第二章 阿修羅Ⅰ Part1

「琴美、どこに行くの? 学校はッ?」


「わたしがどこに行こうとアンタにカンケーないだろ」


「関係ないわけないでしょうッ。ママ、琴美のことを心配してるのよ」


 琴美は皮肉な笑みを浮かべた。


「アンタが心配なのはわたしじゃなくて、わたしの成績だろ」


 祥子の顔が青ざめた。


「な、何てこと言うのッ」


「だってホントのことじゃん。わたしは、もう、アンタの言いなりになるのはイヤなんだッ」


 後ろで何度も自分の名を叫ぶ母の声がしたが、琴美は完全に無視した。


 だいたい、こんな時にノンキに学校なんて行っているヤツはいない。そんなこともあの女はわからないのか。


 自分の行動を非難する声が心の中で響いていたが、祥子に対する苛立ちの炎はそれを焼き尽くした。


 家から出ると一人の男が待っていた。原付きにまたがって、オドオドしながらタバコをくわえて、辺りをうかがっている。本柳だ。


 昴の父が警察に被害届を出したため、捕まるのが嫌で逃げているのだ。十四歳の本柳なら大した罪にもならず、施設に送られたとしてもすぐに出られるはずだ。


 そうすればハクが付くというものだが、この男はそれでもパクられるのが恐いらしい。


  フンッ、ケツの穴の小さいヤローだ。


 琴美は冷めた視線を本柳に向けた。


「よ、よう、どこに行く?」


 落ち着きなく訊いてくる。一カ所にジッとしていると、警察が通りかかるような気がして仕方ないのだろう。


 琴美と本柳の出会いは、三番目の予言メールがバラまかれた夜だった。初めて塾をサボった琴美は、渋谷へ向かった。そこで一番最初に声をかけてきたのが本柳だ。別に誰でもよかった。とにかく、自分を別の世界へ案内してくれる人間が必要だった。


 その日から琴美は変わった。眼鏡の代わりにコンタクトを入れ、耳には炎のようにあかいピアスが光っている。髪にもピアスと同じ色のメッシュをいれ、服も露出度の高い大胆な物を着るようになった。


 今日はピアスと髪にコーディネートした赫のベアトップを着て、ヒップハングのきわどいショートパンツを履いている。


 今まではどこへ出かけるにも化粧などしなかったが、日々派手なメイクになっていく。衣類も化粧品もほとんど本柳に買わせていた。


 以前の琴美は自分の美しさを表に出すことはなかったが、今はその美貌を惜しげもなくさらしている。さらに、そこには今まで存在しなかった、ある種の禍々しさが加わっていた。それは、毒花のような艶やかさを感じさせた。


 変わったのはなにも外見だけではない。今までの大人しさが嘘のように言葉遣いも乱暴になり、攻撃的な性格へと変貌した。そして、常人にはない能力ちからが使えるようになった。その能力ちからとは、今まで琴美が嫌悪していたパイロキネシスだ。


 理由はよく解らないが、琴美は自分の中に力が存在することを意識し始めた。丁度、第三の予言を受け取った辺りからだ。それからその思いは強くなり、ついに自分の中にある力に触れることができた。


 それから瞬く間にその能力ちからは開発されていった。まるで呼吸をするように炎を自在に呼び出し、操ることができるようになった。


 その影響なのか視力も回復し、数日前からコンタクトもしていない。


「なぁ、琴美ィ」


 まったく、ウルサイ男だ。


 琴美は本柳を追い払おうかと思った。琴美は本来、本柳のようなタイプが大嫌いだ。暴力にものをいわせ、人から金を巻き上げる。他人の迷惑になるようなことを平気でする。自己中心的で周囲の人間の気持ちなど考えない。最低の人間だと琴美は思っている。


  でも、今のわたしはどうなの?


  その最低のクズ野郎から、さらに金を巻き上げて、必要なくなったらいつでも捨てるつもり。


  あたしの方がよっぽどひどい人間よ。


 琴美の心に自己嫌悪が広がった。


  どうしてこんな事になったの?


  これがわたしの本当のわたしなの?


  わたしがなりたかったわたしなの?


 すべては予言メールを見たときから始まった。メールを受信するたび、琴美の中で何かが壊れ、今まで抑えていた物が溢れ出てきたのだ。


「琴美ィ、どこでもいいからハヤクいこうぜ」


 本柳のせかす声で琴美は我に返った。本柳を追い払うのは今度にしよう、今は急いで行きたい場所がある。


「霞ヶ関近辺」


「へ?」


「わたしが行きたいところッ」


 ぶっきらぼうに琴美は答えた。昨日、琴美のケータイにも予言メールが届いた。それは東京襲撃を暗示していた。今は午前九時半。奴らの行動パターンからすると、今日の昼前から明日の夕方頃までに、霞ヶ関に現れるはずだ。総理官邸、各省庁、皇居、そして国会議事堂、奴らが壊したがっている物がいくらでもある。


 メールを観た瞬間、〈鉄の怪物〉が現れる場所にいかなければならないと思った。琴美にはそれがパーティーの招待状に思えた。断ることのできない招待状。どんなことよりも優先させなければならないパーティ。


 どちらにしろ、このパーティに欠席する気は琴美には毛頭なかった。怪物をこの眼で見ることができれば、死んでもいいと本気で思っている。


 なぜか怪物たちには親しみを感じていた。自分の持つ破壊衝動が共感しているのだろうか。それとも……


「なんで、そんなトコへ?」


 ここにも現状を把握してないバカがいた。


  まァ、知っていてもアレが何を意味するのか、こいつにはわからないだろーけど。


「何だっていいだろッ」


 初めは本柳に甘えるようにして頼みを聞いてもらっていた琴美だが、今では完全にイニシアティブを握っている。


「しゃ、しゃあねーな」


 やれやれ、といいたげな本柳だが、琴美の機嫌を損ねるのを怖がっているのが見え見えだ。本柳は琴美の能力ちからを知っている。琴美の容姿はもちろんだが、本柳はこの能力ちからの虜になっていた。琴美さえいれば、警察も恐れるに足りないと思っている。


 琴美はスクーターの後ろにまたがった。本柳がエンジンを吹かし、発進させようとしたが原付きはピクリとも動かない。


「あれ?」


 本柳はいぶかしげにエンジンを吹かし続けた、それでもスクーターは動く気配がない。琴美は地面に不可思議な力を感じ視線を下に向けた。アスファルトが割れてそこから土が溢れ、手のような形になってタイヤをつかんでいる。


  なに、コレ?


「日下琴美さん、だよね?」


 琴美が怪現象に目をみはっていると、背後からよく通るアルトの声がした。振り返ると、学生服の青年が二人と、セーラー服姿の少女が一人立っていた。


 視線が少女に釘付けになった。理由は二つ、一つはその美貌。同姓の琴美が見てもウットリしてしまいそうだ。


 絹のように滑らかな長い黒髪、雪のように白い肌、凛々しい眉、長い睫毛、秀麗な鼻梁、ルージュを塗らなくても鮮やかに紅い豊かな唇。そして一番目を引くのが黒目がちの瞳だ。


 琴美の気を引いたもう一つの理由は、その顔に見覚えがあったからだ。いや見覚えがあるのは少女だけではない、後ろにいる二人の青年も同じだ。


 琴美は無意識のうちに原付きから降りた。この三人に興味が湧いていた。それは〈鉄の怪物〉に対する興味に似ていた。


「森本さんッ」


 本柳がすっとんきょうな声を上げた。


「よォ、また会ったな」


「知ってんの?」


 コクコクと本柳はうなずいた。


「残念だけど、今はおまえに構ってる暇はない。失せろ」


 少女の氷のような声に、本柳は琴美を残したままスクーターを発進させた。いつの間にか、タイヤをつかんでいた土の手と地面から感じた力も消えていた。


  コシヌケッ、わたしを置きざりにするか?


 どうやら本柳にとって、森本やこの少女は警察以上に怖い存在らしい。琴美は興味を覚える半面、三人を危険だとも感じていた。いま目の前で起こったことはこいつらがやったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る