SS13 派閥争い(セルフ)
貫奈に引き続き、春輝にコーヒーを吹き出させたのは。
「いやぁ、こんなところで奇遇だねぇ二人共」
「か、課長……!?」
樅山課長、その人であった。
彼の傍らにはキリッとした表情のドーベルマンが控えており、なんとなく状況は察せられる。
「課長の家って、この辺りでしたっけ…?」
「いやぁ、ここからだと少し遠いんだけどねぇ。この子の散歩の時は、それなりに遠出することにしてるんだよ。ほら、私のダイエットにもなるしねぇ」
笑いながらそう言ってから、樅山課長は「あっ」と何かに気付いたような表情となった。
それから、妙に優しげな笑みを浮かべ。
「おっとすまない、ついつい声を掛けてしまったけれど……無粋だったねぇ。邪魔者はすぐに去るからねぇ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいなんか誤解してません!?」
そのまま立ち去ろうとする樅山課長を、慌てて呼び止めた。
「俺と桃井は、別に……その、そういうアレじゃないんで!」
貫奈の想いを知ってしまった以上あまり強く否定するのも戸惑われて、だいぶフワッとした物言いとなる。
「はっはっはっ、安心したまえ。私はちょっと小桜派寄りの桃井派だからねぇ」
「何の話してんですか……?」
どこに安心すればいいのか全くわからなかった。
「やはり、桃井くんの方が入社が早かったからねぇ。どうしても贔屓目に見てしまうよねぇ。だけど猛烈な勢いで追い上げてくる小桜くんのことを応援してあげたい気持ちがあるのも事実なのさ」
「本格的に何の話です?」
というか、何を言っているのかわからなかった。
「ハル兄、どうかした……?」
とそこで、疑問顔の白亜が戻ってくる。
「……あっ」
かと思えば、樅山課長の顔を見て小さく口を開けた。
「おや」
樅山課長も、白亜に目を向けて片眉を上げる。
「その節は、お世話になりました」
「いやいや、構わないよ」
ペコリと頭を下げる白亜に、笑って手を振る樅山課長。
「えっ……? どの節の話……?」
意外な展開に、春輝はパチクリと目を瞬かせる。
白亜と樅山課長の関わりは、せいぜいが露華と共に会社を訪れた時に顔を合わせた程度のものだと思っていたから。
「それは……女の秘密」
「ふふっ、そうだねぇ」
唇に指を当ててウインクする白亜に、樅山課長もどこか意味深に笑う。
「えぇ……?」
春輝としては、下手に突っ込むことも出来ず戸惑うことしか出来なかった。
まさか、「ウチの子が何かご迷惑でも……?」などと尋ねるわけにもいくまい。
「時に、この子は君の家の子かい?」
ふと表情を改め、樅山課長は足元でじゃれついているハルへと目を向ける。
「は……いえ、ハル兄の家の子です」
一瞬頷きかけてから、白亜は首を横に振ってそう答えた。
(あっぶねぇ……! 白亜ちゃん、ギリで気付いてくれてありがとう……!)
危うくさっき貫奈に言った設定と矛盾するところで、春輝としては内心ドキドキである。
「名前は、ハルです」
「ほほっ、そうかい」
一方で、樅山課長は楽しげに笑っていた。
「もしかして……名前は、君が付けたのかい?」
「はいっ」
問いかけに対して、白亜は大きく頷く。
「なるほどなるほど」
そんな春輝と白亜を交互に見て、樅山課長はその二重顎に指を当てた。
「妹さん派も兼任している身としては、なかなか悩ましいところがあるよねぇ。いやぁ、すぐに形勢が変わっていくし派閥争いも大変だ」
「さっきからずっと何の話をしてるんですか……?」
ポンポンと肩を叩いてくる樅山課長に対して、何と返すのが正解なのかわからない。
「それはそうと、こちらの子は……」
「ウチの、レンテです」
次にレンテを見やった樅山課長に、今度は貫奈が答えた。
「ほほっ、なるほどオランダかい」
「……流石、博識でいらっしゃいますね」
また楽しげに笑う樅山課長、貫奈はどこか恥ずかしげだ。
「……?」
ここでも意味がわからず、春輝は首を捻る。
「っとと」
とそこで、ドーベルマンが急かすように樅山課長の足にグリグリと頭を押し付け始めた。
「ウチのシュバルツが飽きてきてしまったみたいだし、今度こそ失礼するよ。本当にお邪魔して悪かったね」
「あ、いえ……」
春輝が曖昧に言葉を濁す中、樅山課長はドーベルマン……シュバルツと共に軽快な足取りで去っていく。
「結局、最初から最後まで何言ってるのかわからなかったな……」
春輝としては、非常にモヤモヤした気持ちであった。
「なぁ、桃井?」
せめてそれを共有したくて、貫奈に話を振る。
「……私は、普通に大体わかりましたけどね」
「えっ、マジ?」
しかしその返答に、驚きを顕にすることになった。
「わたしも、全部わかった」
「白亜ちゃんまで……!?」
次いで白亜までそう言い出して、ますます驚きを大きくする。
「なんとか派とか、どういう意味だったんだ……?」
『それは……』
春輝の問いに、二人は示し合わせたかのように顔を見合わせた。
「女の秘密」
「だね」
それから、お互い小さく笑い合う。
「えぇ……?」
春輝は一人、疎外感がハンパなかった。
「そういうとこ、ホント先輩ですねぇ」
「同意する。ハル兄は、そういうところがある」
逆に、なぜか貫奈の白亜の間には謎の連帯感のようなものが生まれているように見える。
「よしっ、たまには私も走り回ってみようかな。白亜ちゃん、私もまぜてもらっていい?」
「んっ、もちろん」
「それじゃ行くよ、レンテ」
「ハルも」
そのまま、ハル・レンテと連れ立って駆け出してしまった。
「………………えぇ?」
それを見送りながら、春輝はやはり一人で疑問の声を上げる。
「……そういや結局、レンテってどういう意味なんだ?」
しばらくぼんやり二人の背中を見送ってから、ふと思い立ってスマホを取り出した。
「レンテ……lente、だよな……? 『ゆっくり』って意味か……んー、だとすると別に恥ずかしいところなんてない気がするけど……」
英和辞典で調べてみても、イマイチしっくり来ない。
「そういや、なんかオランダって言ってたな……」
そこでふと樅山課長の言葉を思い出し、検索ワードに『オランダ』を追加した。
すると、出てきた結果は。
「……オランダ語で、『春』」
先程の貫奈のリアクションから考えても、恐らくそれが正解なのだろう。
想像してみる。
高校生の貫奈が、『春』という意味の語句を……それも、すぐにそれとはわからない形で付けた場面を。
そして、それを春輝に話さなかった意味を。
すると、なんとも気恥ずかしい気持ちと申し訳ない気持ちが同時に生まれて。
「んあー……」
春輝は、特に意味のない言葉を発することしか出来ないのであった。
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