SS15 露華の香り
「はーるー」
自宅の廊下を歩いていたところ、背後から露華のそんな声が近づいてくる。
ハルを呼んでいるのだろう……と、、判断した春輝であったが。
「き、クンっ!」
「うおぉ!?」
油断していたところに背中に勢いよく抱きつかれて、若干よろめく。
「きゅ、急に後ろから来るなよ……」
「えー? 急にって、ちゃんと事前に呼びかけたじゃーん?」
「いや、てっきりハルを呼んでるのかと思ったからさ」
「それは春輝クンが勝手にそう勘違いしただけでしょ?」
「そうなんだけどさ……」
とはいえ、恐らくはわざと勘違いするような言い方をしていたに違いない。
後ろで露華がニンマリと笑っている様がありありと想像出来た。
「そうそう、ハルといえばさー。ハルってば、酷いんだよ? さっき……」
「って、その前に」
被せ気味に露華の言葉を遮る。
「えっ、このまま話す流れ……?」
露華が、春輝の背中に抱きついたままで話し始めたためである。
「うん、そだけど?」
軽い調子で肯定する露華。
「前にお姉の胸と話してた時に比べれば全然普通でしょ?」
「胸と話してた言うなよ……」
確かに、胸に顔を圧迫されながらの会話は『胸と話していた』としか言えない気もするが。
「この格好で、何か問題でもあるのかにゃー?」
露華の声に、揶揄する調子が混ざった。
「問題っていうか……」
あるかどうかで言えば、ある。
具体的には、背中に当たっている柔らかい感触だ。
あと、ふわりと少し甘い爽やかな香りが漂ってきて妙にドキドキしてしまった。
(ていうか露華ちゃん……例の件が終わってから、また一段とスキンシップが増えてきてる気が……)
露華と二人で旅館に宿泊して以来、しばしばこういうことがある。
(……やっぱ、まだ甘えたい年頃なんだろうな)
思い出すのは、あの日の夜のこと。
手を握ってもいいかと尋ねてきた、露華の少し震える声だった。
(だとしたら、大人として……『家族』として、ちゃんと受け止めてやらないとな)
そう、内心で一つ頷いて。
「いや、問題なんてないさ」
毅然とした表情でそう返す。
「………………」
「あいたっ!?」
するとなぜかお腹を抓られて、思わず悲鳴が漏れた。
「な、何すんの……?」
「いやー、なんかこう、たぶんこれウチの望んでる感じを察してないなーって思ってさ。女のカン的に?」
「えぇ……?」
自分では察せたと思っていただけに、春輝は戸惑うばかりだ。
(やっぱ、歳の離れた女の子の気持ちを察するのは難しいな……)
もっとも。
(いや、まぁ、同世代の気持ちも全然察せてなかったんだが……)
思い浮かべるのは、貫奈の顔である。
「いでっ!?」
そのタイミングでまた抓られ、再び声を上げることになった。
「だから、なんで……?」
「なんか、他の女のこと考えるような気がしたから」
「君はエスパーか何かなのか!?」
まさしく内心を見抜かれ、思わず驚愕。
「へー、本当に考えてたんだー? ふーん? ほー?」
露華の声はいつもの揶揄する調子ながら、どこか冷たさも感じられるような気がして春輝の背中を妙な汗が流れていく。
時折放たれる伊織の謎の『圧』と同じ感覚であった。
「ウチと話してる時に、他の人のこと考えちゃ……や、だからね?」
ギュッ、と露華の腕の力が少し強まる。
「あー……うん、わかったよ。悪かった」
確かに、誰かと話している時に他の人のことを考えるというのは不誠実かもしれない。
そう考えて、春輝は素直に謝罪する。
「うんっ」
許しを示すように、露華は春輝の胸の辺りをポンポンと叩いた。
「それで……ごめん、何の話だった?」
「あっ、そうそう! ハルが酷いんだって!」
先程遮ってしまった話に言及すると、露華は瞬く間に最初のテンションに戻る。
「さっきウチが『ハルー』って呼んでるのに、プイッてそっぽ向いてお姉の方に行っちゃったの! この際まぁ白亜に一番懐いてるのは仕方ないにしても、ウチとお姉は同列のはずじゃーん?」
どうやら、この愚痴を伝えたかったらしい。
「あー……それって、もしかして」
そして、春輝にはその原因に心当たりが浮かんでいた。
「露華ちゃんさ、コロン付けてるだろ?」
「え? うん、まぁそうだけど? さっきまで出掛けてたからさ」
急に話が変わったように思えたのか、露華の返答は疑問混じりのものだ。
「犬って、化学物質の匂いが苦手らしいんだよ。特に今日のは、柑橘系だろ? そっちも苦手だからダブルだな」
「へぇ、そうなんだ?」
初耳だったらしく、露華は素直に感心の声を上げる。
「それじゃ、ハルに悪いことしちゃったかなー。早いことシャワー浴びて……」
とそこで、ふと言葉を切った。
「ところで、春輝クンさ。
「ん? 言ったけど……?」
今度は春輝が疑問の声を返す。
「て、ことはぁ……他の日は違うコロン付けてるって知ってるんだぁ?」
「そりゃまぁ……」
一緒に暮らしていれば、気付きもしようというものである。
「つまり、春輝クンは普段からウチの香りちゃんと嗅いでくれてるわけだねぇ」
「そ、その言い方はなんかやめてくれない……!?」
積極的に嗅ぎに行っているようで、なんとなく変態性が高く感じられる。
「いやいや、別にそれが駄目とか嫌とか言ってるわけじゃないんだよ? むしろ、もっと積極的に嗅いでくれてもいいんだから。春輝クンなら……ねっ?」
どことなく蠱惑的に聞こえる声と共に、露華の密着度が更に上がった気がした。
「あっ、そうだ」
それから、露華は何かを思いついたような声を上げてモゾモゾと動き出す。
春輝の胴に腕を回したままで、徐々に横の方へと身体をズラしていき……。
「ばぁっ」
春輝の前方まで移動したところで、イタズラっぽい笑顔を上げた。
「これで、もっとウチの香りが嗅ぎやすくなったでしょ?」
と、ウインク一つ。
確かに、先程までよりも強くコロンの香りが感じられる。
が、しかし。
(いや、それ以上に色々と感じられてヤバいんだが……!?)
コロンとは違う、恐らく露華本人の香りまで。
それに、抱き合うようなこの格好では彼女の息遣いすら間近だ。
「あの、露華ちゃん、流石にこれは……」
先程受け止めると決めたばかりではあったが、ここまでは想定していない。
やんわりと離れるように言おうとしたのだが。
「ただ嗅ぐだけじゃなくて……その先だって、いいんだよ?」
露華はむしろ、更に密着してくる。
そして、何を思ったかゆっくりと目を瞑り始めて……。
「キャンキャン!」
ピピーッ!
『っ!?』
その瞬間にハルの鳴き声と笛の音が響いて、二人してビクッとなる。
「二人とも、そこまで。それ以上は完全に十八禁だから、取り締まり対象」
声の方に目を向けると、婦警さんのコスプレをした白亜がジト目を向けてきていた。
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『お姉の胸と話してた時』については、第56話をご参照ください。
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