第一章 終末の足音Ⅳ Part2

 琴美と初めて話しをしたのは、ちょうど借りた『はてしない物語』を返したときだった。


「鳴神くん、ファンタジーが好きなの?」


 と、先に声をかけてきたのは琴美だった。昴は母を亡くして日が浅かったから、琴美が同情して話しかけてきたのだと思った。


 しかし、琴美も案外話し相手が欲しかったのかもしれない。昴は、琴美が誰かと話しをしているところを、ほとんど見たことがなかった。


 昴はこの頃、『はてしない物語』の他にも『ハリー・ポッター』シリーズも読んでいた。琴美の方は図書室では本を借りずに、いつも自前の参考書を持ち込んで読んでいた。


「うん……そうかな? あんまり意識してないけど」


『はてしない物語』も『ハリー・ポッター』も、ファンタジーだから読んでいたわけではない。


 どちらも主人公に母親がおらず、感情移入しやすかったからだ。自分だけが、この哀しみと寂しさに耐えてるわけではないと思うと、少し心強かった。


 特に『はてしない物語』の主人公・バスチアンにはかなり共感を覚え、副主役の勇者・アトレーユには強い憧れを抱いていた。


 バスチアンは昴と同じで父親しかおらず、アトレーユは孤児で一族に育てられていた。


 自分が住んでいる世界を救う旅に出るアトレーユは、様々な困難に立ち向かい、それを乗り越えていく。昴はその姿に憧れた。


 昴が真那と早苗以外にこの事を話すのは初めてだった。


「ねぇ、日下さんは、いつも勉強しているみたいだけど、つかれない?」


 珍しく饒舌になった昴は、つい余計なことを言ってしまった。琴美の顔がこわばった。


「わたしのママ、成績悪いとうるさいから」


「それは日下さんのこと、心配してるからでしょう?」


「ママが心配なのは、わたじゃなくてわたしの成績なの」


 と琴美はさみしげに微笑んだ。小学五年生とは思えない、まるで人生に疲れ果てた老人のような表情だった。


 琴美は母親のことが嫌いなのだろうか。昴はそう思うと何だか悲しかった。


「ごめんなさい……」


 唐突に琴美が謝ったので、昴は一瞬戸惑ったが、すぐに自分に気を遣ってくれていることに気づいた。


「ぼくも母親には色いろ不満があったよ。でも、うるさい親でも、いなくなると結構さびしいんだ」


 つとめて明るく言った。


「ありがとう」


 何とか昴の気持ちは琴美に通じたらしい。太陽のような微笑み、にはほど遠いが、先程よりは元気な笑顔を返してくれた。


 きれいだな、と昴は思った。


 それから何度か昴は図書室で琴美と話しをしたが、真剣に参考書を読んでいるときは、声をかけることはできなかった。女の子に自分から声をかける勇気を、昴はもともと持ち合わせていない。


 昴にとって琴美と話しをすることはとても楽しく、その時は孤独や哀しみをすっかり忘れることができた。


 同じ女の子なら真那とお喋りするのも楽しいけれど、琴美と話しをするのは全く違っていた。


 昴はケースから『はてしない物語』を取りだした。緋い絹製の表紙は鈍い光沢を放ち、お互いの尾をかむ二匹の蛇が描かれている。そして、その中央にタイトルが記されていた。


 昴はこの本もバックに入れたいと思ったが、すでにパンパンだ。抱えて持っていくこともできるが、やめることにした。


  また、ここに戻ってくるんだから、今はおいていこう。


 昴が『はてしない物語』をもとの場所に戻すと、割れたスピーカー音が表から響いてきた。


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