SS26 母の言葉

 母が帰ってきてから、数日。



「ここでねー、ちょっとみりんを入れるのがポイントなのよねー」

「これが人見家のお味なんですね……! 必ず習得します!」

 母と伊織。



「あー、そこは裏から縫った方がやりやすいと思うなー」

「なるほど……! 流石ッス、お義母さん!」

 母と露華。



「古くなっちゃった牛乳もねー、こんな感じでお掃除に使えるから活用してねー」

「牛乳にそんな使い方が……勉強になります……!」

 母と白亜。



 それぞれ家の中で会話する姿も、だいぶ見慣れてきた。


 そんな、とある休日のリビングにて。


「……なあ、母さん」


 伊織たちがそれぞれ自室に引っ込んだタイミングで、春輝は少し改まった表情で母に話しかけた。


「なーにー?」


 一方の母は、いつも通りのどこか気の抜けた表情で首を傾ける。


「ちょっと相談っていうか……意見がほしいんだけど」

「あらー、珍しいわねー?」


 母が言う通り、春輝は今まで母に対して相談事というのをほとんどしたことがない。

 それは別段母を信用していないからではなく、単純にそういった機会がなかっただけなのだが。


(今回は……母さんに聞くのが、たぶん一番なんだろうな)


 この件・・・について、春輝はそう判断している。


「俺は……」


 春輝は、一瞬躊躇った後。


「俺は、あの子たちをちゃんと大人として守れてるのかな?」


 そう、問いかけた。


「んー? どういうことー?」


 母は、よくわかっていなさそうな表情で今度は反対側へと首を傾ける。


「いや、なんかさ……母さんが帰ってきて、改めて自分の不甲斐なさを実感してるっていうか」


 それは、ここ数日ずっと感じていたことであった。


「こないだの桃井の件とかもそうだけど、母さんは穏便に何事もなく収めたろ? あれが俺だったら、たぶんテンパってまた変なことになってただろうし……それに、家事を教えるどころか俺の方が教わることが多いくらいでさ」

「まー、春輝はー。仮にも一人暮らししてたとは思えない家事能力の低さだもんねー」

「ぐむっ……一人暮らし始まってすぐに仕事が忙しくなっちゃったから……」


 事実を突かれ、思わず言い訳が口を出る。


「まぁ家事のことはともかくとして……それに、なんとなくなんだけどさ。三人共、母さんといる時の方が自然体に感じるんだ」


 これも、母が帰ってきてから気付いたことだった。


「俺といる時は、緊張……とも、なんか違うんだけど。妙な気負いっていうか、力みっていうか? そういうのがある気がするんだよ」


 言葉を探しながら話す春輝に対して、母は一度目を瞬かせる。


「んふふー」


 そして、なぜかニマッと笑った。


「そこに気付けるようになっただけー、成長したわねー。えらいえらいー」

「ちょっ、撫でるのは勘弁してくれよ……もうそんな歳じゃないんだからさ……」


 身を乗り出して頭を撫でてくる母に、春輝は口を『へ』の字に曲げる。


「そうねー、それじゃー順番に母さんの考えを言うねー」


 一方、母はストンと再び腰を落ち着けた。


「まず最後の件はねー、悪いことじゃないから気にしないでいいわよー」

「そう……なの?」

「あー、もっと正確に言うとー。気にしないでいいけど気付いてあげてねー」

「ど、どういうこと……?」


 謎掛けのような物言いに、問いを重ねる。


「それでー、家事とかはこれから出来るようになればいいだけの話だしー」


 だが、母に答えをもたらす気はないらしく話題が次に移ってしまった。


「大人として守れてるのかー、ってことについてはー」


 春輝のリアクションを待つことなく、母はどんどんと話を進めていく。


「んー」


 しかしそこで母は一旦口を閉じ、視線を上向けた。

 言葉を探すかのように、天井を見つめることしばらく。


 再び、その目が春輝の方を見て。


「正直ー、わかんないわねー」

「んな適当な」


 急に放り投げた感じの回答になって、思わずツッコミを入れてしまった。


「だってー、私がここ何日かで見たのなんてー、ほんの一部に過ぎないわけじゃなーい?」

「それはまぁそうなんだけどさ……」

「だからねー」


 そこで、母はふわりと微笑む。


「あの子たちの笑顔をー、思い出してみてー?」


 言われて、春輝は脳裏に三人の笑顔を思い浮かべた。


 すると付随して、彼女たちがこの家に来てからの様々な出来事も思い出されてくる。


「母さんはー、それが答えだと思うなー」


 今になって振り返るとよくわかるが、当初は露華でさえも態度に遠慮が見られた。

 浮かべていた笑顔も、愛想笑いに近いものだったろう。


 けれど、時を重ねるにつれてそれが徐々に自然なものになっていき。

 今では、彼女たちの笑顔が作られたものだなんて春輝は微塵も思っていない。


「……そっか」


 至らない点は多い。


 もっと上手く出来た場面は、いくらでもあった。


 それでも……あの笑顔を守れているのなら、それでいいんじゃないか。

 そんな風に思えた。


「ありがとう、ちょっと肩の荷が下りた気分だよ」


 三人と暮らす中で、春輝は極力頼れる大人として振る舞おうとしてきた。

 誰かに相談することも出来ず、ずっと「これでいいのか」という不安が蓄積していた。


 その全てが消えたわけではないが、かなり軽減されたような気がする。


「まー確かに春輝はもうちょっと落ち着いて色々対処した方がいいと思うしー、女心が全然わかってないところはどうにしかしないとだしー、なんでそれを選ぶかなーって選択をしがちだけどー」

「お、おぅ……」


 たった今上がった気分が、また少し沈んだ。


「まーでもー、それでいいんじゃなーい?」


 一方、母はクスリと笑う。


「完璧な大人なんていないんだしー。私だってー、春輝くらいの歳だとそんなもんだったしねー」

「マジで……?」


 この母があたふたしているところが想像出来ず、春輝は半笑いを浮かべた。


「あらー、もうこんな時間ねー」


 話に一区切りついたところで、母は壁の時計に目をやる。


「……あれー?」


 そして、ふと何かに気付いたかのような表情となった。


「そういえばこれー、言ってなかったかもー?」

「何が……?」


 情報量がゼロで、春輝としては首を捻るしかない。


「今日この後、お父さんのとこに戻るってー」

「初耳オブ初耳なんだが!?」


 来る時も唐突なら、帰る時も唐突な母であった。



   ◆   ◆   ◆



 こうして、伊織たちも降りてきて急遽玄関でお見送りという運びに。


「本当に駅まで送らなくて大丈夫か……?」

「いいのよー、子供じゃないんだからー」


 最初は駅まで送ることを申し出た春輝だったが、母に固辞されたためである。


「お義母さん、もっとゆっくりしていってくれればいいのにー」


 と、未練がましそうに露華。


「ロカ姉、それはわたしたちの立場で言える台詞じゃないと思う」

「あっ、そっか……すみません」

「うふふ、いいのよー。ここを自分のおうちだと思ってくれてる証拠だもんねー」


 頭を下げる露華に、母は軽い調子で笑う。


「そろそろ顔を見せてあげないとー、お父さんが寂しがっちゃうからー」

「仲がよろしいんですね」


 ノロケ的な母の物言いに、伊織が微笑んだ。


「そうねー、ラブラブよー」


 母も、ニコニコと微笑む。


「あなた達もー」

「……?」


 とそこでチラリとどこか意味深な視線を向けられ、春輝は疑問符を浮かべた。


 母が、伊織たちへと視線を向け直す。


「頑張ってねー」


 そう言われた三人は、一度顔を見合わせ。


『はいっ!』


 と、妙に気合いが入った感じで大きく頷いた。


(何を頑張るってんだ……?)


 一人伝わっていない春輝は、ますます疑問を深める。


「それじゃー」


 けれどそれ以上掘り下げるようなこともなく、母は踵を返した。


「じゃあ、また。父さんにもよろしくな」

「あの、またお会いできる日を楽しみにしていますっ!」

「ウチも……また、色々教えて下さいねっ!」

「ハル兄の昔の話も、まだまだ聞きたいです……!」


 そんな風に、見送る一同に対して顔だけで振り返り。


「ん、またねー」


 それだけ言って、母はあっさりと玄関の向こうへ出ていった。


 扉が閉まって、しばらく。


「……なんだか、寂しい気分ですね」


 伊織が、少し弱々しく笑う。


「ん……わたしも。ちょっと、お母さんみたいに……思ってた、から」


 白亜の表情も、少し沈み気味だ。


「本物のお義母さんになるルートも全然あるっしょー? ねっ、春輝クン?」


 その暗さを吹き飛ばすように、露華が明るく笑って春輝の腕に抱きついた。


「ははっ……」


 それを、苦笑気味に流しつつ。


(そっか……この子たちのお母さんは……)


 今更ながらに、妙に三人が母に懐いていた理由を悟る。


 彼女たちの母は、ずっと前に亡くなったと聞いている。

 白亜辺りは、一緒に過ごした記憶があるかどうかも怪しいかもしれない。


「……露華ちゃんも、無理すんなよ?」

「べ、別に無理なんてしてないけどっ?」


 ポンポンと頭を撫でてやると、露華の笑顔が少しだけ崩れた。

 やはり、彼女も寂しさを感じているのだろう。


(俺はやっぱり、母さんみたいには……母親代わりには、なれないだろうけど)


 それでも、と笑みを浮かべる。


「さっ、せっかくみんな揃ってんだしたまには全員でゲームでもやらないか? ちょうど今朝、新作ゲーが届いたんだよ」


 そして、極力明るい声でそう提案した。


「あっ、はいっ! やってみたいです!」

「ふふーん、ボッコボコにしてあげるかんねっ?」

「今朝届いたアレなら、わたしは前のシリーズをやり込んでる。申し訳ないけど今日はわたしの独壇場」


 恐らく、春輝の意図を汲み取ってくれているのだろう。

 前向きな顔となった三人と共に、リビングへ。


 こうして、また『四人』での日常が戻ってきた──



   ◆   ◆   ◆



 なお、翌日。


「ただいまー」


 人見家の玄関には、母の姿が。


「いや、すぐに帰ってくるのかよ!?」

「えー? 言ってなかったっけー?」

「初耳オブ初耳だってこれ言うの何回目だよ!?」

「あーそっかー、伝えたのは貫奈ちゃんにだったかー」

「なんで母さんの中での優先順位、毎回実の息子より人んちの娘さんなんだ!? えっ、ていうかなんで!? 父さんのとこに戻ったんじゃなかったのか!?」

「お父さんが寂しがるからー、顔を見せに行ってきただけよー?」

「そんな短期スパンでの話だったの!?」

「それでねー、今日からお父さんしばらく海外出張じゃなーい? 一人でいるよりー、こっちの方が賑やかでいいかなーって」

「なんかサラッと重要情報出たな!? 父さん海外出張なの!? なんか既に共有された情報みたいな話し方だけど、それも初耳だからね!? えっ、ていうか海外ってどこに!?」

「ハワイだってー」

「んんっ……! なんかこう、絶妙にコメントに困る……! 『どこだよ!?』って国が出てくる流れじゃないのかよ……!?」

「春輝はー、日常にストーリー性を求めすぎよねー」

「そこは否定出来ない……!」


 なんて、早速親子の温かい(?)会話が交わされる傍ら。


『……!』


 伊織たちは驚きに満ちた顔を見合わせていた。


 けれど、それもすぐに崩れる。


『おかえりなさいっ!』


 そして、満面の笑みで母を迎えた。


 まだ母に対しては色々と言いたいことがある春輝ではあったが、彼女たちが嬉しそうならばまぁいいかと思い。


「まぁ、その……おかえり」


 己も、微苦笑と共にそう口にするのだった。

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