、樋口くんは歩道を渡る。

それと同時にわたしは傘をさして、軒先から抜け出したのだ。


「Sorry!(ごめん!)敷島ー、すまんッ、遅くなった」

「ううん、わたしも今来たところだよ。それに待ち合わせの時間より早いよ。謝ることないって」

眼鏡のレンズ越しに瞼の開閉を数回繰り返した樋口くんは、やがて、いーっと笑ってみせた。

すると、樋口くんの口元から鋭い糸切り歯があらわになる。

意外なほど不揃いな歯並びに、ただ笑っているだけなのに牙を剥き出しにした豹のような印象を受けた。

「敷島、私服めっちゃ可愛いな!You look like an angel!(天使かと思った!)」

「そ、そうかな……?」

今日のデートはボウリング場に行くことになっている。


わたしは邪魔にならないように髪をシュシュでポニーテールに結んで、オーバーサイズ気味の白いトップスにジーパンとスニーカーという、動きやすさ重視のシンプルイズベストを具現化したかのような服装だ。

我ながら色気が欠けらも無いコーディネートなのに、樋口くんはしきりに「可愛い」を連呼する。

わたしは照れた顔になった。

樋口くんは赤いパーカーに黒のMA-1ジャケットを羽織って、黒のスキニーパンツとプレーントゥシューズという服装で、彼のファッションセンスが良いことがひと目でわかる。

わたし達は深緑色の傘と桜色の傘が並べた状態で目的地に向けて歩き出す。

まずは、樋口くんのおすすめの喫茶店に行くことになっているのだ。


恥ずかしながら、わたしはこの辺を彷徨いたことはない。

樋口くんの自信に溢れた足取りに舵取りは一任することになった。

喫茶店に並んで入店して、傘を置き場に差し込む。

店内は、一枚板のテーブルと赤い椅子が整然と並び、レトロな雰囲気を醸し出している。

レンガの壁に重きを置いた内装は、まるで大正時代の社交場にタイムスリップしたような世界観を演出していた。

非常に好みだ。テンションが上がってしまう。

キョロキョロと辺りを見渡していると、樋口くんは迷いなく奥の席に向かい、わたしもそれに続くように椅子をひいて腰を下ろした。

「気に入った?」


壁にかけられた額入りの写真を眺めていると、樋口くんは嬉しそうにたずねる。

「めっちゃ素敵!素敵なお店だね!素敵!最&高!」

我ながら語彙力が死滅した感想だ。

わたしは両手を大きく広げて、感激の度合いを必死に伝えようとする。

くっ、己の腕の短さをこんなに恨んだことは無い。

心の中で自分の非力さを悔いていると、樋口くんはにぃっと八重歯を見せて笑った。

「That’s good!(なら良かった!)なんとビックリ、この喫茶店は大正時代からあるんだってさ。まァ、情報の受け売りだが、おれの爺ちゃんはこの店のブレンドコーヒーが大好きだったんだよ。敷島って甘い物好きじゃん?ここのトーストめっちゃ美味いからさ、食べさせてやりたくてな」


「わー、ありがとう!たしかに美味しそう……頼もうかな。あっ、クリームソーダもあるんだ。飲みたいな。頼もう」

わたしがテーブルに置かれたメニューとにらめっこして注文を決めていると、店員さんがお冷とおしぼりを運んできた。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

そう言って、伝票を構えながら営業スマイルを浮かべる店員さんに、樋口くんは慣れた口ぶりでアイスコーヒーとケーキを注文する。

わたしはクリームソーダとトーストを頼んだ。

店員さんは、二人分の注文内容を読み上げて確認をすると、厨房へ去って行く。

「樋口くんはコーヒーが好きなの?」


「まァ、好きだな。カフェインジャンキーってほどじゃねえけど。アレッ、もしかして敷島ってコーヒーとかダメだったりする?確認すんの忘れてた。すまんッ」

樋口くんは、ご丁寧に眼鏡を外してからテーブルに両手をついて頭を打ちつけた。

勢いが良すぎて、ゴンッと鈍い音と共にテーブルが微震する。

「いやいや、わたしはあんまり飲まないけど、べつにアレルギーとかじゃないよ。心配しないで」

「Thanks!(ありがとう!)敷島って良い子だよな。そういうとこ好きだぜ」

樋口くんは顔を上げて、眼鏡をかける。

前髪の隙間から赤くなった額がチラついた。

肉食獣を思わせる笑顔は、先輩とは似ても似つかない。


先輩の笑顔はもっと上品で、人形めいている。

窓に目を向けると、空は灰色で雨が止む様子はない。

向かい側の本屋に背を向けて黒い傘をさした先輩が見えて、少しがっかりした。

何に対しての落胆なのかはよく分からないけど。

「It won't stop raining……(雨やまねぇな……)今日は一日中雨なんだってな」

「そう、みたいだね……」

「敷島……?ぼーっとしてる。もしかして、体調悪い?今日は帰る?」

「えッ、なんで?大丈夫だよ?元気元気!」

「Really?(ほんとか?)……ならいいんだが。無理はすんなよ。疲れたら言えよな。怒らねえから」


「……樋口くんは優しいね」

「そうか?好きな子を気にかけるのって普通じゃね?」

頬がしゅっと熱くなった。

不意打ちはずるい。

「ひ、ぐち、くんってさぁ。結構、タラシだよね?」

「あ?……そっかな?あんま考えたことねーわ。イヤなら気をつけるが」

「天然なんだ……」

余計タチ悪いな。

先輩のおかげで以前よりは異性への免疫が高くなったと思ったんだけど、真っ向から好意を伝えられるとやはり照れてしまうのだ。

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