SS104 白亜との記憶

「進さん、家はもう住める状態なんですか?」

「はい、今日からでも。ハウスクリーニングも済ませてありますので」


 三姉妹の父に確認した後、一つ頷いて返し。


「伊織ちゃん、露華ちゃん、白亜ちゃん」


 春輝は、三人に再び向き直る。


「だ、そうだよ」


 そして、あくまでも表面上は笑顔で水を向けた。


「そう……ですよね」

「まっ、そうなるよね」

「当然のこと」


 伊織がぎこちなく笑い、露華が少し震える肩をすくめ、白亜がグッと目に力を入れた。


「さてっ、そうと決まったら荷物をまとめちゃわないとですねっ」

「とはいえ、出れるのは明日くらいかなー」

「確かに、この家にあるわたしたちのモノ……」


 伊織と露華が殊更明るい声で話す中、白亜は。


「いつの間にか、随分増えた」


 ポツリとそう漏らすと、場にしんみりとした空気が満ちる。


 来た時には、三人それぞれ鞄一つ分の荷物しかなかったけれど。

 今じゃ家の中、彼女たちの持ち物が見当たらないところを探す方が難しいくらいだ。


「あっ、っと……! れ、冷蔵庫の中も、今夜のうちにある程度片しちゃわないとですねっ!」

「おっと、今日は豪華晩ご飯の予感かにゃー?」


 それを、伊織と露華が吹き飛ばそうとするも……無理をしているのは、明らかだった。


「伊織、露華」


 そんな二人の名を、父が優しく呼ぶ。


「別に、すぐに帰ってくる必要もないんだよ? 心の整理が付くまで……」

「それは……」

「でも……」


 伊織と露華が、一瞬逡巡した様子を見せる中。


「んーん」


 迷わず首を横に振ったのは、白亜。


「今、決めないと……きっと、いつまで経っても決められないから」


 その表情は三姉妹の中で唯一寂しさを隠していなかったが、目にはしっかりとした強い意思が宿っていた。


「白亜……」


 そんな娘の顔を、父は少し見開いた目で見る。


「大きく、なったんだね」

「ん……女子も、三日会わざれば刮目して見よ」

「ははっ、本当にそうだね」


 コクンと頷いた白亜の頭を、父が優しく撫でる。

 久々に父に撫でられて、白亜も嬉しそうだった。


「それでは私は、今日はこれでお暇致しますので」


 白亜の頭から手を離すと、父は春輝の方に向き直る。


「人見さん。申し訳ありませんが、もう少しだけ……娘たちを、よろしくお願い致します」

「……はい。責任を持って、送り届けます。最後まで、必ず」


 また大きく頭を下げる父に対して、春輝は心からの誓いを返した。



   ◆   ◆   ◆



 コンコンコン、と扉がノックされる。


「はーい、開いてまーす」


 白亜は、自室で荷物を纏める手を止めずにそう返した。


 すると、扉の向こうから現れたのは。


「白亜ちゃん、何か手伝えることとかあるかな?」


 微苦笑を浮かべる、春輝だった。


「皆が準備してるのに俺だけ何もしてないってのも、なんか落ち着かなくてさ」


 ということらしい。


「それなら……」


 と、白亜は少し考えて。


「そこにある、CDとDVD」


 ラックを、指差す。


「あぁ、これをダンボール詰めすれば良いのかな? 任せて……」


 春輝は、張り切った様子で腕まくりしてくれるけれど……頼みたいことは、少しだけ違った。


「ハル兄の部屋に、持って行って?」

「えっ……?」


 続いた白亜の言葉に、春輝は目をパチクリと瞬かせた。


「えっ、と……しばらく預かっとけばいい、ってことかな?」


 ちょっと困ったようなその顔は、きっと白亜の意図をちゃんとわかっていながら惚けている。


 それがわかる程度には……お互いの時間を、重ねてきた。


「全部ハル兄に貰ったものだから、ハル兄に返すのが道理。女物の服とかはあっても困るだけだろうから、流石にその辺は全部持ってくけど……それ以外は、置いてこうと思ってる」

「あー、っと」


 春輝は、やっぱり困ったような表情で頬を掻いた。


「それは、白亜ちゃんにあげたものなんだから。全部持っ行ってもらって、大丈夫だよ」

「でもCDもDVDも、ハル兄だって好きなやつでしょ……?」

「そうだけど、白亜ちゃんのと一緒に俺も自分用の買ってたから。ダブって持ってても仕方ないし」

「そういうことなら……でも、配信セットとかは高価なものだし……ハル兄は持ってないし……」

「それも、どうせ俺が持ってても使わないし。引き続き、白亜ちゃんが使ってくれると嬉しいな」

「でも……」


 それ以上は理由も思いつかなかったけど、『でも』を重ねて。


 それ以上の理由もないのに、『でも』を重ねた自分に。


「っ……!」


 白亜は、自分自身にも言い訳していたことに気付いた。


「……ごめんなさい」


 浅ましい自分がいることに、気付いた。


「ホントは……わたしのものを置いてって……ハル兄が、それを見る度にわたしを思い出してくれて……わたしのこと……ずっとずっと、忘れないでくれるといいなって……思っちゃって、た……」


 そんな罪を自白する。


 恥ずかしくて春輝の顔が見られず、顔を俯けた。


「大丈夫だよ」


 けれど春輝のそんな言葉に、そっと視線を上げる。


 春輝の顔に浮かぶのは、いつもの……いつだって白亜を安心させてくれる、優しい笑み。


「全部、ここに残ってるから」


 と、春輝は自身の胸を拳で叩いた。


「忘れることなんてないって、約束するよ。ずっとずっと、いつまでも」

「っ……!」

「大体、忘れるはずもないだろ? 社会人になってからというもの、仕事以外の思い出なんてほとんど君たち関連しかないんだぜ?」


 ちょっとおどけた調子なのは、勿論白亜への気遣いだろう。

 その優しさに、我慢していたものがついに溢れそうになる。


 ……否。


「……ねぇ、ハル兄」


 出会った頃とは違って、もう春輝のことは姉たちと同じくらい大切な存在になっていて。


「きっと、イオ姉もロカ姉も涙なんて少しも見せない。笑顔でバイバイすると思う。そうでないと、ハル兄を困らせるってわかってるから」


 あの頃とは違って、対等なライバル関係となった姉たちへのコンプレックスも薄れて。


「でも、私はまだ子供だから」


 あの頃とは違って、もう背伸びはやめたから。


ちゃんと・・・・悲しむね・・・・


 溢れさせる・・・・・


「ねぇハル兄」


 つぅ、と頬を熱いものが流れていく感覚。


「離れるの、寂しいよ」

「うん……俺も、凄く寂しい」


 そんな白亜をそっと抱きしめ、春輝が泣き顔を隠してくれる。

 きっと伊織にも露華にもしないだろう、白亜へだけの特別な接し方。


 こんな時なのに、それがとてもとても嬉しい。


「ねぇハル兄。また……今度は。遊びに来ても、良い?」

「勿論、いつだって歓迎するよ」


 春輝の胸に胸を埋めたまま、少しくぐもった声で話す。


「ねぇハル兄。言質……取った、から」

「あぁ、いくらでも取ってくれ」


 会話している間も止めどなく涙が溢れ出す白亜の背中を、春輝は優しくさすってくれていた。


 嗚呼、そんなところが。


「ねぇ、ハル兄」


 春輝に抱きしめられたまま、白亜はそっと顔を上げる。


 涙は、未だ止まる気配もないけれど。


「大好き、だよ」


 それでも、笑顔だった。

 この言葉だけは、笑顔で言いたかったから。


「俺も白亜ちゃんのこと、大好きだよ」


 白亜の好きと、春輝の好きは種類が違う。


 当然、知っている。


 それでも。


 今は……その言葉だけで、満足だった。

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