第35話 2019年夏

妹がW病院に入院してからも、同じように毎週水曜日に面会に通いました。

母は、思いついた時にはタクシーを使って面会にいきました。

だって、ひとりで可哀そうだもの。

母はよくそう言いました。

妹は腕に点滴をして、尿は管が入っていました。

食事は栄養価の高いゼリーを食べるだけでした。

手足は拘縮していて、いつもぎゅと握った状態でした。

手を握ると、握り返していてくれているようでした。

宙を見ていることが多く、時には目が合うこともありました。

そんな気がしただけなのかもしれませんが。


病室は4人部屋で他の方は高齢者で体の自由がきかない方ばかりでした。

妹はベットに寝たきりです。

声を出すこともありませんでした。

行くと、目から涙が出ていました。

目ヤニも沢山ついていました。

母は、顔を拭いてあげて、スプーンでお茶を飲ませてあげました。

持っていったゼリーを食べさせたりもしましたが、口にするのは2、3口程度でした。

行っても寝ていることが多く、やっと起こしてもすぐに寝てしまうことが多かったです。

母は、まりちゃんが起きてるように、いつもお父さんにお願いしてから来ると言っていました。


その年は蒸し暑い夏でした。


医師から説明があると病院から連絡がありました。

私は母を連れて病院へ行きました。


点滴が出来なくなっています。

もともと血管が細い上にもろくなってきています。

今は水分だけを点滴で入れています。

栄養分を入れると、血管が裂けてしまします。

点滴はあと出来て1回か2回くらいだと思います。

後は延命治療として、鎖骨の下の血管に点滴を入れる方法があります。

これは感染のリスクがあります。

あともう一つは胃ろうです。

自分で食べられなくなれば、そこで寿命というふうに考えるのが自然だとは思います。

今はまだゼリーを食べています。

食べなくなると数日だと思います。

医師の話はだいたいそんな内容でした。


ゼリーを、私が持ってくるゼリーは食べるんですよ。

私の持ってくるゼリーを食べさせてもらえないですか。

母はそういいました。

ええ、お母さん、ゼリーを食べさせるのはかまいません。

それはいいですよ。

ただ、それだけでは栄養が足りないんですよ。

母が的外れのことを言って、医師が困っているのはわかりましたが、

私は口をはさまず、医師の言葉で母が納得するのを待ちました。

母と医師は何度も同じやりとりを繰り返しました。


お母さんのゼリーは食べてもらいましょう。

ただ、延命治療はどうしますか?

延命治療はやらない・・・

母ははっきりそう言いました。

そして、私の方を向いて、いいね。と問いました。

そうだね・・

私はそう答えました。


心臓が止まったときは、蘇生をしなくてもいいですか?


はい。いいです。

母は答えました。


人は最後まで耳は聞こえていると言われています。

きっとお母さんが言ったことは聞こえていると思いますよ。

沢山話しかけてあげてください。


その医師の言葉は、私には紙に書いたものを読んだように聞こえました。


母と医師との面談が終わって、母が妹のところへ戻ってから、再び医師の元へ行きました。

その時はいつ来るのか知りたかったからです。

医師はそれはわからないと言いました。

今日かもしれないし、2週間後かもしれません。

ただ、食べなくなったら数日です。

延命をしないと言ってくれて良かったです。

何もしないほうが、苦しみません。

確実にその方が苦しくないです。

先ほどまで険しい顔をしていた医師は、おだやかな安堵の顔に変わっていました。






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