第一章 終末の足音Ⅲ Part2
真那が高校受験を目前に控えたある夜、昴の父・寿雄が電話をかけてきた。その内容は、昴の不登校についてだった。
実は真那も、中学一年の時に不登校になっている。原因は担任の教師による性的暴力だ。我が子の不登校という同じ問題を経験している兄の恵輔に、寿雄はアドバイスを求めたのだ。
ところが、恵輔は弟の話を一通り聞き終えると、受験地獄に
「あたし、今、受験勉強中」
呼び出された真那は、不満を思いっきり表情に出した。
「ほぅ、今まで部屋で何してた?」
勉強をするフリをして漫画を読んでいた。
「俺や寿雄が何を訊いても昴は自分の殻に閉じこもるだけだ、違うか?」
その通りだ、それは真那が一番良く知っていた。自分も担任の
特に、親には何をされたのか知られたくなかった。何だかとても自分が汚れてしまったような気がしていた。
真那が何とか母の早苗に打ち明けることができたのは、このままでは自分が負けてしまうと思ったからだ。野上にではない、自分自身、自分の人生にだ。
それでも話すまでには一週間もかかり、恵輔と兄の空にはさらに数日が必要だった。
原因は違うが、昴が寿雄や恵輔に何もいわないことは容易に想像できた。昴には真那のように、自分から事態を改善するだけの気骨は無い。
本音を言えば、恵輔が自分に振ってくれたのは嬉しかった。いや、むしろ自分に内緒にしてたら、
昴は小学校に上がるまで、この家に預けられていた。当時は祖父の正造も健在で、寿雄も預けやすかったのだろう。空とは年が離れてるせいか、昴の遊び相手はもっぱら真那だった。
真那は昴を出してくれるよう寿雄に頼んだ。寿雄は不安を隠せなかったが、それでも真那の要請を受け入れ、昴を呼んでくれた。だが、受話器からはなかなか昴の声が聞こえてこなかった。
「昴、サッサと出ろッ」
真那は大声を出した。この家、実は『金剛寺』という寺なのだが、敷地には墓地もありそれなりに広い。それでも近所迷惑になるほどのボリュームだった。
『もしもし……』
やっと受話器の向こうから、少し怯えたソプラノが聞こえた。昴の声を知らない者が聞いたら、少女が話していると思うだろう。変声期を迎えていない昴は、深みのある真那のアルトとは対照的に高く澄んだ声をしている。
「すばちゃん、女を待たせる男はサイテーだって、いっつも言ってるでしょ」
『初めて聞いたような気がするんだけど……』
「んなコトどーでもいいのッ。とにかく、あたしの電話にはすぐにでるッ」
その日は、翌日に電話を寄こすことを約束させて終わりにした。いくら真那でも、多少は受験を気にしている。一日三十分と時間を決め、昴と毎日電話で話しをした。
その内容は世間話に終始した。真那は、学校のこともカツアゲのことも口にしなかった。
ただ、その中で真那の心に引っかかる物があった。それは不可解な夢の話しだ。宇宙から、何かを追って地球にやってくるというもので、ここまでなら『変な夢』で片づけることができる。問題なのは、真那も同じ内容の夢を見ていたことだ。
受験日は瞬く間に過ぎた。その間も昴のことが頭から離れず、多少は本気で合格が危ないと思ったが、それは杞憂に終わった。
真那は見事合格し、昴との通話時間も大分増えた。それでも真那は、不登校について一切言及しなかった。
真那との電話のやりとりが一ヶ月になるころ、とうとう昴が痺れを切らせた。これは真那の予想通りだった。
『どうして何もきかないの?』
真那は自分の部屋から、ケータイで昴と話しをしていた。昴との通話は、真那に予想外のメリットをもたらした。
ケータイの通話料が少々かかりすぎても、恵輔と早苗が文句をいわず払ってくれる。
『知ってるんでしょう、ぼくが学校いってないの』
「あたしに解らない事なんてあると思う?」
『あると思う』
「少なくとも、あんたに関してはないわよ。あんたのアソコにある、ホクロの大きさだって知ってんだから」
『それは子供のころ見たからでしょッ』
電話の向こうで、昴が真っ赤になっているのが目に浮かんだ。やっぱりコイツはからかい甲斐がある。
「で、なに? あたしに理由や原因をきいて欲しいわけ?」
『それは……』
ま、こういういい方されれば、ふつう返答に困るわな。
真那はニヤニヤと、ちょっと意地悪な笑みを浮かべた。
「言いたくないなら言わなくていいよ。でも、そのうち、お姉ちゃんにだけは話して欲しいな……」
言葉の最後の方はどことなく寂しげだ。
受話器の向こうで、昴が戸惑っているのが判った。
「あ、あの……」
落ちたッ。
真那はペロッと舌を出した。昴がこの手の演出に弱いのはよく知っている。自分のことを『お姉ちゃん』と強調するのがポイントだ。
昴はポツリポツリと不登校に至るまでのいきさつを話し始めた。次第に感情が高ぶってきたのか声が震えた。そして、昴の電話機の調子が悪くなり、何度か中断せざる得なかった。原因はイジメの要因の一つにもなっている、昴の体質のせいだ。
真那には昴の気持ちが痛いほど解った。自分も普通の人間と違った体質だと気が付いていたからだ。
それに、この時真那は、昴の感情が直接自分の心に流れ込んでくると表現すればいいのか、そんな不思議な感覚を体験してた。だが、その事をさして気にはしなかった。
自分があの事件以来、感じるよなった力── 〈
真那の思考は、目の前に立ちふさがる現実的な問題に振り向けられていた。
「こっちに来る?」
真那は昴の話しを聞き終えると、優しい声でいった。
「このボロ寺に引っ越して、転校するのも悪くないんじゃない? オバチャンとボンテン丸も喜ぶわ」
もう、この事は恵輔たちと話し合っていた。特に早苗は昴がイジメられることを知ると、すぐさま寿雄に連絡を入れ、昴を引き取ろうとした。そのため、真那と恵輔は早苗をなだめるのに一苦労した。
『ありがとう、でも……』
やっぱり嫌か。
真那は内心ため息をついた。昴がアパートを離れたがらない理由は、訊くまでもなく解っている。
不登校になってからの昴の生活を想像してみた。
誰もいない部屋に、ポツンと独りでいる昴。連絡をくれる友達もなく、TVも見れず、ゲームもやれず、ラジオや音楽まで聴けない。日がな一日シンとした部屋で、漫画や本を読んで過ごしていたのだ。それだけが昴の友達であり話し相手だから。
それから、もう一人、記憶に生きる母だけが、昴の孤独を癒していた。だからこそ、母の思い出が染みついたその場所を離れたくないのだ。
真那の心に後悔が押し寄せた。なぜ、もっと昴に気にかけてやらなかったのか。
例えそんな義務はなくても、真那は自ら昴を守りたいと思っていた。そのために合気道や剣道をやり、心身共に鍛え、強くなろうとしたのだ。その結果、忌まわしい中学も転校することなく卒業できた。
本末転倒もいいとこよ、あたしは自分のことしか考えてなかったんだ。
自分自身に対して無性に腹が立ったが、過ぎたことは取り返しがつかない。
今やらなければならないのは、アクションを起こし、これからを変えることだ。真那はすでに次のプランを用意していた。
「わかった、もう引っ越せなんて言わない。んで、話し変わるけど、今度そっちに遊びに行くから」
「え……? ダ、ダメだよッ」
本柳たちは昴のアパートにまで来るようになっていた。学校にいかないだけでは、本柳たちから昴は逃れられない。アパートは
「電話代だってバカになんないの。行くっていった以上、あたしは絶対に行くんだから、あんたをカツアゲしてるガキどもが来そうな日、教えろ」
昴は真那を思いとどまらせようと、一時間近くも必死に無駄な努力を続けたが、本柳が来そうな日を最終的には白状した。本柳たちは三日に一度は昴のもとを訪れていた。
真那は同じ高校の、男子生徒に協力を求めることにした。
初めは通っている合気道の道場の
真那は入学してすぐに、柔道部にケンカがバカみたいに強い二年生がいるという噂を耳にしていた。
中学時代にたった独りで、暴走族数十人を相手にして勝ったというのだ。
いかにもマユツバな話しだが、それなりに強いことは間違いない。一年の時、すでに柔道部のレギュラーで、全国大会の個人戦で優勝しているのだ。
これなら少なくても道場や部の娘、数人分の戦力にはなる。真那はその二年生に力を貸してもらおうと思った。
協力する代わりに付き合えと言われても、あしらう自信はある。もし、力ずくでこられたらその時は〈
何も特異体質は昴だけではない。相手が一人なら、どんなに強い男でも何とかなるはずだ。
むしろ問題は協力してくれるかどうかだ。下手をすれば大会不出場になりかねない相談なのだ。
ところが、そんな心配はしなくてもよかった。その二年生は、根っからのお人好しのくせにずいぶんと好戦的で、快く真那の頼みを聞き入れてくれた。それが森本篤志だった。
篤志には思わぬオマケが付いてきた、五十嵐勇人である。
勇人は篤志に負けないくらい有名人だった。それは二つの理由からだ。一つはその容貌、学校中の女子がキャーキャー騒いでいる。彼女がいないのが拍車をかけているようだ。
もう一つは、三年前に起こった陰惨な事件に関わっていたからだ。その事件は、ちょうど野上が自殺する直前に起こった。そのせいか、真那もハッキリ覚えていた。
勇人と篤志は昔からの馴染みのようで、ハッキリとは言わないが、勇人は色々な意味で篤志が心配だったのだろう。誰だって友人に殺人犯は持ちたくない。
真那は勇人の腕が心配だったが、篤志が見かけより頑丈だからと請け合ってくれた。
そして、真那は二人を昴のアパートへ連れて行き、本柳たちを追い払うのを手伝ってもらった。その結果、勇人たちに昴の存在を知られてしまった。
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