第二章 阿修羅Ⅱ Part2

 昴は苛立たしげにダイヤルを回した。もう十回以上、同じ番号を回し続けているが、一度もつながらない。回線が完全にパンクしていた。寿雄や真那の安否を確認したいのに、これではどうにもならない。


 脳裏に三年前の光景が蘇えった。病院のベットに横たわる母。何度も何度も母の名を叫ぶ自分。


 母がその声に応えてくれることは無かった。


 昴は心に拡がる不安を振り払おうと、再びダイヤルに手を伸ばした。そのとき、玄関の鍵を開ける音がした。振り返ると、寿雄が慌てて中に入ってきた。


「お父さんッ」


 安堵のため息をついた。


「ぼやぼやしてないで、急いで避難するぞッ」


「うん……」


 こんどは別の不安が昴の胸に溢れ出した。


 大丈夫、すぐにここに戻ってこれる。ここまで〈鉄の怪物〉は来ないよ。あくまで一時的な避難だ。


 昴は不安に押しつぶされないよう、自らにいい聞かせた。


 二人は車に乗り、取りあえず東京と反対方向に行くことにした。行く当てはない。アシュラは長くても半日ほどで攻撃を止め、姿を消す。その間だけの避難だ。後はアパートを破壊されないよう祈るほかない。


 大通りに出ると思ったように車を進めることが出来なくなった。道路は逃げまどう人々で渋滞していたのだ。中には道路に車を捨て、歩いて避難する人までいる。捨てられた車がさらに渋滞を悪化させていた。


 昴たちも鉄道と平行する大通りで足止めされた。大勢の人間が鬼に追い立てられる亡者のように逃げていく。


「車から降りろ」


 寿雄が痺れを切らしたようにいった。


「お父さんは?」


「車をほったらかしにしたら、他の人に迷惑がかかる」


 寿雄は災害用のバックを昴に押し付けた。


「嫌だよ、ぼくだけなんて」


「俺のことは心配するな、邪魔にならないところへ車を止めたら、すぐに後を追うから」


 昴はさらに抗議をしようとしたが、寿雄の言葉がそれを遮った。


「早くしろッ。途中で会えなかったら、鉄獣が引き上げるのを待って家に戻れ」


 断固とした口調で言うと、寿雄は身を乗り出してドアを開け、無理矢理昴を押し出した。 昴は車を捨てた人々に押されながら、寿雄の乗る車から離れていった。再び母との別れの記憶が蘇えってきた。昴は無意識にバックの上から、中に入っている母の遺影を握りしめた。


 あのときも、ぼくは何もできなかった。ぼくが病院に着くと、お母さんはもう事切れていた。ぼくはそれまで、お母さんがガンってことすら知らなかった。お父さんは、ぼくに心配をかけないために何もいわなかった。今度も、お


  父さんは……


 昴は戻ろうとしたが、激流のように自分を押していく人波を、遡ることができなかった。


 真那は『鳴神』の表札があるドアの前で立ちつくしていた。


  遅かったか……


 アシュラ出現による渋滞のため、予想以上に移動時間がかかってしまった。チャイムを鳴らしても、名前を呼んでも、中からは物音一つしない。何より昴の存在を感じない。


 今の真那なら、意識しなくても半径一〇メートル以内に昴がいれば、その存在を感じることが可能だ。〈アートマン〉の使い方を覚えるに従って、身体機能が信じられないほど急激に強化された。


  ホント、化け物じみてきた。

  ま、それは置いといて、その前に昴を何とかしないと。

  あいつは電化製品が苦手だから、直接メールを受け取ってはいない。

  でも、ラゴラがメール以外の方法でわたしたちを探っていないという保証もないのよね……。


 どうにかして昴を追うしかない。真那は目を閉じ、〈アートマン〉に触れ知覚を拡げていく。


  ダメだ、この近くに昴はいない。


 真那は〈アートマン〉を放した。勇人はアシュラが〈アートマン〉を感知できると予想していた。真那もこの意見には賛成で、恐らく自分たちもアシュラの存在を感じ取れるはずだ。


 階段を駆け下り、アパートから離れた。昴は都心と反対方向に逃げたはずだ。あとは自分の感と運に頼るしかない。


         四


 勇人は神奈川と東京の県境にあるゴルフ場に潜り込んでいた。もっと人気のないところへ行きたかったが、残念ながら間に合わなかった。


 先ほどからアシュラの存在を強く感じる。夢の中で追いかけている、アイツと同じ気配だ。ただ、こちらの方が微弱でいくつにも分かれている。


 辺りに人の気配は全くない。この緊急時にゴルフをしている酔狂な輩は、さすがにいないようだ。


 勇人を中心にして、つむじ風が発生した。勇人が〈アートマン〉に触れたからだ。勇人は〈アートマン〉を手繰り寄せ、身体中に満たし、一体化していく。全身に力が漲ると共に、八つ裂きにされるような痛みが心に走った。


  未霞みか……。


 勇人の脳裏に一人の少女の姿が浮かんだ。


 泣き叫ぶ母親の前で、口端から一筋の血を流して横たわる妹、未霞。


アートマン〉から力を得れば得るほど無力感は大きくなり、消し去ることのできない哀しみが蘇る。こんな能力ちからには触れたくないが、今はその力が必要なのだ。未霞がいたこの世界を、未霞の記憶を宿した街を守るために。


 勇人は大量に流れ込む〈アートマン〉を圧縮し、身体の表面に物質化していく。〈アートマン〉は、そのままでは目で見ることはできないが、物質化すれば常人の視覚でも捕らえられる。


 物質化した〈アートマン〉で全身を覆った勇人は、実に異様な姿だ。映画に出てくるエイリアンやモンスターさながらだ。


 実体化した勇人の〈アートマン〉は紫水晶アメジストの輝きを放ち、それが中世の甲冑のように全身を覆っている。一見、貴金属のように見えるがよく観察するとそれには弾力感がありこの世のもとは思えない、まさに〈魔人〉に相応しい。


 勇人は先ほどより明瞭にアシュラの存在を感じる事ができた。三隊に分かれ、一つは自分に、最も数が多い軍団は霞ヶ関に、残りは神奈川の青葉区の方へ向かっていた。自分以外のところへ向かうアシュラが、方向を変える気配はない。派手に〈アートマン〉を引き出し、アシュラを引きつける作戦は失敗に終わったようだ。


  さて、どうするか?


 この際、自分を狙っている奴らは無視することにした。問題は霞ヶ関と残りの一方どちらに行くかだ。恐らく後者は真那を狙っているのだろう。ひょっとすると、昴にも気づいているのかもしれない。


 篤志と琴美にも、当然アシュラが差し向けられるはずだ。琴美のあの状態を考えると、自ら霞ヶ関へ行く可能性もある。


 携帯電話を持っていないことを、これほど後悔したことはなかった。もっとも、至る所でパニックが起こっているから、この状況では使い物にならないだろう。


 勇人は情報処理の授業で、数日遅れの予言メールを受け取った。篤志と真那はケータイでいち早く見ていた。


 三人とも二番目以降のメールを読むと、おかしな感情に捕らわれた。心の奥から憎悪が湧き出し、虚無感が溢れて、破滅的な気分になるのだ。


 最初にこのメールを、あの夢と結びつけて考えたのは真那だった。昴の一件のあと、真那は改めて礼を言いに来たが、それ以来、勇人と篤志の前に姿を現すことはなかった。真那の男嫌いは有名で、二人とも知っていたから別段気にもしなかった。


 ところが、その真那が再び二人の前に現れ、夢と予言メールについて話があると言ってきた。


 勇人たちは、それから自分たちの中に眠る〈アートマン〉の操り方を学ぶと共に、なぜこんな能力が自分たちにあるのかを考えた。


 後者は文字通り手探りの作業だった。手がかりになる物といったら、共通して見る夢と三人の記憶だけしかない。それに比べ前者は思ったより簡単だった。〈アートマン〉の存在を意識して、精神を集中させれば何とか引き出すことができた。


 真那と篤志は、武道をやっているのでこの手のことには馴れている。勇人も、もともと集中力があるので、引き出すこと自体はさほど難しくはなかった。


 問題は勇人にとってこれが楽しい作業ではないことだ。〈アートマン〉に触れるたび未霞を思いだし、心に鋭い痛みが走る。


 最初の頃はわずかに各々の〈アートマン〉が属する自然現象を起こすだけだったが、引き出せば引き出すほど力は強まり、まるで呼吸をするのが当たり前のように、自然に新たな使い方を身につけていった。


 その能力のため、自分が人間でなくなってしまったような感覚に囚われ、恐怖を覚えることも少なくなかった。こうしている現在も、恐怖は心の片隅に痛みと共に存在している。


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