第203話 変わるもの、変わらないもの

 思い出の場所で、仮とはいえ恋人関係となった春輝と貫奈。


「さて、と」


 母校を出て、春輝に向けられる貫奈の視線はこれまでより少しだけ熱っぽい気がした。


「これから、どうします?」

「それは、短期的な意味で? 長期的な意味で?」

「とりあえずは、今日この後的な意味で」


 とはいえ、交わす会話はある種事務的なもの。

 この辺りは、すぐに変わるものでもないだろう。


「あー、っと」


 春輝はどこか気まずげに視線を逸らして頬を掻く。


「恋人なら……行くんじゃないか? その、デート的なものに?」

「……なるほど。道理、かもしれませんね」


 恋人として交わす会話は、未だぎこちないものだった。


「どっか、行きたいとことかあるか?」

「私は特にですが……先輩も、ノープランですか?」

「そりゃ、ここまで辿り着けるのかも不明だったわけだし」

「十年前から好きでしたって告白してきた女に『恋人になってくれ』って言ってフラれる可能性とか、考慮に値するんです?」

「いやまぁ、でも内容が内容だったし」

「私的には、先輩らしい素敵な『告白』だったと思いますけどね?」

「そう言っていただけますと幸いです……」


 イタズラっぽく微笑む貫奈に、春輝はまた己の頬を掻く。


「ま、とりあえずその辺ブラブラしながら考えるか」

「ですねー。そうやって過ごす恋人との時間も、素敵なものだと思いますよ?」

「なんか、さっきから火力上がってないか……?」

「先程先輩の高火力に恋心を焼かれたもので、お返しにと」

「なら、甘んじて受け入れる他ないな……」

「……それに」


 ふっ、と貫奈はどこか嬉しそうに微笑んだ。


「十年間、言いたかったことが蓄積してますから。今後は遠慮なくガンガン言っていくんで、覚悟しておいてくださいね?」

「……お手柔らかに」


 と、春輝はの方は苦笑を浮かべるのだった。



   ◆   ◆   ◆



 そんな風に、最初はちょっとぎこちない二人だったが。


「あっ、こんなとこにラウワン出来てる。先輩、ちょっと寄っていきませんか? ほら、スポッチャとか」

「いいけど、そんな運動したいタイプだったっけ……?」

「いや、言うてもう意識的に運動しないとヤバい年齢なんで」

「それはまぁ確かにな」

「それに、一緒に楽しく運動出来るなら一石二鳥というかデメリット帳消しじゃないですか」

「……それはまぁ、確かに?」


 なんて言いながら、建物に入っていき。



   ◆   ◆   ◆



「サーッ!」

「うお、えげつないスマッシュ……! なんか様になってるけど、卓球部じゃなかったよな……!?」

「ご存知の通り。ただ、部活とは特に関係なく鍛えていただけです」

「俺が知らないだけで、女子中高生って卓球の腕を磨く習性でもあんの!?」

「まぁ、気軽に始められますし。そんなガチな感じじゃなくても楽しいですしね」

「いや、今のは完全にガチの動きだったけど……」

「楽しくやっていたら、いつしか辿り着いていた境地です」

「達人の台詞じゃん……普通に卓球部にも勝てんじゃないの?」

「いえ、本職でやってる方はこんなもんじゃないんで。ガチ勢をエンジョイ勢と一緒にするのは失礼ですよ」

「謙虚な心も備えている……」


 貫奈の手ほどきを受けながら、全力で卓球に興じ。



   ◆   ◆   ◆



「ウチの名前を言うてみぃ♪」

「シヴァ子! シヴァ子! シヴァ子!」

「右手にロケットランチャー♪ 左手には手榴弾♪」

「福岡名物ー!」

「だけど……ホントはただの、恋する女の子ったい……♪」

「だーけーどー?」

「うちに出来るのは、戦うことだけやけん♪」

「助けて、シヴァ子ー!」

「君のハートにトリシューラぶっ刺しちゃうぞ♪」

「説明しよう。トリシューラとは、ヒンドゥー教の神であるシヴァが片手に持つ先が三つに分かれた槍のことである。ヒンドゥー語で「3」を意味する「tri」と「槍」を意味する「sula」が組み合わさった語であり、3つの先端はそれぞれシヴァのシャクティ(力)である、iccha(欲望、愛、意志)、kriya(行動)、jnana(知恵)をあらわすのだ!」

「ふはっ……先輩、歌詞表示されないとこの解説パートまで完璧じゃないですか……!」

「え? これくらい、誰でも出来るだろう?」

「主人公が無詠唱を披露する時のやつー! まぁ、この歌なら私もいけますけど」


 お互いに合いの手を入れながら、全力で熱唱し。



   ◆   ◆   ◆



「いけるいける! 今度こそいけますよ!」

「オッケー、そのままそのまま……あーっ、また掴めなかったかー!」

「でもちょっとずつぬいぐるみの体勢を崩すことには成功してますね」

「掴みやすい形に持ってくこと、体勢を崩すっていうのか……?」

「次、狙うは腹ですよ!」

「発言だけ聞くと路上ファイトのそれ……」

「先輩、変なこと言ってないで集中してください!」

「まずクレーンゲームって、その熱量で挑むものじゃなくない……?」

「私のレクチャーを受けておいて、一個も取れなかったとか許しませんよ!」

「あっ、師匠としての熱量だったんだ……」

「いけるいける! 後は気合いですよ!」

「クレーンゲームにおいては一番不要なものなんだよなぁ……おっ、でもこれベスポジいけたんじゃないか?」

「まさに! ……よし、掴むとこまではオッケーですね!」

「後はこのまま……おおっ!?」

「一気に勝利を引き寄せましたね!」

『ヘィ!』


 クレーンゲームで、目当てのぬいぐるみを取ってハイタッチを交わし合い。



   ◆   ◆   ◆



「いやぁ、いい汗かきましたねぇ」

「そうだなぁ」


 良い顔で施設を出る頃には、もう日が暮れそうだった。


『はーっ……』


 心地よい疲労感に包まれながら視線を交わすと、不思議と同じことを考えているのだとわかる。


『いや、高校生の放課後の過ごし方!』


 やはりお互い、同じことを考えていたようである。

 デートにしては、いささか健全過ぎたのかもしれない。


「しかも、男子高校生寄りの過ごし方じゃねぇか……悪いな、なんか付き合わせちゃって」

「や、提案したの私ですし。言うて、私の高校時代もこんな感じでしたよ?」

「そんなアクティブな印象ないんだが……」

「みっちゃんがだいぶアクティブなので」

「あー……」


 貫奈の親友、檜山美星。

 いかにも活発そうなの彼女の顔を思い浮かべると、納得しかなかった。


 放課後、貫奈の手を引いてあちこち遊びに行く姿が目に浮かぶようだ。


「めちゃめちゃ楽しかったですし、変に気に病んだりしないでくださいね?」

「……わかったよ」


 本心でもあるのだろうが、微笑む彼女の細やかな気遣いがありがたい。


「それじゃ、ここからは」


 そして、その微笑みがどこか蠱惑的なものに変化して。


「オトナの時間、ですよね?」

「あ、おぅ……」


 引き込まれそうになって、どうにかそれだけ返すのが精一杯な春輝だった。


   ◆   ◆   ◆



 夕食の席として二人が選んだのは、ちょっとお洒落なイタリアン店である。


「次、このチーズを頼もうと思うんですけど」

「ありがとうございます、お客様! そのチーズには、こちらの赤ワインを是非!」

「じゃあワインも一緒に注文……で、いいよな?」

「もちろんです。他に、そのワインに合いそうなオススメとかありますか?」

「それでは、こちらの自家製ジャーキーセットなどいかがでしょうかっ?」

「おー、じゃあそれも是非」

「お腹も熟れてきましたし、そういう意味でもちょうど良いですね」

「ご注文、ありがとうございますー!」

「にしても、さっきの白も美味かったなー」

「魚との相性がバツのグンでしたね。あれはマリアージュさせないわけにはいきませんよ」


 気さくな店員さんのオススメに従い、カパカパとグラスを空けていくこと数時間。


『はーっ……』


 心地よい酩酊感に包まれながら視線を交わすと、不思議と同じことを考えているのだとわかった。


『いや、酒クズの夜の過ごし方!』


 昼間と全く同じ過ちを繰り返している二人である。


「スマン、なんか楽しくて結局いつも通りな感じになってたな……」

「それは私も同じですので」


 でも、と貫奈は続けた。


「せっかく恋人になったんですし……ここらで、キスの一つでもしときます?」


 冗談めかしながら、艶やかに唇を撫でる。


それ・・はロマンチックな場で、だろ?」

「……覚えていて、くださったんですね」

「勿論だ」


 以前に交わした、冗句の内容。

 けれど、関係性が変わった今となってはまた違った意味を帯びてくる。


「まぁ、あの……その件につきましては、検討の上で改めてご連絡させていただけれど」

「ふふっ、期待してますね」


 またもビジネス風になる春輝の口調に、貫奈はクスリと笑った。


「でも、焦ったりする必要はないですよ」


 微笑みを湛えたまま、そう続ける。


「私は、春輝先輩とのこの距離感も凄く好きなので……それが失われるかもしれないっていうのは、リスクっちゃリスクなんですよね」

「それはまぁ確かにな……」


 友人同士が恋人関係となり、破局後に決定的な溝が出来ることなどままある。

 勿論そうならない男女も多くいるのだろうが、自分たちがそうであると判断できるような根拠はない。


「十年かけて築いた関係なんて、そうすぐには変えられないと思いますし」


 十年間。

 最初は同じ空間にいながら会話を交わすことさえなかった二人が、ゆっくりと築き上げてきたこの距離感。


 けれど、すっかり見慣れたはずの彼女の笑顔が。


「ゆっくり……この初恋を、楽しみたいと思ってますので」


 今は、愛おしく思えるのも確かなのだった。

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