SS106 伊織との関係
結局、露華とたっぷり……別れを引き伸ばすかのように、何枚も写真を撮って。
「伊織ちゃん、ちょっといいかな?」
露華の部屋を退出した春輝は、続いて伊織の部屋のドアをノックする。
「あっ、はーい」
声はすぐに返ってきて、中からドアが開いて伊織が顔を覗かせた。
「何かありましたか?」
「や、何か手伝えることはないかなって。露華ちゃんと白亜ちゃんにはフラれちゃってさ」
「ふふっ、そうなんですね」
おどけて肩をすくめると、伊織はクスリと笑ってくれる。
「じゃあ、荷造りを少し手伝っていただいても良いですか?」
「もちろん」
伊織に招かれ、部屋の中へ。
手持ち無沙汰なのを察して気遣ってくれたのだろう……と、思った春輝だったが。
「この通り、あんまり進んでなくて……」
「ははっ……まぁ、ゆっくり進めれば良いさ」
部屋の中は物が散乱した状態で、手伝いが必要というのも全くの嘘ではないのかもしれない。
既に荷造りを終えた露華は言うに及ばず、進捗度は白亜にもだいぶ遅れを取っていると言えよう。
「いざ始めると……色々思い出して、つい手が止まっちゃうんです」
伊織は、普段着としてよく着ているブラウスを手に取って懐かしげに目を細める。
「伊織ちゃんたちが来たばかりの頃に買ったやつだね」
「……覚えていて、くださったんですね」
「そりゃ覚えてるさ」
微笑んで返すと、伊織も嬉しそうに微笑んだ。
「初めて、春輝さんに選んでいただいた服です」
それから、伊織は部屋の中を順に見回していく。
「ここにあるものは、ほとんどが春輝さんにいただいたものなんですよね」
ここに来た当初、彼女たちは鞄一つ分の荷物しか持っていなかった。
必然、それ以外のものはほとんど春輝が購入したものか、春輝のお下がりということになる。
「本当に……沢山のものを、いただきました」
最後に、伊織は愛おしげな目を春輝へと向けた。
「春輝さん」
それから、表情を引き締める。
「長らく……誠に、お世話になりました」
そして、深々と頭を下げた。
白亜は、素直に悲しみを表に出して。
露華は、あくまで自然体に振る舞い。
伊織は、別れを真正面から受け止めていた。
◆ ◆ ◆
「このご恩は、いつかお返しします……とは、到底言えないくらいの恩をいただきました」
言いながら、伊織の脳裏にはこれまでのことが蘇ってきていた。
家を放り出された時は、絶望的な状況だった。
妹たちの前では気丈に振る舞っていたが、正直途方に暮れていた。
それでも妹たちだけは守らなければと……『覚悟』だって決めていた。
なのに、そんな覚悟が必要なことは何も起こらなくて。
訪れたのは、それまでとほとんど変わらない生活で。
騒がしくも、とてもとても楽しかった日々に。
涙が、溢れそうになった。
「なので!」
グッと堪えて、上げた顔には笑みを形作る。
「合戦の際には、一番槍を務めさせていただきますので!」
「ははっ、戦国武将の恩義の返し方だ」
慣れない冗談で誤魔化すと、春輝もクスリと笑ってくれた。
「でも、俺の方こそ……いや」
何か言いかけて、春輝は首を横に振った。
「それより、荷造りを進めちゃおう」
そう言いながら、腕まくりする春輝。
きっと、自分の方こそお世話になったとかそういったことを言おうとしてやめたのだろう。
その気持ちは、もう十分伊織にも伝わっているのだから。
「それでは、春輝さんは小物をそこのダンボールに詰めていただけますか?」
だから、伊織もそれ以上は触れない。
後は、雑談でもしながら最後の時を静かに過ごすだけ……と、切なくも穏やかな心持ちの伊織だったが。
「よしき……たぁ!?」
「?」
春輝の素っ頓狂な声に、疑問符を浮かべることとなった。
どうやら、ダンボールの中を見て動揺しているようだが……と、伊織も目を向ける。
すると、てっきり空箱だと思って指差したそのダンボール箱は。
「ふぁっ!?」
さっき、伊織自身が下着を詰め込んだものだった。
「間違えました!!」
伊織は、慌ててダンボールを再び閉じる。
「すすすす、すみません! 粗末なものをお見せしてしまいましてっ!」
「い、いや、ご立派な……じゃなくて! えっと、一瞬しか見てないから!」
最後の時が迫っていても、締まらない二人であった。
◆ ◆ ◆
ともあれ、そこからは雑談しながら粛々と荷造りを進めていって。
「冷蔵庫に、おかずをパックしてありますので。上から足の早い順に並べているので、順番に食べていってくださいね」
「ありがとう、助かるよ」
「それとそろそろローテなので、晴れたら早めにお布団干ちゃっして下さい」
「うん、わかった」
「水回りは、出来るだけこまめにお掃除してくださいね」
「そうだね、そうするよ」
「それから……」
「伊織ちゃん」
次々浮かんでくる心配事を並べ立てていると、春輝がちょっと苦笑気味に遮った。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ。俺だって、皆が来る前は一人で暮らしてたんだから」
「あっ、そ、そうですよね……! 失礼しました……!」
「まぁ、その頃があんまり大丈夫じゃなかったから心配してくれてるのもわかってるけどね」
「あ、はは……」
事実ではあったので、今度は伊織が苦笑する番だった。
「とはいえ、おかげさまでそこまで遅くなることも少なくなったし。まぁ適当になんとかするから、心配しないで」
「……はい」
頷きながら、伊織はキュッと唇を噛んだ。
(これからは、近くで心配することも出来なくなるんだよね……ただの、同僚に戻るんだから)
それが、たまらなく寂しかった。
けれど、言ったところで春輝を困らせるだけである。
だから、何も言わない……それは、長女として幼い頃から色々と飲み込んできた伊織の思考の癖でもあった。
「伊織ちゃん、忘れないでね?」
そんな伊織の頭を、春輝がポンポンと撫でた。
「……はい?」
何のことかわからず、伊織は小さく首を傾ける。
「君は、いつだって『お姉ちゃん』だ。妹たちのことを考えて、妹のためなら自分を犠牲にすることも厭わない。俺は、そんな君に敬意を抱いているけどね」
春輝は、どこか恥ずかしそうに自らの頬を掻いた。
「ここに……ちょっと頼りなくて、心配もかけちゃって、むしろお世話になりっぱなしだけど」
それを塗りつぶすかのように、ニッとイタズラっぽく笑う。
「君の、『お兄ちゃん』がいるんだって。それは、これから先もずっと変わらないから」
「っ……!」
伊織の胸に、愛おしさが満ちていく。
伊織から昔から、『よく出来たお姉ちゃん』だった。
母が亡くなってからは尚更、自らそうあろうと努めてきた。
そのことに後悔はないし、むしろ誇らしく思っているけれど。
父も忙しくてなかなか顔を合わせられない日々で、ふと。
誰かに甘えたくなる瞬間は、確かにあって。
「甘えたくなったら、俺を頼ってほしい」
春輝は、その穴を埋めてくれる。
「尤も、そんな時だけじゃなくて。いつだって、頼りにしてくれていいけどね?」
冗談めかす春輝に、先程とは別の意味で涙が溢れそうになった。
それを、グッと堪え……ようとして。
春輝の笑みに、気付く。
いいんだよ、と。
言葉にせずとも伝わってきて。
つぅと、頬に温かい雫が伝っていく感触。
けれど、それは決して悲しみから溢れたものではないのだから。
「はいっ……! ありがとうございます! これからも……よろしく、お願い致しますっ!」
伊織は、満面の笑みで返すのだった。
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先週は更新出来ず、申し訳ございませんでした。
重ねて申し訳ございませんが、次回更新は1回スキップして9/4(日)目処とさせてください。
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