SS107 さよならじゃなくて
「いやぁ、ピーッの人事件の時は笑ったよねー」
「事件って言わないで!? あと、ピーッの人ってもう言わない約束したでしょ……!」
「あの時、『お』を付けてしまったイオ姉は間違いなく罪人」
「ははっ……」
涼しい風が吹く、秋の香りの中をゆったりと歩く。
「大体、お姉はやらかしすぎなんだよねー。最初の日も、半裸で春輝クンに迫ったりさー」
「それ先にやったの露華でしょ……!」
「おぉん? わたし、初耳なのだが?」
「まぁまぁ白亜ちゃん、もう時効ってことで……」
彼女たちが来たのは、春頃だった。
「にしても、あの頃に比べたら春輝クンもオンナノコ耐性付いたよねーっ。ほら、こんな風にしても?」
「確かに……ハル兄、ギューッ」
「こら二人共、両方から腕に抱きついたら春輝さんが歩きにくいでしょ……!」
「ふふっ、いいよいいよ」
およそ半年。
「もう……でも春輝さん、女の子慣れという意味では……最初の頃から、私とハグとかしても平気そうでしたよね?」
「いや、今だから言うけどあれは動揺を必死に押し隠してただけだから……」
「というかイオ姉、まだ余罪が……?」
「ほ、ホントにお世話になり始めたばっかりの頃だし、もう時効だと思います……!」
「お姉にも、一応罪の意識はあるんだね……」
決して、長い期間ではない。
「あの頃は、春輝さんとの距離の取り方もまだあんまりわかんなかったし……」
「まるで今ならわかってるような物言いだねー?」
「距離感破壊バグが確率発動する女の発言とは思えない」
「そ、そんなことは……あるかも、だけど……」
「ははっ……まぁ、でもさ」
けれど、濃密な日々で。
「最初の頃を思い出すと俺たちめちゃめちゃ探り探りな感じで、ちょっと笑えるよな」
「にひっ、確かにねー」
「なんだか懐かしいですね」
「ずっと昔のことみたいに思える」
語ることは、いくらでもあるけれど。
全てを語るには、この行路は短すぎた。
「あっ、春輝さん。この先の角を……」
伊織は、前方を指差し左の方に動かしかけて……その動きを、止める。
一瞬表情に浮かんだのは、葛藤。
それはたぶん先日のように、『ワガママ』を……少し遠回りすることを、提案しようか迷ったのだろう。
けれど。
「左に曲がると、もうすぐウチに着きます」
今日の伊織は、『お姉ちゃん』だ。
「案内、ありがとうね」
そんな彼女を労うつもりで頭をポンポンと撫でると、伊織は少しだけくすぐったそうに笑う。
『お兄ちゃん』にだけそっと見せてくれたその笑顔は、普段のものよりちょっと幼い印象だった。
「ハル、向こうのお宅でもちゃんとお利口さんにしてるんだぞー?」
「キャンキャンッ!」
春輝の足にじゃれつきながら、元気良く返事するハル。
彼も、彼女たちと共に行く。
春輝がこうしてリードを持つ機会も、これからは大きく減るだろう。
「わたしが見つけてきた子だから……ちゃんと責任を持って、お世話するよ」
ムンッ、と白亜は改めて気合いを入れた様子を見せていた。
「安心してよ、春輝クン。お姉がハルに卑猥な言葉聞かせないよう、ちゃーんと見張っとくからさっ」
「私だって、あの時一回だけでしょ……!?」
「一回だけでも前科のある者は疑われる。悲しいけれど、それが世の中」
「ははっ……そんなところの心配はしてないけどね」
春輝は、ちょっと苦笑して。
「君たちが来て……ハルも来て、母さんも戻ってきて」
「キャンッ!」
懐かしさに目を細めた春輝を見上げるハルが、名前に反応して声を上げる。
「賑やかな、日々だったなぁ」
これまでに過ごした時間が、頭の中を駆け巡っていく。
「はい……賑やかで、とても楽しい毎日でした」
「まー、ぶっちゃけ完全に予想外ってレベルだったよねー」
「ピカピカした思い出に、なってる」
きっと、彼女たちも同じなのだろう。
一同の足は、既に止まっていた。
目的地には、もう着いていたから。
けれど、何かを惜しむかのように。
あるいは迷うかのように、生家を前にして三姉妹は立ち止まったままだ。
きっかけが、必要だった。
最後に、踏み出すための。
「それじゃ……伊織ちゃん、露華ちゃん、白亜ちゃん」
ピクッと、三人は少しだけ肩を震わせる。
彼女たちも、わかっているのだ。
前に進むべき時が、来ているのだと。
(さよなら? またね? 今までありがとう?)
言葉選びには、少し迷った。
パッと浮かんだのは、どれもしっくり来ない気がして。
(……あぁ、そうだな)
しかし、ふいに思いつく。
きっと、彼女たちの新たな門出に贈るのに相応しいのは。
「いってらっしゃい」
春輝からの、最後の『いってらっしゃい』。
『っ……』
三人は、一瞬グッと唇を噛む。
けれど。
『いってきますっ!』
笑顔で、そう返してくれた。
それで良い。
それが良い。
『いってきます』には、明るい顔の方が似合うのだから。
そして三人は同時に春輝に背を向け、踏み出した。
半年離れていた、彼女たちの本来の居場所。
『ただいまっ』
そこに、無事帰り着いたところを。
春輝は、最後までしっかりと見届けた。
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