第二章 阿修羅Ⅰ Part2

  思いだせない、三人とも知っているような気がするのに。特にこの女……。


 白地のセーラー服に真紅のスカーフが栄え、少女の清潔感を一層引き立てている。今の琴美とは対照的な美しさを持っていた。


「あたし、鳴神真那」


 咽のつかえがとれたように、脳裏に一人の少年の姿が浮かんだ。


「鳴神? あんた鳴神くんのお姉さん?」


「従姉よ。あなたとは一度顔を会わせているんだけど、覚えてないみたいね」


 琴美は改めて真那の顔をまじまじと見つめた。よく観ると、大人びているが真那は鳴神昴と瓜二と言っていいほどよく似た顔立ちをしている。でも、昴をこれほどきれいだと思ったことはなかった、何が違うのだろう。


  眼が、瞳がちがう……


 昴の瞳は、寂しさと哀しさ、そして優しさを伝えていた。


 穏やかな水面を思わせる真那の瞳は、昴とは違う哀しみと強い意志、いかなる困難にも立ち向かおうとする勇気を感じさせる。


 これだけ印象的な人間をそう簡単に忘れるはずはないのだが、琴美はいつどこで真那と会ったのかまだ思い出せない。


「あなた三年前に、二宮神社に行かなかった?」


 琴美の心を見透かしたかのように真那がいった。


「二宮神社……」


 琴美の記憶が蘇ってきた。五年生のとき、琴美は昴を含めた数人のクラスメイトと、二宮神社という小さな社に行った。社会か何かの宿題で、グループで資料調べにいったのだ。


 そこで琴美は軽い貧血を起こしていた。そのとき、昴も同時に貧血を起こしたのでよく覚えている。その帰りに母親と散歩をしている真那に会ったのだ。


 昴に従姉と紹介されたような気がする。色々なことが起こった日だったので、すっかり忘れていた。それに、そのときの真那はこんなにインパクトはなかった。昴の従姉とすぐに納得できるような、はかなげな少女だったはずだ。


 真那のことは思い出せたが、後ろにいる二人の青年には会った記憶がない。にもかかわらず見覚えがある。デジャビュだろうか。いや、それも違う気がする。


「ところで何の用? わたし、急いでんだけど」


「あなた、変な夢、見てるでしょ」


 真那は琴美の都合など、まるでお構いなしで語り始めた。それは、宇宙から地球に舞い降りる、不可思議な夢のことだった。


 琴美の表情が変わった。確かにその夢を見ていた。


「なんのこと?」


 平静を装ったつもりだが、真那には通じなかった。微笑みを浮かべ、琴美の反応を面白がっている。


  ムカツク女、わたしのことをなんでも知っているみたい。鳴神くんの従姉でなければ、とっくにキレている。


  ……何であたしは、こんなに鳴神くんのことを気にしてんだろう?


 琴美は言い表せない感情にイライラした。一年以上会っていない友人のことでこんなに感情が乱れるとは思わなかった。


「夢だけじゃなく、あなたの周りで怪現象が起こってない? そうね、火に関連したものでしょう?」


 真那はまるで占い師のような思わせぶりな口調で言った。


「だから、知らねーって言ってんだろッ」


  ホントにわたしのことを、なんでも知っているみたいだ。


  どうやって調べたんだ?


  ストーカーか?


  それともホンモノの読心術者エンパス


 琴美は、真那が少し怖くなった。その瞳を見返すことができない。真那は相変わらず琴美の反応を楽しんでいる。


「あの夢の最後に出てくる五人のうち、あなた以外の三人があたしたちなの」


 琴美は一瞬言葉を失った。そうだ、こいつらは夢に出てくるんだ。琴美は真那たちのことをもっと知りたくなった。そうすれば、自分の能力について何か解るかも知れない。だが、今は霞ヶ関に、怪物たちと会うために向かわなければならないのだ。


「あたしたちは似たもの同士なのよ。あなたもあたしたち同様、〈魔神〉なんだから」


「マジン?」


  予言の中に出てくる〈魔神〉のこと?


  わたしがその仲間だって?


  ふざけるな、わたしは〈鉄の怪物〉側の人間だ!


 真那は自分が水、勇人が風、篤志が地の能力ちからを使えることを告げた。本柳のスクーターを足止めしたのは篤志だと琴美は気づいた。


「あなたの力を貸して。世界中で暴れてる阿修羅アシュラ、一般に言う〈鉄の怪物〉と戦って欲しいの、あたしたちと一緒にね」


 琴美は思わず吹き出した。


「そんなにおかしい? あたし、本気マジで言ってるんだけど」


 笑われたことを、真那は微塵も気にしてないようだ。


「アンタら、大丈夫?」


 琴美は、こめかみの辺りを人差し指でさしてクルクルと回した。とても正気とは思えない。いくら琴美が炎を操れるといっても、あの怪物には歯が立たないだろう。


「さぁ、どうかしら。でも、地球上でアシュラと戦えるのは、あたしたちの他にいないわ」


 確信を込めた声で真那は言った。


「わたし、妄想につき合ってるほどヒマじゃないの」


 琴美は立ち去ろうとした。もう相手にしていられないといった感じだ。無理もない、話の内容が内容なのだ。いくら、不可思議な夢で結ばれた人間といっても、それとこれとは別問題だ。少しでも正常まともならそう思うはずだ。


「待って、あたしたちには余り時間が残されていないのよ。あなた、昨日の予言、知ってる?」


 真那が予言メールのことを口にした途端、琴美は立ち止まり、恍惚とした表情を浮かべた。琴美の中で何かのスイッチが入った。


「もちろん、何度も読んだ」


 琴美の心に巨大なうねりが生まれた。それが何なのか琴美自身にも解らない。とにかく、琴美の理性や感情より遥かに強いものだ。


 それが琴美を支配し、思考や感情に膜を張った。琴美はこの状態が不快ではなく、むしろ心地よかった。


 真那たち三人に緊張が走った。


「予言メールを受信し続けたの?」


「わたしだって、ケータイぐらい持ってる」


 嘲るような口調だ。


「あたしたちにとって、あれは物凄く危険な物なの。これ以上受け取ったら、あなた大変なことになるわ」


「何が危険よ、あのメールはあたしに希望を与えてくれたッ」


 琴美の思考の片隅で警鐘が鳴り響いた。うねりはその音を瞬く間に打ち消してしまった。


「そう言っているのが、あれの悪影響を受けている証拠だわ。あれは希望なんて与えない、与えるのは希望に化けた絶望なのッ。お願いだから、あたしの言うことを……」


「ほっといてッ。例えそうでも別にかまわない、お陰でわたしは自由になれたッ」


  自由? わたしはホントに自由なの?


 一瞬、疑問の声が浮かんだが、瞬く間にそれは思考の彼方に追いやられた。


「いいえ、もうあなたはあいつに、ラゴラに捕らえられている」


「ラゴラ? ナニそれ。だいたいわたしの事が、どうしてあんたにわかるッ」


 真那の言ったことは、琴美の疑問の確信を突いていた。しかし、うねりは琴美の不安を次々焼き尽くしていく。口から出るのは、それが琴美に与えている言葉だ。


 琴美はうねりの命じるままに、自分の中にある能力ちからの源に触れた。体中に力が漲る。琴美は能力ちからを右手に集中させた。右手から炎が上がる。不思議なことに、肉体が焼けるどころか熱くもない。わずかに温もりを感じるだけだ。


 彼女はその炎を真那に近付けた。ところが真那の身体に近づいた瞬間、空中から水が湧き出し、炎をかき消した。


「えッ?」


「言ったはずよ、あたしは水を使えるって」


 琴美は濁った瞳で真那を睨んだ。


  ホントに、わたしと同等の力をもっている……


 向こうは三人、まともに戦えば圧倒的に不利だ。


 まるで他人事のように琴美は思った。全てに実感が湧かなくなっている。


「わたしをどうするつもり?」


「別に取って喰いやしないわ。ラゴラ退治に協力するか、それが嫌なら邪魔しないで欲しいだけよ」


「どっちも、イヤって言ったら?」


 真那は肩をすくめた。


「その返事は聞きたくないわね、お互い何の得にもならないわ」


 琴美は挑戦的な笑みを浮かべた。自分が嗤っているのではない、うねりが嗤わせているのだ。


「あいにく、わたしにはそうするだけの価値がある。怪物でもアシュラでも構わないけど、邪魔なんてしたくない。むしろ手伝いたいぐらい。わたしの大キライな、この世界をブッ壊してくれるなら大歓迎ッ」


  そうよ、わたしは世界を壊したい。

  こんな世界無くなればいい、学校も塾もパパも、それにママもみんなみんな壊してやるッ。


 うねりは琴美の破壊衝動を増幅させた。それの拒む琴美の理性は焼き尽くされた。


 琴美はヒラリと身をひるがえし、真那たちに背を向けて駆けだした。信じられない速さだ。

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