第202話 一歩一歩、前に

 ──俺の、恋人になってくれないか?


 貫奈に、ハッキリとそう伝えたところ。


「………………」


 貫奈はまず、三度程ぱちくりと瞬きを繰り返した。


「………………」


 それから眉根を寄せて腕を組み、何かを熟考する表情で下を向き、上を向き、首を右に傾け、左に傾けた後にフラットな位置に戻る。


「………………」


 次いでメガネを外して、眉間を数度揉んだ後に掛け直し。


「すみません、先輩」


 再び、春輝と視線を合わせた。

 その表情は、仕事で深刻な事態に陥っている時の顔だ。


「私の耳、もしくは脳に重大なエラーが生じたようです」


 真面目な顔で、そんなことを言い出した。


「先程の先輩の言葉を今から復唱していくので、事実と異なる箇所を指摘してください」


 それに対して、春輝は黙って頷く。


「俺の」

「俺の」

「こっ……恋人に」

「恋人に」

「なってくれないか?」

「なってくれないか?」


 そして、先程の内容をそのまま復唱した。


「……訂正箇所は?」

「無し」


 ググッと眉間に皺を寄せながらの問いかけに、春輝は短く答える。


「……んあー、アレですか? 中国語でコイビトと読む何かがあるとかそういう的な」

「ではない」

「あっ、完全に理解しました! アレですね! 恋人のフリってことですねっ?」

「……まぁ、それに関しては当たらずとも遠からずとは言えるのかなぁ」


 そう返すと、貫奈はようやく納得の表情となった。


「そうですよね、先輩が私に……」

「これは」


 どこかホッとしつつもちょっとシュンとした様子を見せる貫奈の言葉を遮る。


「実に自分本位で、身勝手で、お前にメリットがあるのかもわからん話となってしまうが」


 そう前置いて。


「お前相手に今更取り繕っても仕方ないから、俺の今の気持ちを正直に言うよ」


 春輝は、ふっと小さく笑った。


「俺は、貫奈のことが好きだよ」


 先に言った通り、正直な気持ちを伝えると。


「ぱぇ?」


 貫奈が、バグった。


「それは他の女友達に向けるものとも違うし、伊織ちゃんたちに向けるものとも違う。貫奈にだけ抱いてる、特別な感情だ」

「ぱぴぴ?」

「俺はずっと、意識的にお前のことを『そういう対象』として見ないようにしていた。そうしないと、すぐに『そうなって』しまうだろうから。それほどに、桃井貫奈という女性は魅力的だ。出会った時から今に至るまで、ずっと」

「ぴ」

「でも、だから」

「ちょっと、もうとっくにオーバーキルなんで一旦やめてもらえます!?」


 貫奈は春輝に向けて手の平を突き出しながら叫んだ後、胸に手を当てぜぇぜぇと息を整える。


「安心してくれ、ここからは幻滅のターンだ」


 それに対して、今度は自嘲の笑みを浮かべる春輝。


「俺は貫奈のことが確かに好きで、唯一無二の特別な感情を抱いているけれど」


 本当に、格好悪いことを口にするから。


「それが、恋愛感情なのか……あるいは、例えば『親友』に対する親愛なのかがわからない。俺にとって最も多くの時間を過ごした女性は桃井貫奈で、最も多くの時間を過ごしてきた友人もまた桃井貫奈だから。もちろん一緒にいてドキドキする瞬間もあるけど、一緒にいると落ち着くって感じることの方が圧倒的に多い。この感情に、今になって急に『恋愛』ってラベリングするのも何か違う気がして……逆に、不誠実に思えてしまう」


 自嘲の笑がが深まった。


「だけど、俺は桃井貫奈を……仮に今は違うとしても、恋愛的な意味で」


 次の言葉を口にするのはちょっと躊躇して、一度口を閉ざす。


 小桜家の問題が解決して、貫奈のことを考えるべき時が来て。

 今日まで、春輝なりに沢山考えてきたと思う。


 その結果が『わからない』なのだから、我ながら呆れたものだと春輝も思っている。

 だけど考えた末に、わからないなりに春輝が出した結論は。


「好きになりたいと、思ってる」


 だった。


「だから、とりあえずのお試しで、みたいな感じで申し訳ないんだけど……付き合って、恋人っぽいことをしてみて、なんというかこう……」


 今度は、流石に口にするのが恥ずかしくて一瞬躊躇して。


「愛を育んでいければ、的な……」


 言ってから、頬が熱を持ったのを自覚して春輝は貫奈から目を逸らした。


「ふふっ」


 果たして、貫奈は笑うが……そっと視線を戻すと、それは馬鹿にする類のものでは決してなくて。


「色々前置きがあったから、何を言い出すのかと思えば」


 貫奈の顔に浮かぶのは愛しげな笑みで、ドキリとしてしまう。


「幻滅のターンとか言ってましたけど、どこに幻滅ポイントあったんです?」

「いや、割と一から十までレベルだろ……」

「はんっ」


 今度こそ、貫奈は鼻で笑った。


「十年モノの重い女を舐めないでください? この程度で幻滅するくらいなら、もうとっくの昔に幻滅してますよ」

「あ、おぅ……」


 頷いて良いものやらわからず、春輝は曖昧に濁す。


「それに、先輩なりに誠実に考えてくれた結果だってわかりますから。安易に、実は前から恋愛的な意味で好きだったことに気付いたんだー! とか言われるより全然信頼出来ますよ」

「あ、おぅ……」


 今度は何と言って良いものやらわからず、先程と同じリアクションになった。 


「大体、私にメリットがあるかわかんないとかどうとか言ってましたけど。こんなの、私にはメリットしかない話じゃないですか」

「そう……か?」


 むしろ、ここまで来てまだ待たせてしまうことに春輝はかなりの罪悪感を描いているのだが。


「一歩進んでは一歩戻って、ってなことを、結局十年も繰り返しちゃった私たちですけれど」

「まぁ……な」


 何しろ、十年である。

 語り尽くせぬ程に、沢山のことがあった。


 もしかして貫奈は自分のことを好きなんじゃないか? と思ったことも、一度や二度のことではない。

 彼女と接する度にドギマギしていた時期も確かにあった。


 それを十年も繰り返えすうちに構築された『そんなことはありえない』という春輝システムは、ある種の自己防衛であり貫奈との友情を守るためのものでもあった。


「これからは」


 だけど、それはもう必要なくなって。


「一歩一歩、前に進んでいけるってことでしょう?」

「……あぁ、そうだな」


 二人で歩んでいきたいという気持ちに、置き換わっていた。


「ま、そんなわけで」


 貫奈は、春輝に向けて手を差し出してくる。


「よろしくお願いしますね。これからは、その……こっ」


 途中からは余裕を取り戻してきていた貫奈の表情が、再び崩れた。


「恋人と、してっ」


 声がちょっと裏返って、頬を染めている様が可愛いらしい。


「ありがとな、こんな話を受け入れてくれて」


 そんな、『恋人』の手を取って。


「その……何卒、よろしくお願い致します」


 最後がなんだかビジネスシーンみたいになってしまって締まらないのが、実に春輝らしいと言えよう。



   ◆   ◆   ◆



 そして、図書室の懐かしい一角を二人一緒に後にする。


「すみません、うるさくしてしまいまして」

「あらあらー、生徒もいないし良いわよそんなのー」


 さっき叫んでしまった貫奈が頭を下げると、司書さんは軽い調子で手をパタパタさせた。


「それじゃ、失礼します」

「はいはーい」


 春輝が言うのに合わせて二人同時に会釈すると、ここでも司書さんは軽い調子で。


「じゃあね、付き合ってなかったし付き合ってないお二人さん」


 さっき、貫奈が言った冗句を口にする。


「あー、っと」


 それに対して、春輝は貫奈と若干気まずげに目を合わせ。


『今は……付き合ってますっ』


 そう言ってから、何を宣言してんだと猛烈に恥ずかしくなってきて二人してそそくさと図書室を後にする。


「……あらあらー」


 後に残されたのは、司書さんの楽しげな呟きだけだった。

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