SS98 長女じゃなくて
「俺の前では、お姉ちゃんの顔をしなくてもいいんだよ」
そんな春輝の言葉に対して。
「おっ、女の顔で良いということですか!?」
そう返した瞬間、やらかしたことを悟った伊織。
「間違えました!」
即座にそう続ける。
「今のは言い間違いで! 『妹の顔』って言おうとしたんです! 春輝さんのことをお兄さんだと思って良い的なそういうアレですもんね!?」
「う、うん、ちゃんと伝わってくれてて良かったよ……」
そう言いつつも、「そんな言い間違えある……?」といった顔の春輝である。
「もちろんです妹ですよねはい妹として甘えちゃいます甘えまくりです!」
カーッと顔が赤くなっていくのを自覚しながら、伊織は捲し立てた。
「甘えます……けど」
それから、徐々に頭を冷やして……心を、凍らせていく。
もう一度。
「やっぱり、大学には進学しないと思います」
今度は、上手く微笑めたと思う。
「私が、決めたことですから」
その意思を曲げるつもりはなかった。
本当は……本音を言えば。
進学したい気持ちが少しもないかというと、嘘になる。
専門に学びたいことがあったし……単純に、キャンパスライフに興味もあった。
けれど……やっぱり、この件で春輝を頼るわけにはいかない。
今の春輝に頼った生活はやむなしとしても、これは伊織が決断するだけで済む話なのだから。
「うーん……それじゃ、例えばなんだけど」
少し考える素振りを見せた後、春輝は人差し指を立てた。
「近い将来、露華ちゃんが白亜ちゃんのために今の伊織ちゃんと同じ選択をしようとしたら……伊織ちゃんは、どうする?」
「それは……自分の一番やりたいことをやりなさい、って……私が何とかするから、って言うと……思います、けど……」
言いながら、伊織は春輝の言わんとしていることを悟った。
「でもその時に、君が今言ったような選択を取っていたら……露華ちゃんは、説得できないんじゃないかな? だって、他ならない伊織ちゃんが同じ選択をしたんだから」
「それは……でも、私は実の姉妹ですし!」
「だからこそだよ」
そう……言ってはみたものの、伊織にも容易に想像出来た。
「お姉ちゃんが我慢したのに、自分だけ自由に、しかもお姉ちゃんに負担をかけてまで……なんて選択肢を、露華ちゃんが選ぶかな?」
「それは……」
きっと、選ばないだろうと。
伊織にも、わかってしまっているのだ。
「だから」
春輝は、少しイタズラっぽく微笑んだ。
「その時に説得力を持たせるためにも、今は伊織ちゃんが俺に甘える番……ってのは、どう?」
「……ズルいですね、その言い方は」
伊織も、思わず微笑む。
だけど、きっと眉は困ったようにへにゃっと八の字になっていることだろう。
そう言われては……そしてこのままだといずれ訪れるだろう未来に気付いてしまっては。
もう、意地を通すこともできなかった。
「大人は、ズルいものなさ」
と、春輝は冗談めかして肩をすくめた。
その拍子に傘が少し揺れて、水滴が滴り落ちていく。
「私も……早く、大人になりたいです」
雨音に紛れて、伊織はポツリと呟いた。
これもまた、本音の言葉だった。
誰に頼らなくても、家族を守れる存在に……早く、なりたいと。
「大人になると、逆のことを思うようになるさ」
春輝にも聞こえてしまったようで、どこか皮肉めいた笑みを浮かべている。
「……それでも」
それでも。
伊織が卒業後に就職を考えていた理由には、もう一つだけ……最後の、理由があった。
「私が、大人になれば」
今は、子供扱いでも……働き始めて、借金も返して。
対等の、立場になれば。
(この気持ちも、堂々と伝えられるんじゃないか……って)
そんな風に、考えていたから。
「……?」
言葉を途中で切った伊織に、春輝は疑問の目線を向けてくる。
大人になれば……私の気持ちを、聞いていただけませんか?
一瞬、そんな言葉が浮かんだけれど。
「私が、大人になる前に」
けれど結局そんな勇気はなくて、そう言い直す。
「一つ、ワガママ言っても良いですか?」
「あぁ、もちろんさ。むしろ伊織ちゃんは、普段からもっとワガママを言うべきだよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
春輝の冗句に合わせて、クスリと笑う。
「じゃあ……少しだけ。寄り道して、帰りたいです」
そして、ちょっとした『ワガママ』を伝えた。
「もうちょっとだけ、お姉ちゃんじゃない時間でいたい気分なんです」
「あぁ、もちろん。それくらい、お安い御用さ。じゃ、こっちの道通ってこう」
きっと春輝は、自分が言った通り『妹』的な意味合いで取っているのだろう。
けれど。
「私、雨って実はあんまり好きじゃなかったんです」
「まぁ、俺も好きではないかなぁ」
「洗濯物を干してたら、大変ですから」
「ははっ、伊織ちゃんらしい理由だね」
「でも……今は、好きかもしれません」
「そっか。何事も、嫌いよりは好きな方が良いよね」
「はい。好き……です」
「実際、夏場の雨ってのも風情があって良いかもねー」
この時間を、もう少し楽しませてもらうことにした伊織なのだった。
お姉ちゃんではなく……一人の、女の子として。
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