SS18 来た

 夏も近づき、生ぬるい風が吹く夜のことだった。


 それ・・は、突然に現れた。


 何の前触れもなく。


 何事もなかったかのように……普通に、玄関を通って。



   ◆   ◆   ◆



「あっ、春輝さん帰ってきたみたいだね」

「だねー」

「んっ」


 玄関の扉が開いた音に反応し、伊織たちはいそいそと玄関へと向かう。


「おかえりなさい、春輝さ……」


 そして、いつものように春輝を出迎え……ようと、したのだが。


「……あれ?」


 そこに立っていたのが四十代くらいの見知らぬ女性で、伊織は目をパチクリと目を瞬かせる。


「……あらー?」


 一方で、女性の方もなぜか伊織たちの方を見て不思議そうに首を傾けていた。


「す、すみません私、人違いだったみたいで……」

「いえいえー」


 少し照れながら謝罪すると、女性は穏やかな笑みを浮かべる。

 見ているとなんだか安心してしまうような、優しげな笑み。


(あれ……? 私、この人とどこかで会ったことあったかな……?)


 その笑顔に既視感を覚え、伊織は内心で疑問を抱いた。


(……んんっ? ていうか、玄関の鍵はちゃんと掛けてたよね?)


 次いで、別の疑問が生じる。

 今日帰ってきた時のことを思い出してみたが、確かに鍵を掛けた覚えはあった。


「あの、すみません……どちら様でしょうか?」


 少しの警戒感と不信感を懐きながら、尋ねる。


「あらあらー。私ったら、うっかりしちゃってたわねー。申し遅れましたー」


 伊織の警戒に気付いているのかいないのか、女性は口元に笑みを湛えたまま。


「私は──」



   ◆   ◆   ◆



「今日は遅くなっちゃったな……帰る直前にASAP案件は勘弁してくれよ……ていうか、なる早って言うなら明日で良くない……?」


 ブツブツと愚痴を溢しながら、春輝は帰路を歩く。


 けれど、不満顔は家の前まで。

 伊織たちに心配はかけまいと、頬をモニモニッと揉んで笑みを形作った。


「ただいまー」


 そして、明るい声を意識して玄関の扉を開ける。

 いつもなら、すぐに三人が出迎えてくれるところである。


 しかし、今日はその気配がなく。


「おかえりなさーい」


 その代わりだと言わんばかりに、少し間延びした懐かしい声が家の中から聞こえてきた。


(……ん?)


 ふと、違和感を覚える。


 自分は今、何を感じた?


(んんっ!?)


 ブワッと汗が吹き出した。


 そう……懐かしい・・・・声だ。


 聞き間違えるはずはない。

 二十年以上、毎日聞いていた声なのだから。


 それこそ、この世に生まれたその日から。


「随分遅かったのねー」


 果たして、答え合わせのようにその人はゆったりとした足取りで現れた。


「かっ……」


 驚きすぎて、一瞬言葉に詰まる。


「いつもこれくらいなのー?」


 そんな春輝を見ても特にリアクションすることもなく、のんびりと尋ねてくる女性。


「母さん!?」


 この人こそが、人見明子あきこ……春輝の母なのであった。


「なんでここに!?」

「なんでって、母さんのおうちに母さんがいるのは当たり前でしょー?」

「いや、そういう意味じゃなくて……! か、帰ってくるなら事前に連絡してくれよ!?」

「あらー? 連絡してなかったっけー?」

「初耳オブ初耳だったわ! 寝耳に水過ぎるわ!」

「あらら、ごめんなさいねー」


 このどこかズレたような会話も、かつてはいつもの光景だった。


(ってか……普通なら真っ先に触れるべき伊織ちゃんたちの話が出ないな……? ワンチャン三人共出掛けてて、まだ会ってない可能性もあるか……!?)


 焦りで空回りする脳みそに、そんな考えが浮かぶ。


 既に夜も遅く、その可能性は非常に低いと言えよう。

 人間、追い詰められると僅かな可能性にも縋りたくなるものだ。


「でも連絡といえばー、春輝だって連絡忘れちゃってじゃなーい?」

「えっ、何の……?」


 だが、しかし。


「あの子たちと暮らしてるってことー」


 母が、家の中を振り返り。


「あの、春輝さん……おかえりなさい……」

「おかえりー……」

「おかえりなさい……」


 キッチンの方から三人が気まずげな顔を覗かせたことで、希望は完全に打ち砕かれた。


「やっ、その、違うんだよ母さん!」


 果たして、彼女たちのことをどう説明するべきなのか。

 伊織たちは、どこまで話しているのか。


 下手に情報を出してしまえば、やぶ蛇になりかねない。


(考えろ……! 追い詰められた時に咄嗟に上手い言い訳で切り抜ける主人公の如く……!)


 頭をフル回転さえ、最善手を検討する。


「まぁ、いいんだけどねー」


 が、母はそう言ってあっけなく踵を返してしまった。


「………………えっ?」


 この展開は予想しておらず、春輝は呆けた声を上げる。


「ご飯、まだ食べてないんでしょー? 伊織ちゃんが用意してくれてるから、早く食べちゃいなさいなー。でも、美味しそうでビックリしちゃったー。母さんもちょっと貰っちゃおうかなー」


 なんて言いながら、母はキッチンの方へ。


「って、いや、母さん!?」

「なーにー?」


 思わず呼び止めると、特に思うところもなさそうな顔で振り返ってくる。


「流石に良くはないだろ!? 息子が女子中高生を三人も連れ込んでんだぞ!?」


 テンパって、無駄に危ない表現になってしまった。


「もうちょっとこう、説教するなり事情を説明するよう詰め寄るなりあるんじゃないか!?」


 というか、なぜ自ら追い込まれにいくのか。

 人間、あまりに動揺すると謎の行動に走るものである。


「どうしてー?」


 他方、母は動揺とは無縁の落ち着きようだった。


「どうしてって……そりゃ、息子が犯罪者になっちまったかもしれないんだからさ……」

「春輝は、犯罪者になっちゃったのー?」

「いや、なってないけど! 決してやましいことはしてないし! ……あんまり」


 最後に思わず付け足してしまったのは、色々と思い出してみれば完全に断言出来るかは怪しい気がしてきたためである。


「なら、いいじゃないー」

「まぁ、確かにな……いや、そうか?」


 一瞬納得しかけて、首を捻った。

 この母と話しているとしばしば発生する事態なのだが、発言とテンポが独特すぎて会話が迷子気味だ。


「それよりほらー、いつまでもそんなとこに突っ立ってないでー」

「あ、うん……」


 とはいえ、確かにこのままここで立ち話をするのも不毛ではある。

 そう判断し、春輝もとりあえず靴を脱いでキッチンへと向かう。


「それじゃ、ご飯よそっちゃわねー」

「あっあっ! わ、私がやりますので!」


 母が炊飯器の前に立ったところで、伊織が慌てた様子でその傍らへ。


「いいのよー、私がやりたいんだからー」

「そ、そうですか……?」

「伊織ちゃんは座って待っててねー」

「あ、はい……」


 しかし、そう言われて若干気まずげな表情ながらも席についた。


「はい、伊織ちゃーん」

「ありがとうございます……!」


 恐縮した様子で、ご飯が盛られた茶碗を受け取る。


「次は露華ちゃんねー」

「どもです」


 流石の露華も、どこか固い表情だ。


「白亜ちゃんもー」

「あ、ありがとうございます……」


 白亜も少し緊張しているように見えた。


「春輝は、ちゃんと手を洗ってうがいしてくるのよー」

「あぁ、うん……」


 どこまでも調子を狂わされながら、春輝は洗面所に向かう。


 しっかりと手を洗い、うがいをし、顔も洗ってさっぱりしたところでキッチンに戻った。


「それでねー、春輝ったら何を隠してるのかと思ったら子犬でー。別に、ちゃんと正直に言えば拾ってきたこと怒ったりしないのにねー」

「ふふっ……でも、子犬を放っておけないところが春輝さんらしいです」

「春輝クンも、可愛いとこあったんですねー」

「なんだか親近感を覚えるエピソード」


 すると、そんな風に談笑する女性陣の姿が目に入って。


「……いや、馴染みすぎじゃね?」


 思わずそんなコメントが漏れる。


「キャンキャン!」

「はいはーい、ハルちゃんにも今ご飯あげますからねー」


 既にハルさえも懐いているようで、母は笑顔でハル用のペットフードも皿に盛っていた。


「はい、春輝の分だよー」

「あ、うん、ありがと」


 釈然としない気持ちを抱えながらも、春輝も茶碗を受け取る。


「それじゃー、いただきまーす」

『いただきます』


 母に続いて、三人が声を合わせ。


「……いただきます」


 少し遅れて、春輝も手を合わせた。


「……あのさ、母さん」


 しかし、食べ始める前に表情を改めて母に呼びかける。


「マジで聞かないつもりなのか? この子たちのこと」


 と、視線で伊織たちの方を指し示した。


「そうねー、まぁ大体のところはもう聞いたしー?」

「あ、そうなの?」


 母がここまで楽観的な理由が、少し理解出来た気がする。


「はい、あの、出来るだけちゃんと説明したつもりです」


 と、伊織。


 恐らく、『ちゃんと』というのは春輝に不利にならないように、との意味も含まれているのだろう。

 テンパった時のやらかしには定評があるが、彼女が『ちゃんと』説明したと言うなら春輝もそれを疑うつもりはなかった。


「それにねー、母さん知ってるものー」


 ズズッとお茶を啜ってから、母は笑みを浮かべる。


「春輝が、女の子に酷いことするような子じゃないってねー」

「母さん……」


 息子へのその信頼に、思わず目頭が少し熱くなった。


「ははっ……まぁ、そんな度胸もないしな」


 それを誤魔化すべく、軽口を叩く。


「だけどねー。伊織ちゃんたちの話を聞いてた時にー、一つだけわからないことがあってー」


 と、母は小さく首を傾けた。


「重要なことだしー? これは春輝に聞いた方がいいかなー、って思って黙ってたんだけどー」

「うん、なに?」


 ここに来てようやく落ち着いた気持ちになってきた春輝は、いつの間にかカラカラになっていた喉を潤すべくお茶を口にする。


「結局、誰が春輝さんのお嫁さんになるのかなーって」

『ごっふぉ!?』


 そして、咳き込んだ。


 なお、小桜姉妹も全く同じタイミングで同じリアクションを取っていた。

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