SS66 審問会
伊織と春輝の『デート』があった日の夜、露華の部屋にて。
「第二十二回、小桜姉妹緊急特別会議ー」
「おー」
開幕を宣言する露華に、例によって白亜がやる気なさげに声を合わせる。
「また知らないうちに回が進んでる……」
前回自分が参加したのは第十四回だったはずなのに……と、伊織は半笑いを浮かべていた。
「被告人、許可のない発言は控えるように」
「あっ、はい……すみません……」
白亜に睨まれ、伊織は素直に謝る。
今回ばかりは『被告人』の誹りも否定は出来ないためである。
姿勢も、誰に言われるでもなく床に正座であった。
「さてお姉、何について聞かれるかはわかってるよね?」
「はい……」
「さっきのイオ姉とハル兄のギクシャク感は異常。昼に何があったか吐くべし」
「はい……」
露華と白亜に問い詰められ、ここも素直に頷く。
なお、白亜の言う『さっき』とは夕食時の事を指しており……。
◆ ◆ ◆
「お醤油ー、取ってもらえるかしらー」
「おぅ」
「はいっ」
母の要請に、ほぼ同時に醤油差しへと手を伸ばした伊織と春輝。
『あっ……』
そして、お互い目があったところでこれまた同時に固まった。
それから、どちらからともなくゆっくりと……けれど、大きく顔を逸らしていく。
「え、っと……どうぞ春輝さん……」
「あぁ、うん……ほら」
顔を逸らしたまま伊織に譲られた春輝が醤油差しを手に取り、母へと差し出した。
「ありがとねー」
そんな様を見ても特に表情を変えることなく、ただお礼を言う母。
「あー、そういえば今日だけどー」
それから、ふと何かを思い出したような表情となった。
「キス」
『はい!?』
その単語が出た瞬間に、春輝と伊織が猛烈な勢いで母の顔を見る。
「の天ぷらにしようと思ってたんだけどー……どうかしたー?」
話を途中で切り上げ、母はのんびりと首を傾けた。
「いや、別に! なんでも!」
「は、はい! なんでもないです! とても、なんでもないです!」
やはりほぼ同時に、顔を赤くしながら手を振る二人。
「そっかー」
少なくとも表面上、母はそれをスルー。
『………………』
同じくこの場での言及こそなかったものの、露華と白亜は物凄い目力でその光景を見ていたのであった。
◆ ◆ ◆
という感じである。
「ま、つっても何があったかなんて大体想像ついてんだけど」
「とはいえ、真実はイオ姉の口から語るべき」
やれやれと肩をすくめる露華と、ジト目を伊織に向ける白亜。
「うん、あの……ね……お、驚かないで聞いてほしいんだけど……春輝さんと……その……」
そう前置いてから、伊織はゴクリと唾を飲んだ。
「キス、を……してしまいました……」
それから俯き気味に、己の『罪』を吐露する。
「や、それはもうわかってんだって」
「えっ……?」
「特定の単語に反応しすぎ。隠す気ある?」
「あ、う……」
なお、驚き要素は皆無であった。
「問題はー」
「
割と気楽げな露華に対して、言葉を継いだ白亜はやや緊張の面持ちだった。
そんな二人を前に、伊織はもう一度を喉を鳴らし。
「唇……です」
消え入るような声で、告白する。
「ヒュウ! 白亜、ほっぺでドヤってたのが一発で抜かされたじゃーん」
「むぅっ……」
ポンポンと頭に手を載せられ、白亜は唇を『へ』の字に曲げた。
「大切なのは、場所じゃなくてそこに込められた意味。ハル兄に何も伝わってなければ意味はない」
「まぁ、屁理屈っぽいけど正論でもあるかな」
「……わたしは、わたしのペースでいいんだし」
最後にボソッと付け加えられた白亜呟きは、どこか拗ねたような調子である。
「そもそもイオ姉のことだから、通常の手順を踏んでないのは明らか。どんなバグ技を使ったのか白状すべし」
それを誤魔化すかのように、鋭い視線を伊織へと向けた。
「えっ、と……今日、水族館に行ったんだけどね? イルカショーを見に行って……」
そして、伊織はキスに至るまでの経緯を語り──
◆ ◆ ◆
「お姉さぁ、流石にそれはさぁ」
「完全にギルティ」
断罪された。
「オーケーオーケー、まぁ確かにお姉の背中を押したのはウチらだし?」
「周回遅れとか、イオ姉を煽ったことは認める……けど」
そこで二人は、一瞬目を合わせて。
「なんつーかさ。そこまでやれとは言ってねぇっつーか」
「
呆れと若干の憤りが混じった視線を伊織に向ける。
「そ、それは私もわかってるんだけど! そんなつもりじゃなかったっていうか! 事故だったっていうか!」
「ほぅ、お姉的にはあくまで過失キスであると」
「ホントに、ほっぺにキスだけのつもりだったんだよ!?」
「というかイオ姉のさっきの話を聞く限り、そもそも別にほっぺにチューのタイミングでもない」
「う……」
白亜の指摘に、伊織は言葉に詰まった。
「や、これがさー。ガチで唇にキスを狙っていってた結果っつーならよ? ウチらとしても、その……まぁ、祝福はしないまでもさ」
「認めざるをえないところではある」
「でもさ、何なの過失キスって?」
「やらかすにしても限度というものがあるよね?」
「はい……すみませんでした……」
妹たちから詰められ、伊織としてはシュンと項垂れて謝ることしか出来ない。
「つーかそれさー、春輝クンのリアクションはどうだったのよ?」
「ハル兄のことだから、無駄に責任とか感じそう」
流石というか、鋭い指摘である。
「……責任、取るって」
『は!? プロポーズ!?』
「じゃなくて……警察に行くって」
『なんで!?』
姉妹ゆえか、リアクションは当事者である伊織のものとほとんど同じであった。
「えっと、なんでかっていうと……」
「あー……やっぱいーや、なんでかの説明は」
頭に右手をやって、苦笑しながら露華は左手で伊織を制する。
「ハル兄のことだし……自分が振り返らなかったらこんなことにはならなかったんだから、これは性犯罪に当たる……とか、考えた?」
「理解度凄いね!?」
春輝検定一級レベルの実力を目の当たりにした気がする伊織である。
「でもまー、ちゃんと春輝クンも帰ってきたってことは最終的には説得出来たんだよね?」
「説得というか……どうにか、思い留まっていただけたというか……誤魔化せたというか……」
「そこは素直に驚嘆。その状態のハル兄は相当な力技でもないと動かせないと思うけど……どうやったの?」
「それは……」
白亜の問いに答えようとして、自然と言葉が止まってしまった。
本当に、あれで良かったのかはわからない。
もっとやりようはあったと思う。
それでも、あの時の伊織の精一杯で。
今日のことは、本当に申し訳なく思っているけれど。
最後に一歩踏み出せた自分のことだけは、少しだけ褒めてあげたいと思っているのだ。
だけどあの時のことは、あの時の自分の感情は、どんな言葉で表現してもなんだか嘘っぽくなってしまいそうで。
言葉にした途端に、あの時の自分がハリボテになってしまいそうで。
「白亜」
「むっ……? むぅ」
続きを言い出せない伊織をしばらく眺めていた露華が白亜の腕を肘で突付き、露華の顔を見上げた白亜が何かを察したような表情となる。
「イオ姉。やっぱり、どうやったかは言わなくていい」
「えっ……?」
思わぬ言葉に、伊織はまた目を瞬かせた。
「ま、別にウチらとしても何もかもをも報告しろって言ってるわけじゃないし?」
「最終的にハル兄が逮捕歴がつかなかったのならそれでいい。そこだけは、一応イオ姉グッジョブ」
何やら訳知り顔で肩をすくめる露華と、親指を立てる白亜。
きっと、先の件が伊織にとって大切な思い出であることを察してくれたのだろう。
本当に、出来た妹たちである。
「ん……ありがとう」
そんな気持ちを込めて、伊織は小さく微笑んでお礼を言った。
「そんじゃ、これにて閉廷! 被告人は帰って良し!」
「え……?」
これで話は終わりとばかりにパンと手を叩く露華に、伊織は疑問の声を上げる。
「その……罰とか、いいの……?」
何かしら、処罰的なものもあると思っていたためである。
「まー、さっきまでの審問が罰っつーか?」
「ハル兄との関係性が前以上に超絶ギクシャクしている時点で、罰は受けているとも言える」
「それは……まぁ……」
いいのかな? と思いながらも、伊織はとりあえず立ち上がった。
「とはいえ、それでも改めてウチらからの罰が欲しいっていうなら……白亜、ゴー!」
「承知」
ニヤリと笑って伊織を指す露華の指示を受け、白亜が素早く伊織の背後に回る。
そして。
「ふんっ」
「ひゃうん!?」
ペチコーン! と力強くお尻を叩かれ、伊織は思わず悲鳴を上げた。
「もういっちょっ」
「ひゃっ!?」
パチコーン! 今度は、先程とは逆側。
「最後に、連打っ」
「ひあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」!?」
ペチペチペチペチペチン!
白亜が、両手を使って伊織のお尻でリズムを刻む。
「お尻ぺんぺんの刑……執行、完了」
それから、手刀を構えて何やら格好良いポーズを取った。
「アンタ……割と鬱憤溜まってたんだね……」
「これはあくまで執行人として正当な罰を与えただけであり、個人的な感情など混じってはいない」
半笑いを浮かべる露華に対して、白亜はあくまで澄まし顔である。
「んじゃ、これで今度こそ終了ってことでー」
そして、出てけ出てけとばかりにぞんざいに手を振る露華。
「う、うん……」
お尻を両手で押さえながら、伊織は退出……する、直前で。
「あの……ありがとね」
振り返って、微笑んだ。
「私のこと、心配してくれたんだよね? また春輝さんとギクシャクしちゃって……何があったのかとか、私が落ち込んでないかとか……また、立ち止まっちゃわないかとか。最後のも、私が必要以上に気にしないようにわかりやすく罰を与えてくれたんだよね」
この『審問』にはそんな意味もあったと、伊織は思っている。
「私、大丈夫だから。ちゃんと、進むよ」
そして、自分を鼓舞する意味も込めてそう宣言した。
「はー? 何をおっしゃってんですかー?」
「単純に、何があったのか取り調べて断罪するのが目的だし……自意識過剰」
「ふふっ、そっか」
全くそんな意図はないと主張する妹たちにクスリと笑って、今度こそ伊織は部屋を出た。
◆ ◆ ◆
パタン、と伊織が出ていった後のドアが閉まって。
「はーっ、最後に全部言っちゃうのが良くも悪くもイオ姉って感じだわー」
「言わぬが花……というものもある」
露華と白亜は少し赤くなった顔を背け合っていた。
「それはともかく」
それから、ぽむと白亜が手を叩く。
「ロカ姉……
本日の一件についての姉の見解を聞いておきたかった。
「五分五分から、ややお姉に有利寄りって感じかなー」
「私も、大体同じ見解」
今回の件を、春輝は
それが最も重要である。
「ハル兄がどの程度ハル兄かにかかってる」
「だねー。春輝クンのことだから、またアクロバティックな解釈するかもだけど……」
「少なくとも、イオ姉がほっぺにチューしようとしたという事実は認識してるはず。それはたぶん……わたしやロカ姉が同じことをするより、ずっとインパクトがあって」
「どう認識するか次第で……」
そこで目を合わせて、二人は意思を疎通させた。
「もし……今回の件で
「イオ姉が全員捲ってのゴールインの可能性、まぁまぁある」
お互いの見解が一致していることを確認し、同時に一つ頷く。
それから、これまでのどこか深刻げだった表情をへにゃっと緩めた。
「いーや、まーじでさー。そこまでやれとは言ってねぇっつーか、そこまでの暴走は想定外だっつーんだよねー」
「こっちが正式なコースを走ってるところを、なぜか逆走してたかと思えば謎の裏道とか走ってくるとかでレースを荒らすのはやめていただきたい」
溜め息一つ、お手上げとばかりにバンザイのポーズで布団の上ににダイブする二人であった。
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