SS33 ある冬の日の思い出
人見春輝、十八歳。
桃井貫奈、十七歳。
それは、春輝にとっては高校生活最後となる冬の出来事だった。
◆ ◆ ◆
「こ、こんにちは、先輩」
「おいっすー」
その日、貫奈は図書室の例の場所に現れた時点で妙に赤い顔をしていた。
「………………」
着席した途端、チラチラと春輝の方を見てくる。
しかし挨拶したきり話しかけてくるようなこともなく、メガネを外したり髪を整えたり。
かと思えばまたメガネをかけ直して、最終的にもう一度外して机の上に置いた。
「あの……先輩。少し、お話があるのですが……よろしいでしょうか?」
そして、ようやく口を開く。
妙におどおどとした態度であるが、この頃の貫奈は時折こういうことがあったので春輝が格別に違和感を抱くようなことはなかった。
「あぁ、いいけど」
どこか真剣な雰囲気を感じ取り、春輝は読んでいた本に栞を挟んで閉じる。
「そんな改まって、どうした?」
「あっ、はい、その……」
もじもじと手を動かしながら、貫奈の目はめちゃくちゃに泳いでいた。
「せ、先輩も、もうすぐ卒業じゃないですか……?」
「だなー。全然実感ないけどさ」
心からの言葉と共に、肩をすくめる。
実際、大学生になった自分というのはまだ想像も出来ない。
「あ、あの……」
貫奈は、パクパクと何度も口を開いては閉じを繰り返して。
「せ、先輩って、指定校推薦でもう大学決まってますよねっ?」
「ん? あぁ、そうだけど……」
少し曖昧な返事になったのは、早口で出てきたその問いが彼女の本来の目的ではないような気がしたからだ。
「で、あのー……三年生って、もう自由登校期間ですよね?」
「だなー」
「えっ、と……なんでここにいるんですか?」
「……それはお前、暗に邪魔だと言ってるのか? 実はこの二年、この席の主の座を狙ってたとか?」
「ち、違いますよっ……!」
貫奈は慌てた様子で首と手を横に振る。
もちろん、春輝だって本気で言っているわけではない。
やっぱりこれも本題には感じられなくて、冗談で返しただけだ。
「まー、受験が終わったからって全く勉強しなくなるってのもアレだしさ。家だとついついサボりがちだから、こうして登校してきてるわけよ」
もっとも、つい今しがたまで読んでいたのはライトノベルなのだが。
とはいえ、全くの嘘ではない。
机の上には、参考書やノートも広げられている。
ただ……それが真実の全てというわけでもなく。
というか、ぶっちゃけ今話した内容は言い訳作りに近かった。
春輝が今でも毎日のように登校している理由の大半……それは。
「そうなんですね……」
目の前の、この後輩に会うためなのだから。
なんだかんだ、二年間で結構な時間を一緒に過ごした。
春輝の高校生活で最も多く会話を交わした女子生徒は、間違いなく桃井貫奈だ。
彼女との時間が終わることをどこか寂しく思う気持ちが、春輝の足を学校へと向けていた。
なにしろ、二人の関係はほとんどこの場所で会うだけのもの。
高校を卒業すれば、二度と会うこともなくなるんだろうから。
……と、この時点では思っていたわけである。
この先も長らく付き合いが続くとわかっていれば、春輝の行動ももう少し違っていたものになっていたかもしれない。
「その……ふ、ふひゅひゅ」
貫奈が、なぜか妙にオタクっぽく笑った。
「実は、私に、あの……会……来……たりして……ふひゅ」
頬が痙攣しているかのような笑みを浮かべながらの言葉は、消え入りそうな程の小ささで春輝の耳にはほとんど届かない。
「いえ、あの、せ、先輩がここにいる理由とか、そんなのはどうだって良いんですよ……!」
「お前から振ってきた話題なのに……!?」
かと思えばキッと睨むような目でそんなことを言ってきて、春輝を困惑させる。
「そうじゃなくてですね……!」
すぅはぁと、貫奈は何度も深呼吸を繰り返した。
「先輩」
それで多少は落ち着けたのか、本日初めて貫奈の目がしっかりと春輝を見据えた気がする。
キュッと唇を引き結んだ後。
「好き」
再び開かれた唇から、そんな言葉が紡がれた。
「………………えっ?」
やはりかなり小さい声ではあったが、今度はしっかり聞こえて……だからこそ、春輝は呆けた声を上げる。
二人の間に流れる、一瞬の沈黙。
「すっ……! 好きな人っているんですかね先輩って!? ということを問いかけたかった次第なんですよえぇいやホントにたただの興味本位でなんですけどね何の他意もなくっ!」
沈黙を破り、これまで以上に顔を真っ赤にした貫奈が前のめりになりながら超早口でそう続けた。
「あ、あぁ、そういうことな……」
一瞬、告白されたのかと
(そうだよな、桃井が俺を……なんて、あるわけないよな)
そう、内心で納得した。
「てか、声がでけぇよ。いくらここが外れの方だからって、今のは他の人にまで聞こえちゃったんじゃないか?」
「あ、すみません……」
勘違いした照れ隠しも兼ねて注意すると、貫奈は気まずげな表情となって腰を落ち着ける。
なお、その顔は未だ真っ赤なままである。
(好きな人……か)
周囲を窺うフリをしながら、春輝はチラリと横目で貫奈を見た。
(さっき、告白が勘違いだってわかった時……俺)
先程を、振り返り。
(たぶん……ガッカリ、してたよな)
そんな自分を、客観視する。
(い、いやまぁでも、誰が相手だって告白だと思ったのが勘違いだってわかるとガッカリするもんだよな………………だよな?)
そう考えるも他に経験がないので、比較対象が存在しなかった。
(好き……好きな、人……)
頭の中で、そんな言葉を繰り返す。
その度に浮かんでくるのは、目の前の相手の顔だ。
(や、それはさっきのインパクトが強かったせいで……)
言い訳のようにそんなことを考えるが……しかし。
それが本当に言い訳なのかどうか、春輝自身よくわからなかった。
桃井貫奈に対して好意を持っているか否かという問いかけであれば、間違いなくYESである。
ただ、それは恋愛感情なのか友人に対するものなのか。
(……わからん)
考えても、答えが出なかった。
「……桃井の方こそ、どうなんだ?」
だから、質問で返す。
ただの誤魔化しであり、特に深い意味があってのことではなかった。
「はえ?」
想定していなかったのか、貫奈は小首を傾ける。
「好きな人、いるのか?」
「わ、私ですか……!?」
自分を指差しながらの貫奈の声は、見事に裏返っていた。
「わ、私はその、あの……!」
真っ赤な顔で、まためちゃくちゃに目を泳がせる。
(んんっ……? てか、赤過ぎじゃね……?)
ふと、春輝は今更ながらにそんなことを思った。
貫奈の赤面は、まぁまぁ見慣れている。
が、今日は格別に赤い気がした。
「なぁ桃井」
「ひゃいっ……!?」
呼びかけると、貫奈はビクッと震えた後に背筋を伸ばした。
その目は、どこか虚ろに見える。
「なんかすげぇ顔が赤い気がするんだけど、大丈夫……」
か? の声と、ゴン! という音が重なった。
後者は、貫奈のおでこが机にぶつかった音である。
ふらっと上半身が揺れたかと思えば、突如前方に倒れたのだ。
「ちょっ……!? 大丈夫か!?」
春輝は慌てて立ち上がり、貫奈に駆け寄る。
「うわお前、凄い熱じゃねぇか!?」
慎重に抱き起こしながらおでこに手を当ててみると、想定していたより遥かに熱かった。
「あー……そういえば今日、朝から熱っぽかったんですよねー……」
ぼんやりとした表情で、貫奈がそう申告する。
ここに来て、体調が悪化したということか。
「立てるか? 保健室行くぞ」
「んー、ちょっと無理めかもですー……」
「……そっか、わかった」
一つ頷く間に、春輝は覚悟を決めた。
そして。
「よっ……っと!」
お姫様抱っこの体勢で、貫奈を抱き上げる。
「はぇ……? はぇっ!?」
虚ろだった貫奈の目が、急速に焦点を結んだ。
「あ、あの先輩、これは……!?」
「悪い桃井、嫌かもしれないけど保健室まで我慢してくれな」
「や、その、嫌ということは決してないのですが心の準備がアレというか……!」
何やらごにょごにょと呟いている貫奈には構わず、春輝は早足で図書室の中を抜けていく。
流石に周囲の視線が集まってくるが、それも無視。
図書室を出て、保健室に向かう。
……その、途中の廊下で。
「……ごめん、桃井」
春輝は徐々に足を止めながら、貫奈に謝罪した。
「は、はい……? 何が……?」
未だ混乱の最中にあるらしい貫奈から、当然の疑問が返ってくる。
それに対して、春輝は。
「この体勢ちょっと保健室まで保ちそうにないから、おんぶに切り替えていい……?」
だいぶ気まずい思いと共に、そう告げた。
ぶっちぎりインドア派の春輝の腕は、既にプルップル震えているのである。
「あ、はい……」
状況を理解したらしい貫奈も、半笑いで頷いたのであった。
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次回更新は1回分スキップし、次の日曜とさせてください。
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