SS105 露華との距離

 白亜が泣き止むまで、しばしの間抱き締めた後。


「あれ? 春輝クン、白亜んとこにいたの?」


 春輝が白亜の部屋を出たところで、ちょうど自室を出てきたらしい露華に声を掛けられた。


「白亜ちゃんの荷造りを手伝おうと思ったんだけど、特にやることないって追い出されちゃって」

「ははっ、ウケる」


 無論。

 本当のところは、白亜も泣いた後の顔は晒したくないだろうと思い一言だけ断って出てきた形である。


「露華ちゃんの方は、何か手伝えそうなことあるかな?」

「やー、ウチも特にはないかなー」

「おっ、流石だね」


 適当なように見えて、一番如才なく立ち回るのがこの次女だと春輝はもうよく知っている。


「てか、もう全部終わってるし」

「え……?」


 けれど流石にそこまでとは思っておらず、春輝は思わず目を瞬かせた。


「そ、そうなんだ……露華ちゃんの荷物が一番多いと思うんだけど、凄い手際だね……」


 荷造りを始めてからさほどの時間は経っておらず、実際白亜はまだ全体の半分にも到底到達していないくらいの進捗度だったと思う。


「手際、ってかね」


 当の露華は、何でもない表情で肩をすくめた。


「すぐに片付けられるようにしてたかんねー、ずっとさ」


 軽い口調では、あったけれど。


「いつかこの日・・・が来るのは、わかってたから」


 露華は姉妹の中で一番、如才なく立ち回り。

 露華は姉妹の中で一番、回りをよく見ていて。


 露華は姉妹の中で一番……現実を、直視している。


 春輝も、わかっていた……つもりで、いたけれど。


「にひっ」


 未だ彼女を図りきれていなかったことを知った思いの春輝を見て、露華はニマッと笑う。


 春輝をからかう時の、いつも通りの表情。


「ウチも白亜みたいに、寂しいよーって泣いちゃうとか思ってたかにゃー? 期待に添えなくてゴメンねーっ?」

「や、露華ちゃんが泣くとかそんなことは思ってないけど……」

「……ふーん?」


 本心からの言葉を返すと、露華は笑顔を消した。


「えっ、と……?」


 探るような目で見つめられ、春輝は妙にドギマギしてしまう。

 かと思えば、露華はすぐにまた笑みを顔に戻して。


「まだまだ春輝クンには、露華ちゃん検定一級はあげられないなーっ」


 それは……ここまでの流れを、額面通りに受け取るならば。


「露華ちゃん、君も……」

「ストップ」


 そう言いながら、露華は春輝の唇に人差し指を押し当てる。


「君も、我慢する必要ないんだよ……とか? そういう台詞は、禁止だからねーっ?」


 今まさに言おうとしたことを言い当てられて、春輝の顔は少しだけ強張った。


「……そうだね、ごめん」


 そして、素直に謝罪する。


 露華も、本心では寂しいと思っているのなら……否。

 露華も、本心では寂しいと思ってくれているに決まっている。


 彼女と過ごしてきた日々は、結んだ絆は、間違いなく本物だと春輝だって断言出来るのだから。


 にも拘わらず、今も平気そうな顔を貼り付けている。


 それは、誰のためなのか?

 答えは、既に白亜の口から語られている。


 ならば、他ならない春輝がそれを台無しにすることなど……出来よう、はずもない。


「ウチは春輝クン検定、そろそろ初段くらいはいけるかなっ?」


 イタズラっぽく微笑む露華は、春輝がその考えに到達したことまでお見通しなのだろう。


「敵わないな……ホント」


 ここは、素直に彼女の察しの良さを賞賛する。


「あっ、そうだっ!」


 と、露華は不意に何かを思いついたような表情となった。



   ◆   ◆   ◆



「春輝クンさ、写真一緒に撮ろうよ」

「えっ……?」


 いきなりの提案だったからか、春輝は一瞬戸惑うような表情を見せたものの。


「あぁうん、もちろん構わないよ」


 すぐに、そう言って頷いてくれた。


「最……さ、最近、そういえば撮ってなかったしね」


 何かを言いかけて、咄嗟に誤魔化した気配。


 きっと、『最後に』などと言いかけて自らそれを口にしないようにしたのだろう。


「そーそーっ、だよねーっ」


 露華もそこには触れず、ポケットからスマホを取り出す。


「んじゃ、寄って寄ってっ」

「はいよ」


 露華がスマホの外カメを自分に向けると、春輝は迷う様子もなく顔を寄せてきた。

 触れそうなくらいの距離に……躊躇なく。


「んじゃ……はい、チーズっ」


 鼓動の高鳴りを悟られないうちに、露華はシャッター音を鳴らした。


「じゃーんっ!」


 スマホの画面を、春輝と共に覗き込む。


「……なんか俺、表情微妙じゃない?」

「春輝クンなんて、いっつもこんなもんじゃなーい?」

「ははっ、それは確かにそうかもね」


 画面いっぱいに写っている、二人の笑顔。

 その距離は、限りなくゼロに近い。


「最初はさー」


 露華は、懐かしさに細めた目を窓の外へと向ける。

 見上げる夜空は、出会ったあの頃と変わらない。


「こんなに、近づくつもりはなかったんだけどねー」


 視線は、春輝に向いていないけれど。


「お姉の知り合いらしいオニーサンを、せいぜい利用してやろってくらいの気持ちでさー」


 誰のことを言っているのかは、春輝にも勿論伝わっているだろう。


「なのにさー」


 ふっ、と笑みを深める露華。


 春輝が、少しだけ動揺する気配が伝わってきた。

 それは、その笑みが愛しい人を想うものであると気付いたから……。


(だと、いいんだけどねっ?)


 たぶん、そこまでは伝わっていない。


 せいぜい、いつもはあまり見せない類の表情だから動揺したという程度だろう。

 そんなことくらい……そんなことまで、わかってしまう。


「春輝クンの、せいだゾッ?」


 視線を戻し、春輝の胸にツンと指を当てる。


「えーと……ごめん?」


 謝る春輝だけれど、何のことかはよくわかっていなそうだ。


(我ながら……なんでこんな鈍感のこと、好きになっちゃったんだかっ)


 明確に意識したのは、借金問題解決のために尽力してくれた時のこと。

 けれど、たぶんその前から惹かれ始めてはいた。


 自分たちのために、いつも一生懸命になってくれるこの人に。


 自覚してからは、早かった。

 想いは、日に日に強くなっていった。


 露華は、自分がここまで乙女だと思っていなかった……という程に。


 尤も、それを真っ直ぐ表現出来る程に素直ではなかったけれど。


(もっと素直に接してたら……何か、違う結果に辿り着けてたのかな?)


 ふと、そんな風に思うけれど。


(や、そういう問題じゃねーな)


 心の中で、即座に首を横に振る。


 何しろそのサンプルは、一番身近に二人いるのだから。

 結局伝わらないなら同じである。


(私は私のやり方で、間違ってなかった)


 露華は、今しがた撮った写真を見て微笑みを深める。


(ここまで、近づけたんだもんねーっ?)


 間近にまで、躊躇なく顔を近づけてくれた春輝。


 最初の頃ならば、とてもじゃないが出来なかったことのはず。

 これまでの積み重ねがあってこその、この距離感。


 伊織相手でも貫奈相手でも、春輝は同じことは出来ないだろう。

 物理的には白亜も可能だろうが、それは露華とは違う理由。


 露華だけが、辿り着けた距離感……だからこそ。


「……せっかく、ここまで縮められたのにな」


 思わず、ポツリと漏らしてしまった。


(まっ、仮に春輝クンに聞こえちゃったところでどうせ……)


 と、考えていたところに。


「暮らす場所が、離れても」


 春輝は、露華を真っ直ぐ見つめて。


「今まで積み重ねたものが、なかったことにはならないよ。少なくとも俺は……君と、これからもこんな風な時間を過ごせればと願ってる」

「っ……!」


 正確に、内心を言い当てられて。


(まったく、こんな時ばっかり鋭くてさ……)


 ふいに、泣きそうになってしまった。


 けれど思えば、彼はこれまでもずっとそうだった。

 普段は鈍感なのに……露華たちが辛い時は、絶対に見逃さない。


 あの、初めて海に連れ出してくれた時のように。


 白亜なら、素直に涙を見せるのだろう。

 伊織なら、不器用に誤魔化そうとするのだろう。


 だけど。


「やるじゃん、春輝クンっ! オッケー、露華ちゃん検定一級あげちゃいましょーっ! 合格ライン、ギリギリだけどねっ?」

「ははっ、そりゃ光栄だ」


 露華は、『露華』を貫き通す。


 それしか出来ないから……否。


(これが、ウチだもんねっ!)


 こんな自分が、好きだから。


「春輝クン、もいっこ写真撮ろーっ? 次は、変顔のやつっ」

「おぉっ、任せろ」

「どっちがより変な顔できるかなーっ?」

「守りに入るのは無しだぜ?」

「もっちろん! 望むところよーっ!」


 別れがすぐそこまで迫ってたって、いつも通り。


『せーのっ。はい、チーズっ』


 それが、小桜露華だから。

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