SS85 ただお酒を飲んでただけなのに

 ──終バスの時間、とっくに過ぎてますので


 その、貫奈の言葉に対して。


「あ、ははっ……」


 春輝は、ぎこちない笑みを浮かべる。


「またそんな、悪質な冗談を……」

「それでは、こちらを御覧ください」


 と、貫奈がスマホの画面を見せてきた。

 映っているのは、先程下りたバス停の名が書かれた時刻表の写真で……。


「……とっくに終わってるじゃねぇか」


 腕時計を確認すると、下りのバスは今からだいぶ前に終わっているようだ。


 というかしばらく確認していなかったが、思っていたより遅い時刻になっていた。

 どうやら、バスに揺られて眠っていた時間が想定より長かったらしい。


「いやぁ、参りましたよねぇ。飲むのが楽しくて、ついつい確認が疎かになってしまっていました」

「確認が疎かになってた奴のムーブじゃないよな……?」


 ヘラッと笑う貫奈に、春輝は疑念の目を向ける。


「てかこの辺、泊まるとことかあんのか……?」


 改めて窓から周辺を見渡す限り明かりもまばらで、急に不安な気持ちが押し寄せてきた。


「はい、実はちょっと歩いたところにビジネスホテルがありまして」

「調べるまでもなく知ってるってことは、やっぱ計画的犯行だよな……?」

たまたま・・・・そこのホテルが一室だけ・・・・予約出来てるんですよ」

「完全に計画的犯行じゃねぇか! ていうかお前、えげつない手使ってくるな!?」


 完全に逃げられなくなってからカードを開示する。

 プロの犯行であった。


「いやですねぇ。たまたまですよ、たまたま」


 なのに、貫奈はしれっとそんなことを言いながら手を振っている。


「今からでも別の部屋を……クソ、駄目か……!」


 トラベルサイトで件のホテルの予約状況を確認するも、『満室』の文字が。


「だから言ったでしょう? 一室だけ、予約出来たって」


 春輝とは対照的に落ち着き払った貫奈の物言いに、ふと思い出すことがあった。


「……ちょっと待て。考えてみれば、お前んちチョコがいるだろ。何がなんでも帰ってやらなきゃどうすんだよ」

「実家に預けてきたんで大丈夫です」

「もう計画的犯行であることを隠そうともしてないよな!?」


 既にわかっていたことではあったが、全て準備された上での罠である。


「えーい、だったら意地でも泊まらん! 長距離タクシーを使ってでも……」

「先輩」


 スマホを操作する春輝の手に、そっと貫奈の手が添えられる。


「……そんなに、嫌ですか? 私と泊まるの」

「えっ……?」


 これまでと一転、悲しげに眉尻を下げる貫奈の表情が春輝を激しく動揺させた。


「い、いやその、別に嫌とかそういうわけではないんだけどなんつーかその……」

「じゃあいいんですね! さぁ、それではこの後も時間を気にせず飲みましょう! かんぱーい!」

「え、あ、おぅ……かんぱい?」


 先の表情が幻だったかのように楽しげな笑みを浮かべる貫奈に、春輝の頭は混乱する。


 結局その後も、泊まる泊まらないのくだりが何度か繰り返され……。



   ◆   ◆   ◆



「おーっ、思ったより広いですねぇ! 冷蔵庫が大きいのもグッドじゃないですか!」

「……ソウダネ」


 こうなった。


 所詮は春輝などに、本気で計画された貫奈の犯行に抗う術などないのであった。


「あー……っと。家に電話しないとな」


 ここまで流されっぱなしで頭から抜けていたが、本日中に帰るつもりで伊織たちには伝えていたのだ。

 既に結構遅い時間だし、心配をかけているかもしれない。


 すぐさまスマホを取り出し、家の固定電話宛に掛ける。


「……もしもし、伊織ちゃん? 今日なんだけどさ、結局泊まりになっちゃって。や、トラブルっつーかちょっとはしゃぎすぎて時間ミスった感じなんだよねー……ははっ、お恥ずかしい……うん、ホテルはちゃんと取れたから大丈夫」


 なんて、嘘とも本当ともつかない言い訳を並べ立てていたところ。


「先輩」


 なぜか、貫奈がスススッと背中に擦り寄ってくる。


「ふふっ……こうしているとなんだか不倫しているカップルのようで、ちょっと興奮しませんか?」

「んんっ!?」


 耳元で妙に蠱惑的な声で囁かれ、思わず大きめの声が出た。


「あっ、ごめんごめん! なんでもないよ! ちょっと、あの、一緒に泊まってる友達がイタズラしてきてさっ! うん、友達友達っ」


 自分で言いながら、貫奈が言った状況そのままっぽい発言だな……と、何やら変な汗が出てきた。


「うん、そうそう。遅くとも明日の夕方には帰るから。うん、夕飯はウチで食べるよ。うん……ありがとね。それじゃ、おやすみ………………ふぅ」


 電話を切った後、深い深い溜め息を吐く・


「奥さんへの言い訳は上手くいきましたか?」

「お前なぁ……」


 クスクスと笑う貫奈に、春輝はジト目を向けた。


「……一応、言っとくけどさ」


 しかし表情を改め、真剣な表情を形作る。


「何も、しないぞ?」


 この宣言は、しておく必要があると思った。


「それはもちろん先輩の自由ですけど、本当に何もしないでいられますかぁ?」


 なんてイタズラっぽく微笑む貫奈は、酔っているせいかいつもより色っぽく見えて……。


「……しない、ぞ?」


 ちょっと間が空いたのは、仮にも自分への好意を示してくれている相手に何度も拒絶するのも無礼かと思っただけで他意はない。


「ふふっ、冗談ですよ。先輩がこの程度の状況で手を出すような男だったら、私は今頃めでたく第三子くらいを出産していることでしょうし?」

「いや……」


 肯定も否定もしづらく、そこで言葉が止まる。


「というか、そんな警戒しないでくださいよ。別に取って食おうってわけじゃないんですから」


 未だ緊張感に見を包まれている春輝を見て、貫奈はクスリと笑う。


「本当ですよ? 私の計画は、ここまでですので。そういうこと・・・・・・までは、私だって想定してません」


 肩をすくめると、どこか艶やかだった貫奈の雰囲気がいつもの調子に戻った。


「だったら、何のためにこんな手の込んだことまで……?」

「先輩と、沢山遊びたかったからですが?」

「……えっ?」


 思わぬシンプルな回答に、春輝は一瞬固まってしまう。


「単純に、泊まりで遊ぶってなかなか出来なくなってきてるじゃないですか? 友達誘っても、全然予定合わないですし」

「それはまぁ確かに……」


 年々友人たちと遊ぶことのハードルが上がっていることのもどかしさは、春輝も感じていることであった。


「私は先輩のことを異性として好きですけど、同時に親しい友人だとも思っていますので。友達と時間を気にせず遊びたかったんですが……」


 そこまで言って、どこか心細そうに貫奈は少し俯く。


「駄目、ですか?」


 上目遣いで、そう言われては。


「……はぁっ」


 春輝としても、大きく息を吐いて身体の力を抜かざるをえなかった。


「わかったよ」


 友人としてならば、喜んで最後まで付き合おう。

 実際、それは春輝にとっても楽しい時間になるに決まっているのだから。


 そんな思いを共に、苦笑気味に笑う。


 そして二人は、このあと滅茶苦茶──


「そんじゃ、四次会といくか!」

「ウェーイ!」

「俺、今日買った日本酒開けちゃうわ。テンションに任せて買っちゃったけど、よく考えたら持って帰っても飲むタイミングなさそうだし」

「奇遇ですね、私もそうしようと思ってました」

「ただ、つまみはどうすっかなー」

「流石に、もう相当にお腹いっぱいですよね?」

「だなー」

「ふっ……こうなると思って、持ってきておりますよ」

「やっぱ計画的犯行が続いてんじゃねぇか……というのはともかく、何を?」

「各地からお取り寄せした……塩、です」

「うぇーい、酒飲みの終着点ー! 人として終わるやつだぜー!」

「だーけーどー?」

『この時間にちょうどいい!』


 酒を飲んだ。

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