SS89 それぞれの戦果

「ハル兄。わたし、そろそろお昼にしたいかも」


 春輝の右手と手を繋ぐ、白亜。


「ウチも、さんせーっ」


 春輝の左腕を掻き抱く、露華。


「オーケー、じゃあフードコート行こうか」


 間に挟まれた春輝は、若干ぎこちないながらも笑みを浮かべながら足をフードコートの方に向けた。


(露華も白亜も……)


 そんな中、伊織は。


(ふふっ、あんなにはしゃいじゃって)


 春輝に甘える・・・二人を、数歩分後ろから微笑ましげに見守っていた。


(二人はお父さんやお母さんとプール来たこと、ないもんね……)


 ほんの幼い頃の記憶ではあるものの。

 伊織は、確かに持っているのだ。


 父と母に連れていってもらったプールではしゃぐ、朧げながらもとても楽しかった記憶を。


 恐らく、白亜はまだ産まれる前。


 細かい経緯までは流石に覚えていないが、露華もいなかったと記憶している。

 まだ小さかった露華は、当時健在だった祖父母に預けられていたのではなかろうか。


 その点について、伊織は妹たちに対して罪悪感……とまでは言わないまでも。

 少しだけ、思うところがあるのだ。


 だから。


(今日は、家族で楽しい思い出作ろうねっ!)


 伊織は、そんな気分で今日を迎えていたのだった。


 もちろん、春輝も一緒に。

 ……なんて、思っていたのだけれど。


「ふふっ……わたし、お腹クゥゥッって鳴ってる。ほら、ハル兄も感じる? ……んぅ」

「……ははっ、いっぱい食べて午後もいっぱい遊ぼうね」


(……んんっ?)


 今の春輝と白亜の会話に、伊織は少しだけ違和感を覚えた。


(なんだろう……春輝さんの手の平を自分のお腹に押し当てた一瞬だけ、白亜が妙に大人びた表情になってような……? ……き、気のせいだよねっ! だって、今はあんなに純真な笑みを浮かべてるんだもんっ)


 けれど、自らそう断ずる。


「あー、ウチお腹へっちゃって力入んなーい……」

「……ははっ、もうちょっとの我慢だからね」


(……んんっ?)


 今度の露華と会話……というか露華の仕草にも、なんだか違和感を覚えた。


(今の露華……なんか、ちょうど間に挟まるように・・・・・・・・春輝さんの腕にしなだれかかったような……き、気のせいだよねっ! だって、凄くお腹がすいてる時の露華の表情だもん!)


 今度も、そう納得する。


 現在、伊織の瞳は『幸せな家族フィルター』によってだいぶ曇っているのであった。

 妹たちにその辺りの見解を伺えば、「普段からそんなもん」との回答が返ってくるかもしれないが。


「ところで、春輝クンさー? ウチ、おっきくなった・・・・・・・と思わない? 前に触った時と比べて……どう?」

「の、ノーコメントで……」

「ハル兄……わたしも、大きく・・・なったよ」

「んんっ、それは身長がということだよねっ……!? 思えば、確かにちょっと伸びてるかもねっ」


 なお、この段階で露華の度重なる『接触』作戦によって徐々に苛立ってきた白亜も若干『そういう』方向性に走るようになってきており。

 これが『攻めのワンピース』作戦を崩す露華の計略の一部であることに……もちろん、伊織は気付いているわけもない。


 ただ。


(だけど私の方も、ちょっとは見てほしいかも……なんて)


 それは年相応……否、年齢に比すれば随分と控えめな願望と言えよう。


(駄目だよね、そんなの)


 それでも、伊織はそれさえ否定する。


(私が、何かやらかして……)


 伊織とて、トラブルメーカーの自覚はあるのだ。

 それが、春輝関連については特に顕著に発揮されることも。


(楽しいプールの思い出まで、台無しになっちゃったら……)


 恋愛面で、自分たちは対等なライバルであると宣言はした。

 けれど今日は、妹たちにとって初めての『家族でプール』の思い出なのだ。


(私はもう、大人しくしてないとねっ)


 ウォータースライダー辺りでは妹たちに合わせてちょっとテンションを上げちゃったりもしていたが、それが最後だと伊織は決めていた。

 ただ、浮かべられた笑みにはほんの少しだけ寂しさも垣間見える。


「伊織ちゃん?」


 そんな折、春輝がふと足を止めて振り返ってくる。


「大丈夫……? 何かあった?」


 まるで、背中に目でも付いているかのように。

 伊織の寂しさを見抜いたのか、春輝の視線は心配げなものだった。


「……いえ」


 妹二人の相手をしている中でも、ちゃんと自分のことも気にかけてくれていた。


 今日の自分には、それだけで十分だと思えて。


「なんでもありませんっ」


 そう返す伊織の表情は、今度こそとても晴れやかなものだった。


「今日、たっくさん遊びましょうねっ」


 少し離れていた距離を詰めるべく、駆け出す。


「伊織ちゃん、プールサイドを走ると……」


 危ないよ、と続くはずだった春輝の言葉は。


「きゃっ……!?」


 果たして、警告通りにツルッと滑ってしまった伊織を前に。


「危ないっ!」


 予定より、ずっと切迫した響きとなって発せられ──


 この時、全員が奇跡的なまでに最適に動いたと言えよう。


 まず、伊織を受け止めるべくスライディングのような形で滑り込んだ春輝が伊織の着地予測地点に間に合った。

 伊織が足を取られた原因である一方、これもプールサイドの滑りやすさのおかげだ。


 同時に、姉に向けて差し伸べられた妹たちのそれぞれの手。

 これも、間に合った・・・・・

 先程まで如何に春輝を籠絡するかに割かれていた思考を瞬時に切り替えられたのは、彼女たちの姉妹愛ゆえと言えるのかもしれない。


 更にこれも同時に、伊織。

 ツルンと滑った彼女だが、一歩分踏み出すことで粘り・・、どうにか自らコントロールする形で身体を投げ出す形に持っていくことが出来た。

 そのまますっ転んでいれば受け身もままならなかったかもしれないが、今ならそれなりに軟着陸が可能だろう。


 そして、これらの結果は……ある種の奇跡を、生み出すこととなる。


 伊織の身体は、春輝の・・・予想よりも少し前を跳・・・・・・・・・・ぶことになり・・・・・・


 それは妹たち二人の目測とは、少しずれた軌道を通り・・・・・・・・・・


 春輝が受け止めようと思っていたのとは、少しだけ違う体勢で・・・・・・・・・受け止められた。


 すなわち。


 妹たちの手は、誤ってチューブトップ状の水着に引っ掛かり……大きく、ズらす・・・ことになり。


 投げ出された・・・・・・それが。


 ふにょん・・・・と、春輝の顔面によって受け止められた。


「……!?」

「あひゃぁんっ……!?」


 視界が塞がれ、何が起こったかわからないながらもとりあえずギュッと伊織を抱きとめる春輝。


 何がどうなったのか・・・・・・・・・、伊織は妙に艶めかしい声を上げた。


『………………』


 一瞬の沈黙。


『!?!?!?』


 混乱に陥っているのは、春輝と伊織の二人である。


 春輝は視界を塞がれているからというのが大きいが、伊織はなぜこんなことに・・・・・・なっているのかという点に関する混乱がメインと言えよう。


 そして、姉を助けるべく手を伸ばしていた二人は……客観的に、その状況を観察して。


「お姉……やりすぎだよ」

五感全部使う・・・・・・のは、完全にレーティング違反」

「私がわざとやったみたいに言わないで!?」


 ドン引きする妹二人に反射的にそう叫んだものの、ここからどうしよう・・・・・・・・・とちょっと途方に暮れる伊織であった。



   ◆   ◆   ◆



 その後。

 たまたま周囲に人がいないタイミングだったこともあり、妹二人の迅速なレスキューによって伊織は原状復旧に至り。


 全員何の示し合わせもなかったにも拘らずまるで何も・・・・・無かったかのように・・・・・・・・・、その後はどこかヤケッパチのようにも感じられるくらいはしゃいで遊んだものの。


 例の一件以降、春輝と伊織の視線が合うことは終ぞ一度もなかった。


 この日、一番春輝の視界に多く映っていた者が白亜なのは確かで。

 この日、一番長い時間春輝と接触していた者は露華だと言えよう。


 しかし。


 この日、最も鮮烈な記憶として春輝の脳に刻まれたのは間違いなく伊織なのだった。

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