SS21 女の痕跡
貫奈の訪問を翌日に控えた、土曜日。
「はーい、というわけでー」
割烹着に三角巾という出で立ちの母が、ぽむと手を叩く。
「この家からー、私以外の女の痕跡を消しまーす」
そして、そう言い放った。
「合ってるんだけど、言い方よな……」
春輝は半笑いを浮かべる。
本日は明日に備えて、小桜姉妹の生活の痕跡を極力隠すための『大掃除』を行うことになっているのであった。
「あの、すみません……私たちのせいで、余計なお手間を……」
「いいのよー、どうせ春輝一人だったら荒れ放題だったろうしー。皆が普段からお掃除してくれてるからー、プラマイでいうとかなりプラスー」
恐縮する伊織へと、母は軽い調子で笑って手を振る。
「ウチらも、しっかり痕跡消しますんでっ!」
「頑張りますっ」
露華が袖を捲くってみせ、白亜も「むふー」とやる気満々の表情だ。
ちなみに、三人も現在は割烹着に三角巾という格好。
母がどこかから引っ張り出してきたものなのだが、なぜ四セットも、それも白亜の体格に合うものまで存在していたのかは謎である。
「それじゃー、まずは自分たちの私物を部屋に持っていってねー」
『はいっ』
母の指示に頷き、伊織たちはリビングへと散っていった。
「春輝はー、これー」
次いで、春輝へとカーペットクリーナー……俗に言う『コロコロ』を手渡す。
「これでー、伊織ちゃんたちの髪を一本残らず回収するのよー」
「一本残らずって……流石に大げさだろ」
「甘いー」
苦笑する春輝へと、ズイッと迫ってくる母。
「こういうところから露見するのよー」
笑顔ではあったが、妙なオーラが背後に見える……気がした。
「現に私も昔ー、お父さんの部屋にー、明らかに家族のものじゃない長い髪が落ちてたことからー、他の女の影があるって確信したんだものー」
「えっ……? 父さん、浮気してたってことか……?」
「もー、そんなわけないでしょー? お父さんは浮気するような人じゃありませーん。付き合う前の話よー」
「お、おぅ……」
付き合う前だとすれば、それはそれで他の女の影を探っていた母は何なのか。
気にはなったが、妙な闇に触れることになりそうで問うのは躊躇われた。
「まーお父さんのことはいいとしてー」
そうこうしているうちに、母のオーラも引っ込んだ……気がする。
「それが終わったらー、ソファやカーペットをしっかりファブることー。ゴミ箱の袋も全部取り替えてねー。あとー、洗面所の排水溝も綺麗にねー?」
「そこまでするのか……」
「するのよー?」
「わかった! わかったからその笑顔やめて!? なんか怖ぇんだよ!?」
とにもかくにも、こうして大掃除は始まった。
◆ ◆ ◆
春輝が、ひたすら部屋中をコロコロする傍ら。
「このアロマー、春輝が買ったやつじゃないよねー?」
「あっ、はい。ウチらが買いました」
「春輝は買いそうにないものねー。こういうのも回収しといてねー」
「はいっ、了解でっす!」
「んー、コントローラーが二つ出てるのも良くないかもー。貫奈ちゃん、私がゲームしないの知ってるしー」
「あっ……そうですね。わたし、片付けます」
「対戦系のゲームもー、最近遊んでない感のある仕舞い方にしてねー」
「はいっ……!」
「一応キッチンの方もー……この調味料とかー、伊織ちゃんが揃えてくれたやつよねー?」
「はい、そうです」
「春輝はあんまりお料理しないからー、こんなに沢山の調味料を使いこなしてる感があるのはちょっとねー。基本的なのだけ表に出してー、後は見えないとこに仕舞っといた方がいいかなー」
「わかりましたっ!」
次々に飛ぶ母の指示に従い、三人は忙しなく動いていた。
(随分と細けぇな……)
コロコロしながらそれを眺めて、春輝は苦笑を浮かべる。
付き合う前、母は父の部屋に何を見たというのか。
(にしても……)
同時に、思う。
「あっ、ヤバ。ウチのヘアピン、こんなとこに落ちてた。いつの間にか失くしたと思ってたけど……」
「む……ハル兄が買ってきてくれたこのハート型のクッション……男の人の一人暮らしでこれは不自然かも」
「そうだ、洗面所に置いてある私たちの歯ブラシとか化粧水とかも回収しとかないとだよね……!」
三人がこの家に暮らしている跡は、本当に至るところにあった。
少しずつ少しずつ増えていったから、今まで気にしていなかったけれど。
彼女たちの持ち物が、彼女たちのいる証が、完全に風景に溶け込んでいて……注意深く観察しなければ、それが元々はなかったものだったと認識出来ないくらいだ。
それほどに。
(いつの間にか……この子たちがいるのが『当たり前』になってたんだなぁ……)
彼女たちがいるこの景色こそが『我が家』になっていたんだと気付く。
「流石に春輝一人で全部コロコロは大変だしー、私も手伝うねー」
春輝が妙な感慨深さを覚えていた中、伊織たちに一通り指示を飛ばし終えたのか、母も春輝の隣でコロコロし始めた。
「なんか……悪いな、母さん。せっかく帰ってきてるのに、こんなことさせちゃって」
「いいのよー。さっき伊織ちゃんにも言った通りー、元々荒れ果てた家を大掃除するつもりでいたんだしー」
「流石に一人暮らし状態でも荒れ果てるところまではいかねぇよ……」
母の物言いに、思わず苦笑が漏れた。
「それにー、こうやって皆でお掃除するのも楽しいしねー」
「そうか……?」
先程からずっとコロコロし続け、既にちょっと腰が痛くなってきている春輝である。
「まー、私としてはー。貫奈ちゃんにならバレてもいいんじゃないかなーって気持ちもあるんだけどねー」
「勘弁してくれよ……」
「秘密を他の人に喋るような子じゃないでしょー?」
「それはまぁ……」
「それにー、その方がフェアっていうかー。あの子はー、もうちょっと危機感持ってもいいと思うしー」
「何の危機感だよ……俺のことを、女子中高生を自宅に住まわせてるようなやべぇ奴だと思えってことか……?」
「春輝ってー、凄くお父さんに似てるよねー」
「なんで今、急にその話したの……?」
疑問の視線を向けると、母はバタバタと慌ただしく働く伊織たちを笑顔で見ていた。
「それにしてもー。こうしてると娘が一気に三人も出来たみたいで嬉しいわー」
「コロコロと話が変わるな……」
「この中でー、誰が本当の義理の娘になるのか楽しみねー」
「本当の義理の娘って、なんだよその矛盾するワード……つーか、誰も義理の娘になることなんてないっての……」
「まー、酷いこと言うのねー」
「何がだよ……」
そんな雑談を交わしつつ、ひたすらコロコロを転がしていたところ。
「あー、でもそうよねー」
母が、ふと何かを思いついたような表情となった。
「確かにー、貫奈ちゃんが義理の娘になるパターンもあるものねー」
母の発言に、思わずピクリと手を止めてしまう。
流石にこれに対しては。「義理の娘になることなんてない」とは言いづらい。
「……あらー?」
そんな春輝の反応を見て、母はどこか意味深に微笑んだ。
「そっかそっかー。そうなのねー」
「……何がだよ?」
何を
「さー、何がかしらねー?」
ニコニコと楽しそうな母に対して、それ以上突っ込んで聞くことは出来なかった。
「あー。そこー、まだ露華ちゃんの髪落ちてるじゃなーい」
「えっ、どこ……?」
「ほらー、ソファの下からちょっとだけはみ出てるー」
「んー……? あっ、ホントだ。えっ、よく見つけたな……何なのその能力……」
「昔とった杵柄ってやつねー」
「お、おぅ……」
あと、両親の過去についてもそれ以上突っ込んで聞くことが出来なかった。
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